益姫
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重賢ーーーーーーーー治年==齊茲ーーーー齊樹ーーー+=====齊護ーーーー韶邦ーーー護久・・・・・・・・・・・・・・➡細川宗家
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+---ー埴 +ーー篤姫
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興文ーーー+ーーーー立禮(齊茲) ‖
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+ーーーー立之ーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーーー立政(齊護)
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+---行芬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・➡宇土細川家
いろいろ資料を見ているうちに、ずっと気が付かないでいたことが有った。
宇土支藩の9代立政は後に宗家齊樹の病死後その跡を継ぐ(齊護)のだが、実は齊樹の娘・篤姫を正室として迎えていた。
齊樹の病死、その後継者をめぐって藩内は江戸派と国許派の意見が分かれ、最終的には血脈を重視して隠居の濱町様(10代齊茲)の判断により宇土藩主・立政に決まったという経緯がある。
こうして略系図を見ると齊茲からすると立政は実弟・立之の子だから伯父・甥の関係なのだが、齊樹からすると従兄弟であるとともに娘聟ということになる。至って妥当な継嗣であったと理解できる。
立政・本家相続後齊護 篤姫
・文化元年九月十六日江戸永田町生まれ
・文化八年七月八日江戸龍ノ口邸誕生
・文政元年八月九日、父遺領三万石を嗣ぐ・14歳
・ 同二年十月朔日、初めて登城将軍に謁見・15歳
・ 同十二月十六日、従五位下・中務少輔となり立政と称す・15歳
18歳 ・文政五年中務少輔と結婚・12歳
20歳 ・文政七年四月十八日死去・14歳
・文政九年二月十三日、越中守齊樹、立政を嗣子として願出・23歳
・ 同 四月四日、本家相続
・ 同 五月九日、越中守・従四位下侍従叙任、齊護と称す
・文政十年十一月六日、浅野安芸守齊賢女益子(22歳)と結婚・24歳