津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■植物採取

2019-03-26 09:57:41 | 徒然

 最近の日のでは6時14・5分、散歩の頃はすっかり明るい。
散歩も習い性となって歩くこと自体はまったく苦にはならなくなった。あまり変わり映えのしない狭い範囲の中での散歩だから、大した変化もないのだが、四季折々、植物の変化を眺めることが出来て興味深い。
広大な自衛隊の敷地や、周辺道路の並木などで緑に恵まれいて、植えこみを覗いてみると、実生で育った小さな植物たちを見ることが出来る。
時折、これを頂戴してプランターに植えたりしているが、夫々が春になって芽立ちはじめてその成長を眺めるのも楽しみである。
僅か2㎝ほどの「松」や、7~8㎝の四本ほどの「槇」(一本は小葉槇)、「もみじ」「けやき」それに小さくて名前の確認が出来ない木が数本ある。

そのうちに平鉢に「林」の如くに寄せ植えしようと考えているが、77爺にとって成長形は眺めることは出来そうにない。
折角、取ってきたものだから、暑い夏も日陰に置いたり、水やりを欠かさずにやったりして、枯らすことなく今日に至っている。

 また、メダカの為に水草を取に出かけねばと思っている。ついでに容器内を掃除してくれる「たにし」も手に入れたいところだが・・・
図書館に出かけた折、江津湖で取ろうと思っているが、水もぬるむ恰好の季節になった。

但し、77爺は乱視が一段と進み、植え込みの小さな植物などが良く確認できないようになったし、水中のタニシが捕らえられるかどうか怪しい限りではある。
「林」に仕立てるには、あと数本手に入れたいと思っているが・・・

追記:ようやく桜の開花宣言がありました。標準木の周りにマスコミ初め多くの人たちが集まって大変・・平和ですね~
   もっとも、熊本市内之あちこちの桜は既に二・三分咲きの状態ですけど・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■永源師檀紀年録・巻之四(2)

2019-03-26 06:24:56 | 史料

   天文
〇同十九年三月大樹父子坐ヲ穴太山ニ移ス、屋形父子等及ヒ右京大夫供奉ス。同五月四日前大樹義晴公薨去ス、
 春秋四十七、万松院殿ト号ス。同十一日大樹四明ノ宝泉寺ニ動座、屋形父子及ヒ右京大夫殿等供奉ス、同日
 屋形ノ舎弟形部大輔殿向ニ疾ニ依テ間適ス、剃髪シテ光庵入道殿ト号ス。屋形ノ右馬助殿形部少輔ニ任ス。
〇同年十一月三好長慶上洛シテ火ヲ大津ニ放ツ、屋形ノ連枝諸卒ヲ指呼シテ対陣ス。九郎殿 弥九郎殿
〇同廿年七月屋形及ヒ右京大夫殿ノ卒ト三好ト戦ヲ京中ニ挑ム。同九月二日屋形ノ末男、永源庵ニ入テ得度ス、
 永宋喝食ト号ス、字ハ玉峯ナリ。
〇同廿一年正月廿八日大樹入洛也、屋形父子等供奉ス。右京大夫殿途中ヨリ奔ル、二月次郎氏綱主・舎弟藤賢
 共ニ上洛ス、三好権ヲ執ル、松永モ相沿テ逆威ヲ振フ。
〇同年讃岐守持隆主ハ坂東ノ勝端ニ居テ三好義賢我ヲ蔑如スルヲ誅セントシテ西宮ニ密語ス、此ヲ漏ス、讃州
 角抵ニ託シテ義賢ヲ召ス、然モ殺サント謀ラルヲ聞カ故ニ応セス、却テ八月十九日持隆主ノ龍音寺ニ遊ヲ囲
 ム、讃州敗亡シテ見性寺ニ入テ自殺ス、徳雲院殿ト号ス、其子真之主家督ス。
〇同年九月二日屋形剃髪シテ、實翁播磨入道諱通真ト号ス。号ノ偈ニ
   千聖不法真面目塵々脱着自分明龍陀陳下雷霆令将難当百万兵
〇同年十一月廿五日刑部少輔頼勝主卒ス、亨(享)年廿也、永源庵ニ斂ム、善勝院殿刑部郎悦伝心公大禅定門    頼勝細川元常嫡男
 ト号ス。
〇同廿三年四月六日屋形ノ舎弟光庵入道殿卒ス、永源庵ニ斂ム、見性院殿光庵宗清大禅定門ト号ス。居士生前
 屋形ニ従軍シテ功アリ。
〇同年六月七日屋形疾甚シ、逝ント欲シテ世ノ危ヲ慮リ、屋形ニ伝ル所ノ朝廷恩賜ノ錦ノ旌、及ヒ足利家ヨリ
 授クル処ノ旗、並感賞帖数十通、屋形累代初伝ノ甲冑旗等、悉ク皆ナ永源庵ニ納メ、以テ児孫ノ興隆ヲ期ス
 今也。泉州ノ守護代松浦ハ我意ヲ以テ強キ時ハ自立シ、弱キ時ハ他ニ属ス、四国ノ領地ハ多ク三好等押領ス、
 摂・播・備ノ所々モ昨是今非マヽ交替ス、是ヲ以テカクノ如ナリ、又永源庵宗侍者ニ遺書等ヲアタフ
   淡路屋敷分・和泉守護屋敷分・両所地子錢、雖少分之儀、永代寄進申候、並硯箱・刀壱腰参候、弥可遂
   出家事肝要候、仍譲状如件 天文廿三年六月七日 永宋侍者床下 播磨守元常判
 コレ則チ卒スルノ十日前ナリ
〇同年六月十六日午ノ中刻播磨入道殿卒ス、亨(享)年七十三也、永源庵ニ葬ル、佛恩院殿故播州太守實翁通    播磨入道細川元常
 真大禅定門ト号ス、刑部大輔殿画師ニ命シテ真照ヲ繪シム、其賛辞曰
   百八殊玉轉音出凡入聖活機深画工何欠一離縻只繪清容不繪心
〇同八月十五日今ノ屋形ハ大樹ニ血脈ヲ分テルヲ以テ格別ニ昵近ス。
〇同年去六月七日屋形遺附ノ綾小路和泉守護屋敷四町町、及ヒ一條ノ淡路屋敷四町々ノ義ニ依テ、三淵大和守
 殿等ヨリ永源庵ニ授ル状ニ
   下々和泉守護分・淡路分、任当知行之旨可有寺納候也、仍如件 十二月十七日 永源庵床下 三淵大和    三淵藤英
   守藤英
   下々和泉守護分・淡路分、任当知行之旨可有寺納候也、仍折紙如件 十二月十七日 永源庵床下 一色    一色藤長
   式部少輔藤長
   和泉守護分・淡路分之事、任当知行之旨可有寺納者也、仍状如件 十二月廿七日 永源庵床下 沼田弥    沼田統兼
   七郎統兼判                                             幽齋室・麝香の実兄 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする