一諸役人段以上之者被召捕候節は、御家老中え相達候上及
沙汰候、難被差延者ハ跡達ても相達候事
但、御目附衆付御横目も被指向候、尤御侍浪人なと被
召籠候節は、板乗物も被指越候事
[付箋]「寶暦九年六月十一日
一御勘定所物書歩御小姓列蒲原久大夫、今日口問場よ
り直ニ役割所明間ニ被留置候、此節御家老中え相達
可申哉と申談候處、久大夫儀被召籠候と申ニてハ無
之、明間ニ被留置候事ニ付達ニ及申間敷候、追て問
方有之、明間ニ難被差置、本牢なとニ被召籠と申ニ
成候ハヽ、其節御達可申と申談候事
[付箋ノ朱書]翌日
『同十三年五月御作事所御横目歩段、苅山儀兵衛
ニても此例之通ニ不及候事』」
[付箋]「此付札ノ趣ニ候處、左之通
御天守方根取獨禮
坂田丈右衛門
田久保 吉平
寶暦九年七月三日
右両人明間ニ被留置候ニ付、御家老中達之儀猶又申
談候處、右両人は御天守方根取ニて、殊ニ両人共ニ
被留置、彼方明申候儀ニも有之、獨禮ニても有之付、
御家老中え達置可然と書付を以、今日御用番被相達
候事
[付箋]「明和六年三月九日
江戸古方御銀支配役池邉九蔵・大塚五平、口問場よ
り直ニ役割所圍ニ被召籠候、此儀平太左衛門殿え早 平太左衛門→大奉行・堀平太左衛門勝名
速相達申筈之處、早ク退出ニ付翌日相達候、尤以來
右躰之節ハ、即日之御用番え相達可申哉と相達候處、
親類之士席以上相伺も可有之哉ニ付、旁右之通相心
得可申由被申聞候事」
一私欲筋を以被召籠候節は、其者諸道具ニ右御横目より致
封印置候様ニ可及沙汰事
一御侍中家來被召置候節は、搦被指出候様ニ其頭々え及沙
汰候、急成節は廻役へ押せ、追て其段頭え及沙汰候、長
屋借或支配之下々共被召籠候節は、廻役より押、其段追
て屋敷主或支配人え直ニ可及沙汰候
但、御穿鑿ニ付て呼出者も右ニ准
一本牢新牢番人、堅相濟候上、所柄之儀ニ付、別て入念相
勤候様ニとの趣、御刑法方根取より申渡せ候事
一牢内之者、或役割所圍幷明間ニ被入置候もの相煩候節は、
療治之儀御醫師之内え被仰付候事
一本牢新牢ニ被召籠置候者牢死之節ハ、御刑法方御物書見
届候事
一役割所圍明間ニ被入置候もの牢死之節は、役割支配役見
届候事
一御刑法被仰付候上、親類え被引渡候者ハ、支配方/\え
其段前以及沙汰候、若可請取親類無之ものハ生所え請取、
其者向後慎方之儀、御惣庄屋・村役人或町別當より心を
付可申候、尤幾日朝五時分高麗門新牢え罷越、何かし請
取人との儀御飛脚番小頭へ申達、連歸候上ハ、いつれ支
配人を相極候様ニとの趣、夫々可及沙汰候事
一亂心ニて被召籠置候ものハ、縦人を殺候ものニても、牢
内ニて致病気死、死骸親類請取度旨候ヘハ相渡候事
一御侍中、亂心又ハ不行跡或狼藉之仕形等ニて、上より被
召籠置候仁致牢死候節ハ、死骸旦那寺え遣、鳥目一貫文
相添、幷所持いたし居候品ハ不殘寺え遣取置せ候、尤其
談為存知御家老中え相達候事
但、四ツ手駕一挺、舁人荒仕子も四人被差出候、尤旦
那寺遠在ニて指支候節は、同宗之寺え取置せ候事 四ツ手駕
一新牢本牢ニ被召籠候者、又は出牢之節も、牢番人え御刑
法方御奉行印形之差紙を遣、番人取置之牢屋出入仕せ候
事
一本牢ニ被召籠候者又は出牢者、御奉行所口ニて御奉行中
之内見届候、御中小姓御知行取なと被召籠候節は、見届
人之儀御家老中え相伺日仰付候事
一役割所圍出入共ニ、御刑法方御奉行印形之差紙遣之、明
間之儀は、覺書を以出入仕せ候事