津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「市井雑式草書附録」(22)

2019-03-06 05:52:19 | 史料

 一七二 文政八年六月
一町中の者、御侍中其外御家人中え對、無禮無作法の躰無     御家人→熊本では一領一疋と地侍を御家人と呼ぶ。(宝暦四年)
 之様可相心得段は、寛政元年以來追々及達置候、且又御         一領一疋(郷士)→地侍の上役とし、「由緒これ有る諸浪人」
 侍中は勿論、惣て刀を帯候面々市中通行の節なと、店向         宝暦年間一領一疋263人、地侍188人
 ニ罷出居候もの共無作法之躰無之様ニとの儀は、文化十                          惣庄屋の許一両人が助役を勤め、勤料を被渡下         
 四年六月委細一統及達置候、就中、町家店向ニおゐて
 作法筋の事、其餘一躰心得方之儀付ては、去ル午年教諭
 書壹冊相渡置、年々正月影踏跡にて讀聞せ、其餘町役よ
 りも無間断申示せ候通候處、間ニは今以裸ニて店向ニ罷
 出居、足を投出、或は寝轉ひなといたし、無作法の躰も
 有之様子ニ相聞、不埒之至候間、以来屹ㇳ心得違之儀無
 之様、途中通行の節たり共、刀差ニは脇ニよけ候て敬シ
 罷通可申、惣て御家人同士は身分之輕重ニよつて、敬禮
 之差別も有之事候得共、末々のもの右躰の譯ニ泥ミ候て
 は不慮の不敬不禮も致出來候ものニ付、兎角刀を差候人
 ニハ慇懃ニいたし不申候ては不相叶儀と致覺悟居候得
 は、心ならさる不禮ヶ間敷儀差起こ可申様も無之候得共、
 畢竟、末々之ものとして御家人席之高下ニ寄、應對之差
 別有之なとと根元不遜成心底之緒よりはへ出候事ニ付、
 此境能々勘辨いたし、聊も無禮ヶ間敷儀無之様、相心得
 可申段、五ヶ所町え及達候事

 一七三 文政八年十二月
一市中ニて子供遊ニ駒を打候は其分之事候處、間ニは打紐
 ニて駒を高クはね揚け、紐ニて受留候仕形をいたし候も
 の有之、過て往來之人ニ當り、怪我なと有之候ては難相
 濟事候間、不敬等より心を付、駒をはね揚候事は屹ㇳ差
 留可申旨、惣月行司え書付相渡候事                                         
                                                                       

 一七四 文政九年七月
一町家之者、於途中刀を帯候人ニ無禮之儀無之様との儀は、
 追々御達も有之事ニ候處、以來彌以町家之者は勿論、其
 外寺社支配等、無苗之者は帯刀之人ニ行逢候節、無禮之
 儀等不致様、尤供廻或は先拂等ニて通行之人ニは脇ニ寄、
 笠鉢巻を取、かかみ居候様、寺社町一統え及達候事

 一七五 文政九年十二月
一町家豪富之面々、敦も家業相勵、祖先以來之家名致連續
 候様ニ心懸有之由尤之事候、彌以聊無油断思惟を凝し、
 家内之和順は勿論、召仕之者ニ至迄不憐慇之儀等無之様
 ニ取計可有之儀肝要ニ候、然名から間ニは心得違之族も
 有之、祖先より仕置之餘澤ニよつて富饒ニ過候所ニは不
 心付、様々心之儘ニ榮曜を振舞候内ニ餘計之給銀を出、
 給仕女抔と唱内證ニては妾之躰ニもてなし、彼是過當之
 所業も有之哉之唱も有之由、惣て家事は貴賤貧福之無差
 別、家内一和を以こそ立行事候處、亭主より氣儘之振捌
 有之候得は、自然と夫婦之間柄も和義を失候のみならす、
 家内も身勝手を振廻候様成行候ては失費之筋は不及申、
 萬事家事亂雑ニ至、召仕之者よりも侮レ、惣身代零落い
 たし、家名も廢滅ニ及候儀顯然之事ニ付、兼て衣食住ニ
 不足無キニ就ては、家名興隆いたし候先祖之御澤を、且
 暮忘却無之、家業を營み候様委可申達旨ニ付、寄々通達
 いたし候様、惣月行司え書付相渡候事

 一七六 文政十年十一月
一例年嚴寒差向候得は、各支配内一衣不着之もの共不及飢
 寒候様ニ、遂年取救來候處、何之申分も無之有力達者之
 もの等、一衣不着ニ居候は、全銘々不心得ゆえ之事ニ付、
 夫等之類は救不申候て、其段被相達候様ニとの儀付ては、
 委細天明八年及達置候通候處、近年間々右躰之者有之哉
 ニ相聞夫心得の至、第一於風俗難相濟事候、根元鰥寡
 獨、其外病者不具之類、或は非常之災難等ニて、一衣不
 着之者、其身の力ニ難及、難澁之譯ニ被對、御仁慈の筋
 を以取救候様被仰付、其功を夫々被賞候事ニ候ヘハ、取
 も直ス、上より之御救ニ候處、右躰之者如何相心得候哉、
 平日己か振捌は自由ヶ間敷候ても被取救候節は義理も恥
 も無之、人並ニ口を張居候抔、重疊不埒之至候間、以     =剰(あまつさえ)
 來右躰之者有之段於相聞は、屹ㇳ御吟味之上町人末座ニ
 被仰付筈候、若其上ニも心底不相改、産業不心懸ニて     →むだに、いたずらに
 ニ日を送候ものは、一統風儀の妨ニ相成候間、猶稠敷被
 仰付筋も有之候間、其趣能々相心得候様、常々各以下、
 役筋より之教示は不及申、五人組抔よりも無油断心を付、
 氣立能成立産業ニ心懸、救を受不申程之身分ニ相成候ハ
 ヽ、其段達有之次第、屹ㇳ御褒美被下置筈ニ付、委申諭
 候様惣月行司え及達、四ヶ所町えは右之寫を遣、夫々達
 有之候様及達候事
 
 一七七 文政十一年四月
一去ル朔日御婚禮御祝御用ニ付、先月晦日荒仕子共致泊番      細川齊護・浅野益姫
 候付て、蒲團・蚊帳差出候様ニ御賄物所より惣月行司え
 直達有之候由ニて、夫々割賦之被及沙汰取計候内、出京
 町より差出候品々麁抹ニ有之差返候處、引替品及延引彼
 是不行届之段察討有之、心得方之書
付をも受取ニ成候由

 之處、右は荒木和三郎より差出候品ニて有之たる由、右 
 ニ付て同人より内意の趣有之候付及吟味候處、御賄物所
 より惣月行司え直達ニて取計ニ相成候稜は、前々より員
 數の究有之、右躰之儀不時ニ直達ニ相成候のみならす、
 筋違より身分心得方等差詰ニ成候次第、於皆共不落着之
 趣委細及問合候處、右は全彼方間違之筋有之、不念之取
 計いたり居兼、以來之儀は屹ㇳ示合置候との儀申來候間、
 向來惣月行司之心得にも相成候儀、旁左様承置、和三郎
 えも及通達置候様極、内意ニおよひ候段、惣月行司え申
 達候事

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