津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川家・山手田町御屋敷跡か

2018-11-18 14:09:37 | 徒然

                  
 ヤフオクを眺めていると、思いがけない珍しいものに出くわす。   
これもその一つだがこれは絵葉書で、細川家の田町の御屋敷跡だといわれる場所が分譲された際の案内状らしい。
      絵葉書10■東京■芝・田町細川幽齋邸跡分譲地の一部 ★戦前実逓便 Yahoo!かんたん決済

裏手にはこの案内を受けた方の住所が書かれている。時代は戦前とあり漠然としている。
しかしここにある細川幽齋邸跡というのは当たらない。
田町邸が細川家の所有になったのは綱利代であるから、幽齋公の四代の孫の代からという事になる。
田町邸は旧東海道を挟んで山手屋敷と海手屋敷があった。海手屋敷はまさに海岸に面していたが、現況では品川駅構内(三田八幡宮前)であり、山手屋敷は尾張屋版・江戸切絵図では土岐美濃守屋敷(
三田八幡宮横)と記載されている。この写真からすると裏手の鬱蒼とした森の状況からすると、山手屋敷跡であろう。

藤本修氏編著の「藩邸沿革」に詳しく紹介されているが、ここには珍しい二つの田町邸と下屋敷・白金邸が描かれている。
            
                   (いささかピンボケで御見苦しい限りです)       
   

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■度支彙凾 延享二より天明八迄 法令條論・十六(13)

2018-11-18 10:17:00 | 史料

 四五三
  安永二年七月御達
一町在之女夫婦之申分等ニ依て相對之離縁難叶節、御侍屋
 敷え推参、身分之儀頼候得は、直ニ奉公人にして仕被申
 候付、其夫御侍へ對仕仕方も無之、心外ニ存なから其分
 ニ押移、年月を經候得は無是非致離縁候者も間々有之様
 子ニ相聞候、右之通ニては下方風儀も不宜候間、以來右
 躰之女致推参候ハヽ、其懸之御惣庄屋又は町別當ニ委ク
 被申向、受取人差出候ハヽ直ニ可被相渡候、假令殺害之
 難を遁來候者たり共、在町役人へ被相渡候上は聊示之儀
 は有之間敷候ヘハ、銘々より救日申候同様之儀ニ付、若
 又右ニ付町在之役人不埒之筋候ハヽ御奉行へ可被申達
 候、尤男たり共右躰之申分ニて頼参候儀も稀ニは可有之
 哉、其節ハ右同前ニ可被相心得候、以上
   七月

 四五四
  安永二年貮朱判之事ニ付公義御觸
貮朱判之儀、御年貢金其外諸向上納金之内へ取交候は勿    貮朱判南鐐
 論、皆貮朱判貮ても勝手次第上納可致候、尤世上通用之
 儀彌以國々迄も斤と同様無滞可致通用候、勝両替切賃之
 儀貮朱判両替屋より差出、同買受候節は、引替賃銀両替
 屋へ受取可申事貮候處、心得違不同も有之趣相聞候間、
 以來右引替賃銀時々双場貮朱判壹両ニ付賣上四分買上分
 を限、格別不相應致間敷旨両替屋共へ申付候間、其分可
 被相心得候、以上

 四五五
  同年游行上人巡御國達
遊行上人明後十七日高瀬出立ニて、熊本宿坊阿彌陀寺へ    遊行上人
 着之筈ニ付、御曲輪宿坊迄之道筋屋敷/\掃除等有之、
 形儀桶は被出置ニ不及趣夫々相觸候様、受場廻之足輕え
 及達候、此段為御存知申達候、道筋之書附左之通
  出京町口より本町筋、京町氏家仁左衛門屋敷前、新堀    遊行上人府中入り順路
  御門、長岡助右衛門殿屋敷下御門、田中典儀屋敷前よ
  り冠木御門、小笠原備前屋敷前、法花坂より一丁目前、         冠木御門→住江御門か
  三丁目御門より細工町筋、阿彌陀寺へ参着之筈ニ候    
  以上

