果たせざる事多くして 晦日かな 津々
今年も当ブログをお訪ねいただき、感謝申し上げます。毎年・毎月・毎日新しい情報に出会いながら、楽しくも苦しみながら発信しております。
最近はつとに体力が落ちていることを感じ唖然としています。地震後の頑張りがずいぶん応えていますが、健康に十分留意し続けてまいります。
病み上がりの奥方とともに元気に越年できますことは、只々感謝です。有難うございました。
果たせざる事多くして 晦日かな 津々
今年も当ブログをお訪ねいただき、感謝申し上げます。毎年・毎月・毎日新しい情報に出会いながら、楽しくも苦しみながら発信しております。
最近はつとに体力が落ちていることを感じ唖然としています。地震後の頑張りがずいぶん応えていますが、健康に十分留意し続けてまいります。
病み上がりの奥方とともに元気に越年できますことは、只々感謝です。有難うございました。
一八一
一御國相撲取、伊吹山・不知火両人、酒井雅楽頭様被召抱 (不知火:横綱になった不知火光右衛門とば同名別人、この時期前頭四枚目・後大関)
度由付て之江戸状之内ニ、右之貮人年季を限、御留被置
候儀ハ其通、御國之者永ク他所え御出置候儀ハ難成御國
法にて候段、申向有之候様申遣候趣相見候事
右寶暦七年正月江戸状扣
一八二
「相撲取ハ別段と相見候、尤外之渡世付て、一ヶ年
滞留ハ有之段、影踏之節ハ罷歸不申候てハ、難成譯ニ候」
一呉服三丁目十次郎、相撲為渡渡世江戸え罷越居候處、年限
ニ相成、依願三ヶ年逗留被指免置候、然處、猶又三ヶ年
限逗留願出候段、江戸より申來候、願之趣無據趣ニ付、
如願沙汰有之候様申遣候事
右寶暦十一年六月江戸状扣
一八三
覺
一御國町在之荷船、自分商賣方ニ大坂え罷越居候節、御用
之荷物は勿論、御家中荷物ニても、御國役ニて運賃無
シ古来より積下候儀、御格ニて御座候、御借下船も右同
前ニ致せ申候、扨又鶴崎・川尻・高瀬其外所々之町船・
浦船等下りニ、渡世之為自他之僧俗、又は荷物等船頭相
對ニ積乗下候事も可有之候得共、御屋敷えは相知不申
候、兼て之御國法可有御座と奉存候、右は御國町在自分
持船之儀御座候
一鶴崎御關船下り便、伊勢之御師又ハ湯川宗因なと乗下り
之儀願出候ヘハ及其沙汰候、且又御國寺社之重職子弟等
乗り下願之儀ハ、大坂詰手寄之御役人え頼、覺書を以相
達候ヘハ是又及沙汰候、古来より大坂之御沙汰ニて御座
候
一近年御荷船出来、歸帆便ニ御物幷御家中荷物、運賃無シ
積下候儀は、勿論之事御座候、然處、御船預り主・船頭
等知音之者、旦那坊主なとの類、乗せ下候事有之、聞へ
も御座候得共、大船から船ニて罷下候儀付て、船頭呑
込、乗せ下候儀何そ船方之障有之間敷儀、其上人情之常
も有之、他所者ニても無之、御國者之事候ハヽ、乗せ下
相對之儀は見捨置たる事御座候、然共右之通ニてはつと
有之候付、其後ハ右便船下り之者ハ御屋敷え願候て、自
分持下り候往来手形之名前等書記、大坂ニて御荷船之支
配人、鹽飽屋清左衛門え及沙汰、清左衛門より下り船之
船頭え申聞、若納得不仕候得とも、跡ニ船便有之候迄持
せ置、右之申談支不申船ニ乗せ下申事ニ御座候、勿論、
度々有之儀ニても曾て無御座、河尻廻り願下りハ稀ニ有
之、其上御屋敷え願出候僧俗ハ、都て往来手形等所持
仕、紛敷事ハ無之者迄ニ御座候、萬一船中ニて異事御座
候節、大坂え懸り来候得ハ、清右衛門罷出、取拵申事御
座候、數艘之大船年中往来、歸帆ニは御用物之外、御家
中江戸小廻荷物等夥敷有之候得共、無遅滞積下、如是便
利之幸、自然と御光澤難有御時節、古来より稀成儀御座
候、御國之僧俗等船下りも自然と奉蒙御恩澤候儀御座候
ヘハ、願出乗下候者、船頭納得仕候ハヽ乗せ下候様、尤
船中自分造用ハ極りたる事ニ御座候、御荷船便河尻迄乗
下之儀、右之通仕候段御達申上置候、尤御目附衆えも申
談、存寄無御座候、已上
御國より参宮之僧俗、鶴崎・小倉之商賣
船乗合ニて罷下候者共、船中之飯料何程、
船賃何程人別ニ相極、乗船之節、船頭え
直ニ乗人より相渡申事ニ御座候、御荷船
便ニ乗下り申候僧俗等も、以来ハ右之通
沙汰可仕候
七月 日
蓋(萱ヵ)野司馬太
中山 源助
右寶暦十一年江戸状扣