美濃三人衆で知られる氏家卜全の二男を祖とする、肥後氏家家である。
初代元政の女は細川興秋室(興秋死去後・飛鳥井持信再嫁)である。3,000石の大身として新堀御門の外、熊本城を守るがごとく豊前街道の首根にあたる場所を代々屋敷とした。豊前街道は氏家家の前で、大きく迂回して新堀御門へと至っていたが、新堀が開削され国道を直進させ磐根橋が建設されて、この道が国道3号線となり、熊本市役所前に至っている。
かってここには加藤神社の前身・錦神社が鎮座していた。
現・監物台植物園下から望む。
錦神社は熊本城内に創建されたが、鎮台が熊本城内に入った際移転を余儀なくされた。
それが、この氏家家屋敷跡である。前に見える橋は現在では磐根橋と呼ばれて架け替えられているが、御城と京町台は地つづきであったが、忠利公代に城の防御のために堀が掘られた。この時期は橋の下は完全には開削されていない。大きな木々はまさしく氏家家の屋敷木の名残である。
その後、再度加藤神社が熊本城内に移転した後(昭和37年)、この敷地を真っ二つに道路が突き抜けた。
分断された敷地の左手は、石垣積(?)のやや高い敷地として残り往時をしのばせている。右手は熊本では割と歴史を持つ古いマンションが建っている。
京町台から熊本市役所前に抜ける、交通の要衝である。
尚、明治41年磐根橋の下にあたる新堀に、軽便鉄道が開通したが、新堀の開削は大正12年であり(FUSA様からご教示いただきました)当時はトンネルが掘られていたらしい。(土木遺産in九州のサイトから 但し、交通アクセスにあるYOHOO地図が示す位置は間違いで、303号にかかる橋が磐根橋である)