 四五六
  同年
一増奉公人之儀、六月以後暇を出シ被申候分は、跡柄相渡
 不申筈候段去年及達候得共、向後は六月以後たり共、以
 前之通跡柄相渡申筈ニ候事

 四五七
  安永二年御達
一近來面躰を隠し候頭巾を拵、途中ニてかふり候者數多有
 之、奉行所より尋者ニ紛敷候間、前々より有來候頭巾之
 外一切かふり申間敷旨、寛保三年従公義御觸之趣相觸置、
 猶寶暦十一年ニも右躰之かふり物仕間敷旨相達置候處、
 頃年猥敷烏亂者紛敷候條、彌以、以來面をかくし候かふ
 り物堅仕間敷候、右之通ニ付、若違犯之輩は御侍たり共
 姓名承届相達候様及達候條、家來/\ニ至迄屹ト可被申
 付候、以上
   十二月

 四五八
  安永三年人馬賃増方之儀ニ付御達
一御領内宿駅人馬賃錢之儀、公邊え御窺被遊先規之通本馬
 一疋壹里三拾貮銅、人足壹人一里拾六銅ひ仰付候、尤來
 月朔日より右御定之通被仰付候間、奉得其意末々迄堅奉
 承知候様可被相心得候、依之右御窺之通御書付左之通
 一私領内駅馬人馬賃之儀、享保之比銀壹匁錢双場八拾銅    享保・原文、銀対錢相場
  ニて通用仕候時分、本馬壹疋ニ付壹里三拾貮銅、人足
  壹人ニ付一里十六銅ニて致継合、右人馬賃三拾貮銅は
  四分、十六銅は貮分と數年來唱來候内、元文之比より
  壹匁之銀七拾銅之双場を以致通用候得共、此以後も銀
  目之積にて四分貮分と唱來候故、人馬賃ともニ三拾貮
  銅は貮拾八銅、十六銅は十四銅ニ相減、尤坂有之所は増
  賃も右之割合ニて受取來候由、其節右之儀可相糺處、
  下役人共無心付、人馬賃錢相減、宿駅之者共難儀仕候
  段申立候、依之西國・中國筋人馬賃之儀為承候處、私
  双場ニ不拘、本馬壹疋三拾貮銅、人足壹人十六銅之積
  ニ相定候様仕度候、尤西國筋駅々同様之賃錢ニ罷成候
  儀故、往來之旅人之難儀と申筋も有御座間敷候間、先
  規之通可申付哉、此段奉伺候、以上
   四月十日          御名
  [付札]「何之通人馬賃錢増可被申付候」

  四五九
   安永三年七月貮朱判之儀御觸
貮朱判いまた京・大坂えも不行渡、為替等も難取組、江     貮朱判南鐐
 戸表諸問屋より彼地問屋え拂等も差支候様相聞候間、猶
 又貮朱判吹高を相増、月々銀座より大坂御金蔵え差登せ、
 於京・大坂も通用有之筈ニ候間、諸問屋拂は勿論、為替
 等金と同様無指支取組、彌無滞通用可致候、右之通町々
 え相觸候間、其旨相心得無滞通用可致候、以上
   七月
 

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■市長選挙

2018-11-18 07:54:37 | 熊本

 朝の散歩もそろそろ150日になる。大降りの雨にたたられることもなく皆勤である。
体内時計が良く働いて、朝起きもとくに苦痛ではなくなった。今日の起床は6:00ジャストだったが、今日が市長選挙の日であることが頭に浮かび、少々時間をずらすことにした。
市長選挙は近くの中学校が会場だが、投票は7:00からである。
その時刻に会場に行きつくように6:30に我が家を出発して、いつもとは違うコースをたどり時間を調整する。
6:46が今日の日の出の時刻だが、あたりがすっかり明るくなったころ1・2分前中学校の正門に到着、しかし校門が開いていない。
地震のせいでこの学校も被害を受けていて、体育館の改築その他が行われていて、投票所は裏手の門から入るらしい。

プレハブの投票所に入ると、なんと私が一番乗りであった。
一番のりには御役目がある。それは投票箱の確認である。担当者が投票箱を開き、立会人と私とで投票箱に何もないことを確認、施錠されてOKとなる。
そして第一号で投票をすませて帰宅した。
多分20:00の開票開始と共に二選を目指す現市長に当確が出るだろう。
現市長の一期目は、地震の後始末に明け暮れた様に思う。二期目に入り独自の施策の実現へシフトされるのだろう。

雲一つない良い天気の朝だ。毎日の日課となった、帰宅してから自ら沸かすコーヒーが今日はやけにおいしい。

       追記:案の定20:00過ぎに、現職大西一史氏の当確がテロップされました。

       追記:確定     1 大西一史   無所属  165,403
                 2 しげまつ孝文 無所属  20,780

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