津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■度支彙凾 延享二より天明八迄 法令條論・十六(22)

2018-11-27 06:47:57 | 史料

 四九九
 天明二年十二月御達
一御家中え相渡候年頭門松、五段相應之松無之候得は延立
 候松をも剪り五段ニ拵候故、元木年々減候、然處何レ之
 御山も當時小松勝ニ手御用木之指支ニも相成候間、來年
 図より三段松被渡下旨、依之随分小松之丑より相渡候様
 及達候、尤立山所持之面々は今迄之通段數勝手次第之事
           
錦絵にある江戸時代武家の門松

 五〇〇
 右同御達
一年頭門々ニ有之候飾縄、若年之者共忍々ニ剪取候儀有之
 由、小兒之致方とハ乍申名目ニおゐて筋悪敷事ニ候間、
 卑賤之者野子供たり共、右躰之儀堅不仕候様達候間、御
 家中家來/\えも稠敷可被申付候、萬一此已後右躰之儀
 候ハヽ、見合次第何者たり共捕候て其名を承届相達候様、
 廻り役之者へ申付候條、其段をも可被申付置候、右之趣
 拙者共より可申達旨御座候、此段御同役へ御通達、御組
 々えも御達可被成候、以上
   十二月

 五〇一
 天明三年八月御達
一於御府中末々博奕等敷儀有之、右ニ付て烏亂躰之者入込
 候様子相聞へ候、依之御侍中居屋敷長屋/\之儀は主人
 より彌堅申付有之、在宅ニて熊本屋敷え屋敷借躰之者被
 指置候面々は、申付届兼可申候間、右躰之屋敷ニて不審之
 儀も有之候得は、廻り役入込見届申筈之段明和八年七月
 及達置候處、今以密々相企候様子ニ付、町在ニて手遊等敷
 事ニ寄候所も有之候ハヽ、向三軒両隣申談急度相達候様、
 若隠置脇より於相顕は向三軒両隣ともニ御咎可被仰申付
 ニ付、其段申觸候間、御家来中之儀先年及達候通彌堅被申付
 候様、觸支配等不洩様可及達旨御用番被申聞候間、左様御
 心得此段御同役へ御通達、御組々えも御達可被成候、以上
   八月三日           御奉行中

 五〇二
 同年十月公義御觸            
地神經を讀、諸祈禱相勤候盲僧共之儀付て、青蓮院御門
 主様御使者を以御届被仰進候御口上書之寫一通相渡候、
 然處御國中二ては座頭組之外、御書付ニ相見へ候無本寺   本末制度
 ニて諸祈禱等相勤候旨僧と申者無之候得共、座頭共之内
 地神經を讀、土用祓等渡世之助ニいたし來候者も有之様
 子ニ付、此等は盲僧之名目ニ可相成哉、先右之類被遂吟
 味一手永限名付取揃可被相達候、勿論只今迄は右躰之他
 業仕候者も、以來は相止、座頭之業一遍之諸藝ニて可致
 渡世と申出候者は、今迄之通座頭組ニ罷在候儀子細無之
 間、其段をも御惣庄屋より委ク申聞、是又書附取揃指出
 候様可被相達候、以上
   口上之覺
 地神經を讀、琵琶錫杖を以諸祈禱相勤候盲僧共、中古以
 來無本寺ニ候處、當月六日於阿部備中守殿御宅、寺社御
 奉行御列座ニて青蓮院御門跡御支配ニ被仰出候、尤年久
 敷無本寺ニ候故、陰陽家或は山伏、琵琶三味線座頭等之仲
 間え入候族も有之旨相聞候、勝手ニ付右仲間え入、其業計
 相勤候者は格別、盲僧之作業相勤候分不殘當御門主御支
 配ニ候間、外仲間え入候者盲僧之作業不相成候、右御支
 配被仰出候儀従公義も可被為相觸候事候得共、一應御届
 被仰入候、右ニ付人別改且作業勤方被相糺候上、猶又従
 御門主被仰達候儀ニ付、近日御國々在々え役人共被指向
 其節右之趣差支無之様兼て御下知之儀宜頼思召候、以上
  七月       青蓮院宮御使 鳥居小路式部

 五〇三
 天明三年十一月御達
一博奕制禁之儀は兼々被仰付置候處、猶又密々ニは相企候
 者も有之様子ニ付、町在共博奕等敷事ニて打寄候處も有
 之候ハヽ、向三軒両隣申談急度相達候様、若隠置脇より
 於相顕は向三軒両隣共御咎可被仰付旨、先達て相觸置候
 通彌以可相守儀候處、至て密々ニ相催候類は、向三軒両
 隣とても承付不申儀も可有之哉、依之左之通
 一町在博奕之儀致見聞候ハヽ、何物たり共可致内訴事
   但、博奕之同類たり共、内訴致候者は其積をゆるさ
   るへき事
 一博奕ニ負候者致内訴候ハヽ、吟味之上其負候分之銀錢
  急度取立相渡、是又其積をゆるさるへき事
 右内訴之儀は封印之書附ニいたし、何れ之御奉行宅へな
 り共密ニ可致持参候、尤右書付之上
封ニ名を書附候ニ不
 及、内ニハ何方何某と名を書附可申事
 右之通夫々可相觸候、以上
   十一月

 五〇四
 天明三年十二月御達
一來年頭門松差出ニ御郡代加印有之候節、長ヶ六尺以下之
 松相拂候様肩書有之候由之處、右之儀は間違ニ付、六尺
 以下ニ不限、相應ニ小振之松相拂候様申付可有之段及達
 候事
  十二月

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