津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■八代朽木家取扱之扣写(四)御尋ニ付口上覚(一)

2017-12-27 20:40:08 | ご挨拶

この資料は三渕嘉門(澄昭)が兄・帯刀(松井本家九代微之)、弟・内匠へ宛てた書状の写しである。
三人共に松井営之の実子である。(系図参照)

                    御尋ニ付口上覚
                 四月五日之夕紫英私方江罷越申聞候趣ハ
                 定彦事内匠順養子ニ被致度由内匠ゟ
                 以御上書紫英江被申向候右之儀ハ當春
                 二月之比雄山ゟ茂紫英承り居候由其
                 趣旨者雄山深ク思惟仕候処先祖大和守
                 血筋を申候而者乍女系守居計ニ付願クハ
                 定彦事内匠順養子ニ被致候様有御座度

                 存候間内匠江去年十一月雄山ゟ以書付
                 申向候 宜候段申聞候 然共紫英茂一通ニ
                 相心得其上雄山とも追々咄合宜候筋合も
                 有之候ニ今ニ成右之通変替りニ相成候
                 事紫英存候者雄山儀最早及老年
                 万端忘却ニ而候事と相心得紫栄(ママ)ニ
                 當居申候処近比内匠ゟ不計以書付俄ニ
                 順養子之儀申聞候間甚行當申候併内匠茂
                 ■養父挨拶ニ者是非一通ハ手数候事故
                 左茂可有御座然レ共紫英ゟ委細之以訳
                 断申候ハヽ相帰可申候と存前内匠ゟ猶又
                 以書付存意委細申向候間従是茂又
                 書付を以相断候得共一向承引無御座
                 既ニ今晩ハ頼藤栄を招キ委細申含
                 尊兄様江茂申上近日ニ願書差上申候
                 との事ニ而紫英大ニ驚申候其訳者
                 
                 守居存生之中順養子之儀ハ堅相成
                 不申由必多度其儀迄平日申其趣
                 長ク書付茂出来申候得共書付者成就
                 仕不申候中相呆遣言ニハ申殘宜然者
                 定彦親之命を背キ候ニ相當第一不
                 孝ニ相成身近難相■其上内匠と
                 年齢僅之違イと申信記又順養子ニ
                 相成申候得者是又■之違ニ而一向勤メ
                 申候間茂無御座候得者僅之間ニ頻へニ
                 代替り打重り候而物新知之家筋旁以
                 不宜存相断候得共一向ニ萬■不被致
                 候可取早此三之儀無詮方私打懸頼ミ申候間
                 何卒内匠手前申宥メ呉様ニ必及度
                 落■ニ而頼ニ而御座候勿論此儀毛頭ニ挨拶
                 尓而申候ニ無御座真実日月神ニ懸ケ
                 申候との事ニ而既此事御断相立不申候得ハ

                 及落命候格悟之由殊之外愁傷ニテ頼
                 尓而御座候万私茂甚難澁仕差寄何とも
                 返答仕兼候得共何分一命ニ茂懸り申程之
                 申分故其分ニ茂難閣差當胸中ニ極候ハ
                 右之通之趣ニ只今之内匠ゟ頻ニ取遣御座
                 候而者取茂直サヌ母子賣り相と申ニ而  
                 作閥人口茂

                         続く

                 


                 

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■雑色草書(26)

2017-12-27 09:18:12 | 史料

一七九
一馬會所割賦年分左之通
    覚
正月御割賦
一貮両銀・日行司銀
  但、御用馬壹疋ニ付貮拾六匁六歩宛
 右貮両銀・日行司之銭高
 一銭一貫三百三拾目
  内
  四百三拾目    八匁六歩宛
   但、御用馬壹疋ニ付貮両宛五拾疋分馬指請取也
  九百目
   但、會所詰三人給銀ニて候、是を日行司銀と申也
同御割賦
一六百七拾目
  但、馬指給銀
同御割賦
一三百目
  但、會所詰造用銀
 右貮両銀・日行司銀貮稜ハ、私幷會所詰給銀ニて、此儀
 同苗代より極之通御座候
六月御割賦
一壹貫百五拾目
  但、亥子丑此三ヶ年、右之通依願被為仰付候、尚又今
  度辰年迄三ヶ年依願被為仰付候
    「此稜ハ、旅人入用之人足十人以下指出候節之増雇
  賃根元五百七拾五匁ニテ受負被仰付置候處、諸色高直
  ニ付、依願安永六年より諸色直段引下ヶ候迄之間、年々
  貮百五拾目宛増方被仰付、尚又同八年、依願下地増方
  之上、三ヶ年限三百貮拾五匁宛増、都合本行之高也」
同御割賦
一百八拾目
  但、此儀ハ會所詰給銀不足ニ付、増被為仰付候
七月御割賦
一壹貫貮百目
  但、日田・天草御取遣之御用状夫賃
    「此受負高、根元六百目ニて候處、諸色高直ニ
  付、安永六年より依願諸色引下ヶ候迄之間、貮百五拾
  目宛増方被仰付、尚又同七年ニ依願翌夏迄三百目増方
             三ヶ年限也
  被仰付候也、同八年依願三百五拾目増、都合本行之高
  也」
同御割賦
一貮百目
  但、別當衆當り也
  御公邊之継状、別當衆依願、會所え被為仰付候
同御割賦
一貮百目
  但、日田・天草御用状、晝夜之勤方故、會所詰え依願
  被為仰付候
十月御割賦
一百四拾匁
  但、諸色高直ニ付、十月より九月迄、依願私え年々被
  為仰付候、尤一ヶ年限/\之依願被為仰付候儀に御座候
同御割賦
一貮百五拾貮匁
  但、右同断、會所詰参人え、依願被為仰付候、壹ヶ月
  壹人ニ七匁宛、右同断
    「右ニ稜増方安永七年初發」
一九貫目
  但、御用馬銀、年々定請負として十二月御渡被下候
 右之通御座候、以上
  天明二年也
   寅八月            馬指 善 五 郎
一右之外、日田・天草御手代幷御役人なと、熊本通行之節、
 駕壹挺ニ付貮人分之定り賃銀被相渡候得とも、右之通ニ
 ては雇出不申候付、増銭相渡、尚助夫一人差出、其賃銀
 共去ル子丑寅三ヶ年分ハ、其後致割賦候、翌卯年より酉
 年迄之増賃、馬指より取替へ置候分五百三拾貮匁、明ル安
 永七年戌三月、馬指依願町中致割賦候、左候て、以来前
 年分翌正月貮両銀抔一同ニ致割賦筈ニ申付候事

  

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