四三九
明和九年
一御家中乗馬所持之儀、頭々より書付取揃四月廿九日限被
相達候事候處、以來右書付は頭々手前ニ受取被置、頭々
より一紙帳面ニ相記可被差出候、尤一疋/\何毛何歳と
申儀書記可被申候
但、右月限以後馬被求、或は放被申候節之達ハ、今迄
之通其時々相達、且又毛付年付書記可被申候
四月
四四〇
明和九年
一於追廻馬場御侍衆騎射稽古之節、為見物男女群集不形儀 追廻馬場→藩主居館花畑邸の裏手にあった専用馬場
之様子ニ付、自然と稽古之妨ニも可相成候條、以來御侍 絵図の上部に見える。
中之外猥ニ見物人集り不申候様ニ、押之者を差出制せ可
申候條、稽古定日之儀永井平右衛門へ被相達、且又不時
ニも稽古日相催候節は、前日/\右同人へ可被相達候事
一急用之節は格別、熊本中早乗は不被致筈ニ候間、其通可
被相心得候、尤遠乗等ニて専ラ往來之遅速試有之節は、
熊本中より早乗も可被致事ニ付、其前日永井平右衛門へ
可被相届置候事
一屋敷前/\ニて責馬被致候節、往來之妨ニ不成候様可被
相心得候事
右之趣觸之面々へも可被相達候、以上
五月八日
四四一
明和九年
一御家中乗馬所持之面々、糠藁代渡方之儀ては追々及達
候、然處、當八月渡より以來は御郡間より被渡下筈候、
依之左之通
一糠藁代被受取候面々、印鑑壹枚宛當月中銘々より御郡
間え可被差出置候、尤以後印形被改候ハヽ其趣を以改
候印鑑可被相達候事
但、新二乗馬被求候面々も同前之事
一八月・十二月両度ニ半分宛被渡下候ニ付、右印鑑之印
帋は其時々銘々より直ニ御銀所へ差出受取可申事
但、當八月之儀はしらへ方濟兼候條、十五日以後よ
り被渡げ筈候
一右之外之儀は追々及達置候通候事
六月
四四二
明和九年
一御家中乗馬飼料大豆之儀、五月以後十二月迄之内新二馬
被求候段被相達候得は、其時々拂方達事ニ候、然處右之
通ニては際限無之、在中及迷惑候様子ニ付被改、今年よ
りは年々九月廿九日限達有之候分は及其達、十月朔日以
後ニ相達候分はたとひ九月中馬被求候共、其年分之大豆
は不被渡下、翌夏より被下筈候事
七月廿日
四四三
明和九年
一御家中家來/\諸事相慎候様、主人/\より被申付候儀
は勿論之事候、別て御家老中之儀は御役柄之儀ニ付、家
來へも兼て稠敷御申付有之事ニ候得共、間にハ心得違之
者も可有之哉、外向ニて之儀は、右屋敷/\へハ不相知
儀も可有之候條、右家來/\町在其外何方ニても萬一法
外之事有之候ハヽ、下々は不及申刀指たり共都て無用捨
其筋ニ随ひ手強取計、殊ニより候てハ其所ニ押置、右屋
敷/\え相知候ハヽ早速役人罷出引取せ申ニて可有之
候、其外輕キ事たり共相變儀は善悪ニよらす、其所々役
人方より内々相知せ候様、御役柄と申とて遠慮可仕譯は
無之事ニ候、此段内意申聞候様御家老中比仰聞候旨ニ付、
右之趣寶暦九年月司え書付相渡、別當・町頭幷組頭共
奉承知居候様申聞置候、然處今以間ニは酒店等ニ御家中
手廻躰之者入込、理不儘之取計有之甚迷惑之筋有之候得
共、屋敷柄ニ對内分ニて押移、屋敷/\え不相答様子相
聞、先年被仰付置候處ニ相背心得違之事ニ候、右躰之儀
致増長候ては一統之風俗引亂候事ニ付、以來理不儘之仕
形等有之候ハヽ、先年被仰付候通相心得、何レ之屋敷
柄たり共無遠慮相答候様、若又其節之趣次第ニハ町方根
取迄申出候様ニも可仕候、此段猶又可申聞旨ニ候
右之通候條、先年之趣を以別當・丁頭・組頭共奉承知、
組内之者共えも不洩様寄々申聞候様ニ、懸/\へ可
被達候、以上
八月
四四四
明和九年
一道方之儀、以前は受込被仰付置候處、寶暦六年比指止候、
然處今度道方之儀御掃除方分職之皆共幷御掃除頭へも兼
帯被仰付候、依之、御曲輪内道筋之損所或ハ往來之障ヶ
間敷儀有之所々ハ、其屋敷/\へ御掃除方より直ニ相答
申筈候間、被任其旨候様及達可申由御家老中比申聞候
間、左様御心得、御仲間中え御通達、御組々えも御達可
被成候、以上