津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川家家臣・土山家にかかわる史料 流出

2019-12-22 19:50:39 | オークション

 ヤフオクに細川家家臣・土山家にかかわる史料が大量に出品されている。
土山家は綱利公の生母清高院の実家の清水家との関りが見受けられるが、この史料に於いても裏付けが出来そうな感じがする。
また春日局の実兄・斎藤利宗(立本斎)の妹が、土山家に嫁いでいることを窺わせる系図も見受けられて興味深い。
これだけのものが一気に出るのだから、土山家にかかわり深いお宅から出た物であろうが、これらのものがバラバラになるかと思うと悲しい気分にさせる。

    ・ah35_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第3代 細川綱利 寛文?年
    ・ah36_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第4代 細川宣紀 正徳6年
    ・ah37_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(3) 肥後細川家 第5代 細川宗孝 享保19年
    ・ah38_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第6代 細川重賢 明和6年
    ・ah39_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(5) 肥後細川家 第6代 細川重賢 寛延元年
    ・ah40_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(6) 肥後細川家 第7代 細川治年 天明6年
    ・ah41_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川家 第8代 細川斉茲 天明8年
    ・ah42_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(8) 肥後細川藩 第9代 細川斉樹 文化9年
    ・ah43_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(9) 肥後細川藩 第10代 細川斉護 文政9年
    ・ah44_熊本士族 旧家初出 知行宛行状(10) 肥後細川藩 第10代 細川斉護 弘化4年
    ・ah45_熊本士族 旧家初出 知行宛行状 肥後細川藩 第11代 細川慶順(韶邦) 万延2年
    ・ah46_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 弘化4年
    ・ah47_熊本士族 旧家初出 知行所附目録(2) 文政11年 216cm
    ・ah48_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 寛暦11年 222cm
    ・ah49_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 131cm 明和6年
    ・ah50_熊本士族 旧家初出 知行所附目録 88cm 寛文?年
    ・ah51_熊本士族 旧家初出 江戸期 古文書 花押印有
    ・ah52_熊本士族 旧家初出 古文書 大量 まとめて 肥後細川藩 関係書類 大量 歴史資料
    ・ah53_熊本士族 旧家初出 江戸時代 家系図 古文書 肥後 細川家 美濃 斎藤家etc 貴重資料 大量 まとめて
    ・ah54_熊本士族 旧家初出 細川光尚? 細川綱利? 六丸様 書 紙本 肉筆 掛軸
    ・ah55_熊本士族 旧家初出 第6代 細川重賢 霊感院 一行書 紙本 肉筆 掛軸 九曜紋
    ・ah56_熊本士族 旧家初出 第3代 細川綱利 妙応院 書 紙本 肉筆 掛軸 九曜紋
    ・ah57_熊本士族 旧家初出 中国 馬之図 肉筆紙本 掛軸
    ・ah58_旧家初出 肥後拵え 金象嵌/目貫 太刀 日本刀
    ・ah59_旧家初出 肥後拵え /目貫 太刀 日本刀
    ・ah60_旧家初出 肥後拵え 九曜文/目貫 太刀 日本刀
    ・ah61_旧家初出 肥後鍔 /目貫 太刀 日本刀
    ・ah62_旧家初出 忠久作 肥後鍔 金象嵌 /目貫 太刀 日本刀
    ・ah63_旧家初出 肥後鍔 透かし /目貫 太刀 日本刀
    ・ah64_旧家初出 肥後鍔 金象嵌/目貫 太刀 日本刀

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■久武家との深いかかわり

2019-12-22 09:51:11 | 自分史

  私の親族に久武家がある。その祖・蔵之助親直は長曾我部元親の家老職を勤めた。
長曾我部家没落後、加藤清正に仕え、加藤家没落後は細川家に仕え、初代・千助が島原の乱で活躍して300石を拝領している。
その4代目・権左衛門は二男・丹太夫を分家(80石)として創家したが、その三女(1)が我が家の5代・太左衛門に嫁いだ。
一方時代が下って、久武本家の10代・弥左衛門(白川)の子・虎人に母方の祖父・篤人の姉・亀が嫁いでいる。
その亀の父が清四郎(3)、その父親・清太郎(2)は養子であり、我家の6代目・又之允の実弟である。又之允・清太郎兄弟は、久武丹太夫・三女の息子である。そして清太郎の娘が当家の7代又太郎に嫁いでいる。従兄妹同士の結婚である。
久武本家の7代・権之助は綺石と号する俳人として名を成したが、その弟が堀田家の養子となった金吾でその娘が清四郎の室・為であり、ここにも久武家とのつながりがあった。
この兄弟には有名な武勇伝が残されている。無礼討ちとその顛末 

