津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「市井雑式草書附録」(25)

2019-03-09 12:58:00 | 史料

      (一八三 つづき・二)
一町家之者、御侍中其外御家人中え對、無禮無作法之躰無
 之様相心得、於途中御侍見受候ハヽ、不敬ニ無之様かた
 より罷通、人寄之所ニても成たけよけ候て通り歟申候、
 惣て刀さし以上は勿論、其外之人ニ對し候ても無禮なる
 儀無之様相心得可申候
一家・蔵・屋敷・家財等子弟ニ分遣度ものハ、五人組・丁
 頭へ當テ譲状認、封印ニて渡置候様、死後跡式出入有之
 共、譲状之外配分難成候事
  但、譲状本人一生は開封無用、存生之内認替は不苦
一町家之者旅人問屋より被雇、御府中旅人案内は不苦、旅
 人より相對ニ御府中見物之案内ニ罷出候儀は堅仕間敷候
 事
一他所より入込候町人商賣者代銀は、御國之産物を以可致
 交易事
一町家之者半弓射候難成候事
一にしき繪商賣仕間敷、且又、子供日傘ニにしき繪張り交
 せ候儀無用之事
一座頭組ニ不入もの琵琶を彈キ座敷等勤候儀停止之事
一正月十五日夜綱引候儀停止之事
一有力達者之者一衣不着ニて救を受候ハヽ、町人之末座た
 るへき事
一町家相對借物等、浪人躰之者ニ頼取立貰候儀停止之事
 右之通堅相守、右之外追々之御觸等、萬端心を用相慎、
 家内末々ニ至迄不絶懇ニ相示可置事
  文政十二年丑年七月

 一八四 文政十二年九月
一百姓町人として火術稽古いたし候儀は難叶儀ニ候處、所
 ニより候ては以前より之致來なと唱打揚、流星其外種々
 之火術を企候儀も有之哉ニ相聞、不埒之至ニ付、以來彌
 以禁止被仰付、萬一違犯之者有之候ハヽ、差押御吟味被
 仰付筈之段、五ヶ所町え及達候事

 一八五 文政十三年正月天保改元
一當年よりは影踏跡ニて教諭書・御法度書両様、組頭以上
 ニ讀聞之手數有之、其上ニて別當より即日小前/\讀聞
 之ヶ所も可有之候間、隙取候ては相成申間敷、仍て教諭
 書・御法度書組頭以上え讀聞は、たとひ懸りまたけ候て
 も、一日一ヶ所ニ被究置、御條目賣渡も成たけヶ所相減
 候様取計候様、別當え及達候事

 一八六 天保元年二月
一近來町内子供遊ニ小刀を持参候事、専流行いたし、其身
 にも怪我をいたし、他之子供え疵を付候程之儀も有之た
 る哉ニ相聞候、小刀ニ不限、辨なき子供遊ニ刃物を取扱
 候ては如何成怪我可致出來哉も難叶候間、丁役は勿論、
 不敬之輩より能々心を付、刃物類堅持遊不申様制候様、
 惣月行司え書付相渡候事

 一八七 同年閏三月
一貮尺以上之たつ揚申間敷との儀付ては、追々及達置候通
 候處、近來心得違之者有之哉二相聞候付、此節御家中一
 統達二相成候寫、惣月行司え差遣候事
  貮尺以上之たつ堅揚申間敷、萬一心得違之輩有之候ハ
  ヽ、急度可被遂御吟味旨、寶暦十一年及御達置候處、
  年隔候故不存輩も有之哉二相聞候間、彌以可為前文之
  通旨、一統及達候様御用番被申聞候

 一八八 天保元年五月
一町家之者共、近來揚弓會を所々にて相催候様子ニ相聞、
 揚弓は武器と違、極老之者なと樂ミニは町人二ても取扱
 申間敷ものにも無之候得は、一概ニ被禁ニては無之候得
 共、壮年之者遊翫ニ揚弓射賭勝負等いたし候ては、第一
 家業怠りニ成候のみならす、雑墜も有之、彼是心得違之
 至候、且又其身ニは翫不申、揚弓場所迄しつらひ、損料
 借ニて人集いたし候者も有之哉ニ相聞、是等は別て不都
 合之至ニ付、右躰之儀致増長候ては、於風儀も不宜候間、
 屹ㇳ差留候條、以來心得違之者無之様、別當より心を付
 候様、惣月行司え書付相渡候事

 一八九 弘化二年六月町日帳
一市中之者共、養子取組且女子縁約之節は、各え相達差圖
 之上取極可申儀當前ニ候處、是迄其手數無之共にては無
 之哉、演壇之儀は重キ事柄ニ付、以來不洩様右之手數い
 たし候様、町中一統小前々々得斗示置候様、惣月行司別
 當え及達候事

 一九〇 安政二年六月
一市中之者鶴を賣候儀不苦哉と御穿鑿役より問合來候付、
 及吟味候得共、前々より立ニ相成候事も相見不申候、畢
 竟、鶴を取候事は公義御法度ニ付、賣買之儀殊更ニ被禁
 候事も無之ものと被考候、仍て不苦否之境町方より取切
 候返答もいたしかたく候間、其趣刑曲え申談候處、彼方
 ニては追々猥ニ鶴を賣買いたし候者は違犯之御刑断被仰
 付候見合有之、其律ニ狂候返答は難相成候間、此節之儀
 彼方より取切候て難叶と申向ニ相成候筈ニ付、以來共町
 方之御定法ニ相成候様有之度との返答ニ付、局中申談其
 通相決候、仍て見合之ため扣置候事

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