津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本県立図書館蔵「中路文書」目録(2)

2019-03-15 10:35:55 | 史料


131書付〔召抱えの下女津屋賞美のこと〕
132哥仙之御間■手燭之事 屯廻り御供之事他
133鐘之段之図 中路新之丞/写 -- -- --

134〔嘉永元年四月朔日月次御登城退出より直に観理院へ被為入候節の作法及び図〕
135烏森稲荷社図式
139公方家使者応接の図
140熊本水道丁宅地并旧住家等図
141公儀御験付 (細川藩時代)

142小倉路伊勢路道中記 [細川藩時代]
143山王社外四院社図,白金庭三社之図 [細川藩時代] 写
144山王御社参之図
146芝神明社新図
148上使雑事控
149上使并御登城草稿 (文政〜嘉永年間)
151書簡 新吾より両親あて
152書簡 〔長女縁談の件〕 11月21日
153書状 阿蘇郡永水村中路新之より中路新吾宛 
154書状 阿蘇惟興より中路新之宛 
155書状 市原源次郎より中路新吾宛 
156書状 甲野吉蔵より中路新吾宛 
157書状 佐藤興介より中路新吾宛 
158書状 島田数雄より中路新吾宛 
159書状 城山より中路新吾宛 
160書状 真藤義雄より中路新吾宛 
161書状 水道町安達謙蔵より中路新吾宛 
162書状 鈴木磯彦より中路新之宛 
164書状 鎮西館平山(岩彦?)より中路(新吾?)真藤(義雄?)宛 
165書状 鎮西館深水より中路新吾宛 
166書状 東京岡本源次より中路新吾宛 
167書状 中路源太郎より中路新吾宛 
168書状 東京樋口定より中路新之宛 
169書状 中路新吾より中路新之宛 
170書状 鈴木良吉より中路新之宛 
171書状 中路平吉より中路新吾宛 
172書状 永水村河瀬忞より中路新之宛 
173書状 深水清より中路新吾宛 
174書状 宮部敬弥より中路新吾宛 
175書状 山崎町阿部野利恭より中路新吾宛 
176書状 山崎町阿部野利恭より中路新吾宛 
177書状 山崎町阿部野利恭より中路新吾宛 
178〔神護寺東照宮御参拝之図〕
179〔神護寺江御出所被下候節之図〕
180〔水道丁の屋敷の書付〕
181惣代御使者之事
182泰勝寺御居間之図
183泰勝寺御惣廟之図
184泰勝寺御廟之図 安惟新/写 -- -- --
185泰勝寺御廟絵図 安惟新 -- -- --
186泰勝寺住職被仰付候控 安惟新/写 -- -- --
187題淵明帰来図
188高崎義恭係累書
189龍之口諸御間之図 杉谷/写 -- -- --
193〔中路新之丞譜代家来召抱えの書付〕12月23日
195年頭并雑事御国記録 (嘉永〜文久年間)
196〔若殿様御暇より御立迄之控〕
197若殿様御前髪被為執候節御式御刀持様之扣 天保年間 中路[新之丞]/写 -- -- --
198表海御間ニ而御大礼下調之図 1 杉谷/写 -- -- --
199表海御間ニ而御大礼下調之図 2 杉谷/写 -- -- --
200表海御間ニ而御大礼下調之図 3 杉谷/写 -- -- --
201譜代家来書付10月23日
202譜代家来書付2月8日
203譜代家来書付4月
204譜代家来書付8月3日
205〔譜代家来召抱えの書付〕12月23日 
206文久4年5月2日神護寺御宮御社参略図
207江戸御国御小姓役諸勤扣 細川藩時代
208江戸手控(文政〜嘉永年間)
209江戸手控 (天保〜安政年間)
210江戸年頭手控 (天保〜文久年間)
211牧岩銅山調書 坂梨 惟宗 -- -- --
212妙解寺御廟之図

213〔妙解寺御廟之図〕
214妙解寺御法事之図
215妙解寺惣御廟之図
216〔妙解寺之図〕
217良之助様御着一件
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■御恵贈御礼「金津於兎遺歌集」「日本近代医学史」

2019-03-15 09:42:25 | 書籍・読書

 インターネットの世界はいとも簡単に80年近い時の流れを埋めてくれた。
私が生れる前に父親が作成していた「親族の略系図」でのみ存じ上げていた「三従兄弟(みいとこ)」と引合せてくれた。
御恵贈いただいた「日本近代医学史」の著者・金津赫生氏である。

曾祖父を一にしているわけだが、曾祖父の岳父・上田久兵衛は高祖父ということになる。
その上田久兵衛について記したブログに書き込みをいただき、記名からすぐに判明し、其の後メールを通じて過去の時間を埋めるようにやり取りをしている。
今般二冊の書籍を御恵贈いただいた。「金津於兎遺歌集」は昭和51年に刊行された歌集である。
氏のお父上・金津於兎三郎氏の歌集である。亡くなった母から「句集」を出されたとの話を聞いていたが、今般「歌集」であることが判った。
今一冊はDrとしてのお仕事柄、「日本近代医学史」を上梓され、合わせてお送りいただいた。
厚く御礼申し上げる。

「姓」からお気づきだろうが、氏はガラシャ夫人に殉死をされた金津助次郎のご子孫である。
於兎三郎氏は御養子だそうだが、母方の姓・金津氏をお継ぎになった。ご夫人が父の二従兄弟にあたる。
そして今回頂戴した「歌集」にある「略系」から、於兎三郎氏は神風連の挙に参加され戦死された中垣景澄の孫にあたることを知った。
與倉中佐宅を襲撃するにあたり采をふり、連隊長旗を奪うも本人が不在であったため熊本城内に馳入り、火砲による反撃を受けて壮烈な戦死をされている。
この時代を生きた方々は、その強靭な意思により命を懸けて政治的行動をなし、あたら若い命を失われている。景澄氏は39歳であった。
改めて、「神風連血涙史」に目を通したが、お祀りしてある桜山神社にお参りに行こうという思いを深くしている。

私は一歳十か月ほどで父を亡くしたが、氏は五歳でお父君を亡くされている。戦中・戦後の厳しい時代を共に乗り越えて今日がある。
平成の時代が終わり、また新たな歴史が始まろうとするときに、音信を通してだが昭和の時代にタイムスリップしている。
この出会いを感謝しご厚誼を深めていきたいと思っている。

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