 自分史をまとめる中で、久武家との深いかかわりを改めて感じながら文章にしたが、これはやはり略系図がなければ中々理解不可能であろうと思い作成したのが以下の図である。久武家との関りは、二従兄弟の子FY氏といまだにご厚誼を頂いている。

                                    

                

   

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■原文に触れる「阿部茶事談」(09)

2019-12-22 07:30:44 | 史料

                                     

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■細川小倉藩(107)寛永元年・万日帳(十月十六日~十八日)

2019-12-22 07:29:54 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)十六日・十七日・十八日

         |              
              十六日 両人詰 雨 
         |
内検報告     |一、小田市左衛門内けんゟ被罷帰候、及見申候処ハ、殊外田畠悪敷御座候、殊畠方取分悪敷御座候、
         |     二分三分  
         |  御免相〇さかり申候、所ニゟ壱つさかり申所在之由、被申候事、
         |一、式ア殿ゟ、中津ゟ参候書状見せニ参候、井関五介御ともニ被召連候間、知行ノ口明可遣ノ由申来
         |    (小篠)
         |  候、小七左衛門ハ御用之儀候て、跡ニ被召置候間、替りニ五介被召連候事、
         |               (重嘉)
筑前ヨリノ小者復 |一、此間筑前ゟ走り参候小者、横山助進被置候へ共は、山へ参度申候間、遣候ヘハ、すくニはしり申
走ル       |  候由ニ候事、
三斎ヨリノ借米払 |一、中津御奉行衆ゟ式ア殿・民ア殿へ返事、 三斎様ゟ、当春御借用ノ御米払方、幷薮三左衛門手前
方        |         (野田幸長)(豊岡)
薮政三ノ借米   |  ノ儀、目録にて小左衛門・甚丞申候を、則中津へ被遣候へハ、三左衛門手前之御借米も御家中惣
         |                                    〃
         |  並ニ被仰付候間、其通小左衛門・甚丞へ被申渡候へと斗返事、目録弐つも彼帰候事、
狂気ノ入牢者ノ首 |一、籠番衆壱人登城、狂気仕候者腹中をくたし申候、くひかね御座候故、せつちんへ通候事成かね申
鉄下痢中ハハズス |  候、いかゝ可被成候哉、ちとハキもしつまり申候由申候、原中下シ申候間ハ、くぶかねはつし候
投薬ハ無用    |  へ、乍去、狂候て人をもせかり申候ハヽ、其まゝ置候へと被申渡候、薬与候事ハ不及ノ由、被申
         |  渡候事
入牢ノ中間へ味噌 |一、御中間惣左衛門籠者被仰付候、やとゟミそを遣度由候、入候時能々せんさく候て、入候へと被申
ノ差入      |  渡候事
         |        (矢野)    (是門)               (右脱)
三淵重政進上惣談 |一御奉行衆三人、助二郎・米田與右衛門所に而ゟ呼ニ参、長岡馬助殿御進上之様子御物語に候事、
         |                   〃〃     (三淵重政)
         
         |              
              十七日 両人詰 朝ハ雨 
         |  (対)    国書偽造事件(柳川事件)の当事者
朝鮮信使對馬到着 |一、津嶋殿内柳川豊前所ゟ、式ア殿へ書状参候を、御奉行衆へ見せニ参候、官人今日四日ニつしまへ
人数四百六十人
  | (宗義成)
         |  着申候由申来候、貧頭宇ハ四百六拾人参候由、申候事、
三斎へ玄猪ノ祝儀 |一、三斎様へ御いノこノ御祝儀ノ進物上ケ、片岡九郎左衛門今日昼ゟ被参候事、
         |一、乃美新四郎夜前中津ゟ罷帰候、 御書は于今上り不申由候事、
         |

         |              
              十六日 両人詰 晴天 
         |
忠利へ上グル物  |一、江戸へ飛脚大場理介・山本善兵衛、今日出舟仕候事、御荒仕子壱人参候、幷ニ御においノ御ま
匂枕 吹矢 川苔 |  くら壱つ、式ア殿ゟ御上ケ候、長崎ゟ参御吹矢・河のり彼指上ケ候事、
         |一、今日は江戸へ言上之状認候故、余之儀ニ不被構候事、
         | 

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