津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御恥辱をも顧みられず・・・

2019-12-01 07:09:44 | 歴史

「御代々様参勤帰国」という記録がある。
以下は「宜紀公」の時代のものの抜粋であるが、それまでの一年在府・一年在国許の原則が崩れていることが判る。
在国許一年はのちに一年半に変更された。

但し在府日数は実質半年だが、在国の日数は江戸を離れ帰国し更に次の参勤の江戸到着までそれぞれの旅の日数も含まれている。
この記録にも見える通り、享保七年幕府は万石以上の大名に万石当り百石の「上げ米」を命じている。
幕府は御恥辱をも顧みられず仰付られ」たのだが、七月三日に該当する大名は総登城のうえ此のことが申し付けられた。
偏に幕府財政のひっ迫が原因であるが、大名にこのような事を頼み込むことが「御恥辱」だという訳である。
その代わりとして幕府は参勤による「江戸在府」の緩和を申し出たのである。将軍吉宗の大英断である。

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一、享保七年二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 三月十五日大坂御着船 東海道御旅行 
  四月二日江戸御着
  此年公儀江上ケ米被仰付 御在江戸半年宛御免 御書付之内左之通
           辰三月参勤    細川越中守
           同九月御暇
              此翌壱ヶ年休息
一、同八年三月十三日御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行 四月九日大坂御着     ------+ 
   同所より御出船 同廿四日熊本御着                           | この間1年・熊本
一、同九年正月廿七日熊本御発駕 二月十三日大坂御着船 東海道御旅行 三月朔日江戸御着  ------+
                                            | この間6ヶ月・江戸

一、同年九月十三日御暇被仰出 十月四日江府御発駕 東海道御旅行 同十七日大坂御着   ----------+
  同所より御出船 鶴崎路御通行 十一月四日熊本御着                    |                   
一、享保十年御在国                                   | この間1年半・熊本
一、同十一年二月四日熊本御発駕 同廿日大坂御着船 東海道御旅行 三月六日夜江戸御着 ---------+
                                            |  この間6ヶ月 ・江戸
一、同年九月十三日御暇被仰出 十月四日江戸御発駕 同十七日大坂御着同所より御出船 --------+
  十一月七日熊本御着                                 |
一、同十二年御在国                                   |
一、同十三年正月廿八日熊本御発駕 鶴崎路御通行 二月廿日大坂御着船 東海道御旅行                | この間1年半・熊本
  三月七日江戸御着    -------------------------------------------------------------------------+

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 半年江戸に在府した宜紀は、「同年九月十三日御暇被仰出」たが、発駕前に日光にご社参などして江戸へ帰ったが、途中で病気になり江戸にとどまることになった。
万石当り百石の「上米」の制度は享保十五年まで続いたが、幕府財政の好転に伴い「在府半年・在国許一年半」の変則的な形は元に戻された。
1%の負担は大きいものであったが、それにもまして、在府にかかる莫大な費用の負担が減ったとされる。

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