四四八
一小國杖立温泉入湯之衆中、是迄差紙ニ不及銘々勝手ニ罷 小国杖立温泉
越來候、右之通ニては一同ニ入湯人多所柄及迷惑筋も有
之儀、依之以來士席以上は栃木入湯同前ニ、一廻宛之差
紙を以客屋相渡申筈候、左候て上通り之湯坪一ヶ所士席
以上之湯ニ被極置筈候間、杖立入湯被致度衆中は前以被
相達候得は、鬮を以次第を極、御郡代へ差紙を付申筈ニ
候、尤上下多人數の衆中右客屋迄ニて差支、下宿を取被
申候ハヽ、彼表ニて宿賃之極り有之候間、其通ニ宿賃相
渡し相對ニ借受被申筈ニ候
但、輕輩以下は差紙ニ不及、宿之儀は前條之通究り之
宿賃を以相對の宿いたし、平湯ニ入湯之筈ニ候
一入湯之衆中所柄産物等調被申面々、間ニは御惣庄屋幷村
役人等へ被相頼、下方及迷惑様子ニ相聞候、以來産物た
り共相對ニ調被申儀ハ各別、會所役人等被相來間敷候、
且又入湯之人躰ニより内證之會釋ニ掛り、御惣庄屋以下
會所役人等罷越不申候ては難相濟様ニ成行、繁雑之役人
及迷惑、第一御用之妨ニ相成候事ニ付、以來會尺等敷儀
堅不仕様及達候、以上
右之通被相心得、被召連候家來末々至迄堅可被申付置
候、以上
十月
四四九
安永元年十二月御達
一地居奉公人近年人置處より割渡候得共、此以後右割渡被
指止候間、來春出代りより相對ニ可被抱候
一旅へ連被申候下々抱方、今迄之通
一増奉公人望差出ニ、抱主屋敷何方と申儀被書記候様及達
置候處、不被書出面々も有之、割渡候ても奉公人尋當不
申由、右之通ニては割渡差支候條、無間違可被書出候
一増奉公人之人柄望は彌以難叶候
一増奉公人割渡、二月二日以後五十日之内人柄等差戻候ハ
ヽ替柄相渡可申候、尤右日數之内たり共及三度候ハヽ容
易ニ代柄不相渡筈ニ候、五十日以後之暇ハ無餘儀子細も
有之候ハヽ跡柄相渡可申候、六月以後は惣て跡柄相渡不
申筈ニ候
一奉公人抱差出は、被抱候日より二十日を限人置處へ可被
指で候
一暇差出も早速/\同所へ可被差出候
一増奉公人暇差出ニ、當年地奉公ニ罷出、或は在所へ引込
候等之儀被書記候得共、來年よりは右等之儀被書記候ニ
不及候、一通り可被相調候
一今年増奉公人へ罷出候者は來年は不被差出、雇柄ニも不
致筈ニ候條可被承置候
十二月
四五〇
安永二年二月御達
一旅詰衣服之儀ニ付書抜相渡候
一於御當地着用之衣服品分り之儀、先年被仰出置候通候
處、婦人之衣服又は櫛笄之類、間ニは紛敷様子有之哉
ニ相聞、右品分り之儀熟得無之故ニ候哉、左候ハヽ其
不審之ヶ條被相伺、所詮紛敷儀無之様頭又ハ支配/\
より屹ト可被附心得候、以上
一旅詰之節、士席以上縮緬之衣服着用不苦候
一右同輕輩之内諸役人段以上幷御家中若黨、日野・加賀
絹類之上着は不苦候處、右類ニても織紋有之衣服は被
禁候
右之通可被相心得候
四五一
安永二年五月御達
一輕輩陪臣或は町在之者等、御制度を犯シ候様子ニ相見候
歟、或は紛敷旅人等御城下徘徊候歟、惣て疑敷風躰之者
は姓名承届可申旨兼て廻役共へ申渡置候、依之面躰不見
知普請ニ存候仁は、姓名無遠慮不承届候ては分り不申事
ニ付、御侍之内たり共稀ニは尋掛り候儀も可有之候、然
處右之趣不被存知衆は不審も可有之候條、私共より寄々
知せ置可申旨候間、御仲間中え御通達、御組々えも寄々
御知せ歟被置候、以上
五月十日 御奉行中
四五二
同年同月御達
一御家中之面々幷支配浪人等、又ハ家来/\至迄若盗ニ逢
候節は、年月日付、且盗賊入込候節之様子、被盗候品共
ニ委書附、士席以上は御刑法方御奉行え可被相達候、左
候ハヽ追て其盗賊被召捕、御吟味之上右書附ニ相違無之、
其品々盗賊手前ニ有之分は勿論、其主/\え可被返下候、
且又質入賣拂其質屋買主相知レ候得は、主人/\とり都
て半銀鷹を以受取來候得共、此以後其筋次第ニは請代銀
なしニ取上可被返下候、尤質屋幷買主ともより質取買取
いたし候節より十三ヶ月内ニて、賣拂有所不相知候ハヽ、
是又筋次第ニは代錢被返下筈ニ候事
五月廿五日