四七三
安永五年八月
一來ル十五日御祭禮之節、社家乗馬被差出候處、近年馬追
共陣笠着せ被申候、右躰之儀有之候ては屋敷/\を權高
ニ申、却て於下方不法成儀も有之様子ニ付、都て陣笠着
せ被申候儀可被指止段、御家老中被申段候間、左様御心
得被成候様可申達旨ニ付如此御座候、此段御同役御留守
居大頭衆へも可被仰達候、以上
八月二日 御奉行中
氏家甚左衛門様
尚々、若雨天之節は手入迄ニ着せ被申候由ニ御座候、以上
四七四
安永五年十二月御達
一御家中家來末々之者共、於町家間々買物等ニ事寄、聊之
申達を言葉質ニ取難題を申懸、或ハ酒店抔ニ参價ニ不応
酒を乞、不會尺ニ有之候得は色々申分抔致、商賣之妨ニ
相成候様子ニ相聞、不届之至候、以來於相顕は被差通間
敷旨、主人/\より屹ト可被申付候、以上
十二月
四七五
安永六年正月御達
一御家中下々奉公人給銀之儀、前々より被定置候處、近年
過分之増銀申出、抱方も及難澁候様子相聞候、以來彌以
不都合之抱方無之様可被相心得候、自然不埒之儀申出候
奉公人有之候ハヽ、其段急度人置所へ可被相達候、若右
之通ニて抱方致難澁、家來不揃之内は、供廻りいか様減
召連被申候共不苦候條、被得其意組中へも可被達候、以
上
正月廿六日
四七六
同年盲人支配之儀ニ付公義御觸
一都て百姓・町人之盲人ニ候ハヽ檢校仲間之弟子ニ成、夫
々之渡世修行いたし、第一官位を心懸候筈候處、近來檢
校之弟子ニ不相成、琴・三味線等、針治・導引を渡世之
種ニいたし、或ハ仕官之身ニ成脇差を帯候類之盲人多
く相成候趣ニ相聞、以來、百姓・町人之忰之盲人、琴・
三味線等、針治・導引を渡世ニいたし、又ハ武家へ被抱
候ても市中ニ住居いたし候ものハ勿論、主人之屋敷内に
罷出(在ヵ)候とも、右家藝を以他所をも相稼キ候者は、檢校之
支配たるへき事
一武家陪臣之忰之盲人ニても、市中ニ住居いたし琴・三味
線等、針治・導引を以渡世いたし候分は、是又檢校之支
配たるへき事
但、武家出生之盲人他へ被抱、市中へ罷在候共、稽古
場を拵弟子集なと致間敷、若弟子集いたし候ハヽ主人
之方相断、檢校之支配受へし
一百姓・町人之忰之盲人ニても、琴・三味線等、針治・導
引を以渡世不致、雑々手前ニ罷在候ても、己之者幷武家
え被抱主人之屋敷又は主人之在所え稼も不致分は制外た
るへき事
右之通可相守旨不洩様可被相觸候、以上
十一月
四七七
安永六年公義御觸
一東海道往來之輩、桑名を追越熱田より四日市宿へ直渡海 熱田~四日市 十里の渡し
有之分、以來は登り下り共其驛先觸え書載せ可申旨、寶
暦十三年道中奉行より諸向へ令通達候處、其譯無之、先
觸差出候分は登り下り共急度桑名宿ニて継合可申候
右之趣不洩様向々え可被達候、以上
十二月
四七八
安永六年三月御達
一御家中春秋御扶持方望之儀、前以御惣庄屋懸合無之候て
は拂方難澁之儀も有之様子ニ候、依之、以來は大豆望同
前ニ知行所より年々石數無相違受取被申候分は、其段今
度御惣庄屋え得斗差答、往々共拂方支無之との趣被承届
置、當秋よりは承合ニ不及、毎歳石數増減等有之候ハヽ
其節は問合有之候上差出可被相渡候、且又知行所外より
受取被申候面々は勿論、年々春秋御小庄屋え承合相濟候
上、拂方支無之趣望差出ニ書記可被相達候事
三月