津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■四冊はさすがに?

2019-03-23 16:46:40 | 書籍・読書

           

 
 今日は少々暇を持て余して、本棚の整理をしたり、地震後まだ開いていない段ボールの中身を確認したりしている。
写真の山本博文氏の名著「江戸城の宮廷政治」は細川家初期を知るうえではバイブルのようなものである。
これがなんと都合四冊顔をそろえて、私自身が驚いている。これに文庫本も別に一冊ある。
但し一番左は除籍本である。これは書き込み専用である。
この本はこれとは別に、数冊購入しては人様にプレゼントした記憶がある。
四冊はさすがにひんしゅくもので、いずれは何方かに差し上げるかどうか、しようと思う。
同じくバイブル的著作、戸田敏夫著「細川家史料による・天草島原の乱」や「戦国細川一族・細川忠興と長岡与五郎興秋」も二冊ずつ本棚に並んである。
わが本棚は収蔵能力を失い相当数の本が段ボールに入ったまま、読みかけの本はまさしくデスク廻りに積みあがっている。
これ等の余計分の本はまた段ボール行きの運命であるが、なんでこのようになったのか自分でも不思議に思っている。
爺の健忘症も極まったか・・・歳はとりたくないものだ。

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■融姫様

2019-03-23 07:20:27 | 歴史

 細川齊茲公には四男六女のお子がある。もっとも本家相続前に立禮と名乗り宇土支藩の藩主であったころ、一男がある。
次の藩主となった立之公である。男子二人が夭折、二男茲詮は23歳で亡くなった。
女子は五人(二女~六女)五人が夭折しているが、この五女の融(アキ)姫は齊茲隠居後の子であり、濱町屋敷で誕生している。
すばらしい画才をもつ齊茲は末娘の耇姫像の模写絵を残しているが、こちらは自らの筆によるものである。
指をおしゃぶりしているのか、ほんとうに可愛らしいふくよかな赤子の姿を捉えている。
二月朔日に生まれて七月十八日に死去しているから、死の直前といってよいだろう。
その姿から暑い夏を感じさせるが、赤子にとっては厳しい暑さであったのだろうか。

ちなみに妹である耇姫は、融姫の10歳年下の妹であり齊茲公64歳の時のお子である。

                                                       

                                    「細川家の700年・永青文庫の至宝」から
 

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