(寛永元年九月)十四・五・六日
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| 十四日 両人詰 晴天
| (島津家久) (甚)
島津家久使者ノ接 |一、薩摩守様ゟ 三斎様へ御見廻ニ御使者、昨日■爰元へ着候故、住江勘兵衛・吉田少左衛門御奉行
待 | (元明)
| (築城郡)
| にて、夕朝念ヲ入賄碑申付候、御横目田辺作介今日中津へ参候、椎田迄参候案内として、寺尾
| (勝永)
| 左介被参候、弁当被申付候、勿論今夕・明朝椎田にても賄被申付候事、
| (正慶)
|一、加々山権左衛門組御鉄炮、駄賃銀被下候様ニと申、少之御物を自信持参仕之由候
病死者借状 |一、上林六介病死仕、借状もとり、判けし、中津へ返シ被申候事
| (ゟ脱)
|一、加嶋久左■衛門金山罷帰、登城、佐藤安右衛門今日爰元可罷出候由ニ、状参候事
松山牧ノ病馬 |一、坂井忠三郎登城、松山ニ居申候牧御馬煩申ニ付、引ニ遣候ヘハ参申候、殊外やせ申候、果ハ申間
| 敷由ニ候事
| (可政)
川請 |一、川請酒井二兵衛米之儀、加々山主馬・同権左衛門済可申由、申来候事
歩小性新参ノ礼 |一、林加兵衛登城・新参ニ歩之御小性松村小右衛門と申者被召置候間、御奉行衆迄礼被申させ候事
| (渡辺)
出来セシ新銭ヲ古 |一、新銭出来候とて、弐貫百文清兵衛・忠兵衛銭鋳持参候、江戸へ指上ヶ可申候間、其内随分ふるは
バカシム | かし候へと申付被返候、明晩持参候へと、被申付候事
百性検索之書物 |一、古市村與三右衛門せんさく一まきノ書物とも、江戸へ指上ヶ申候とて、写被申候事
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| (五)
| 十四日 両人詰 晴天
| 国東
島津家難破ノ米船 |一、塩木又丞登城に而、当春東東に而、薩摩様御舟そこね申ニ付、御郡代きも入申候由被聞召、為御
肝煎ノ礼物国東奉 | 〃〃
行ニ來ル | 半左衛
| 礼まき物三まきつゝ、小林■■■門・又丞へ被遣候事
長崎ヨリノ巻物 |一、長崎ゟ御まき物十弐たん参候、則江戸は被上被申候、牛嶋市郎右衛門・木村十左衛門両人へ被渡
| 候事
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| 十六日 両人詰 晴天
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| (沼田延之) (長氏)
|一、長岡十五郎殿・平野九郎右衛門、夜前被罷下候由候事
| 細川清左衛門殿・ 若松口まて
朝鮮信使迎接 |一、高麗人罷上候ハヽ、為御使〇沢村大学ヲ〇可参之由、被仰下候、其外御音信物議共被仰下候、右之
| 通、九郎右衛門ニ被仰下候、大学・清左衛門殿ゟ、道へ小早を付置可然之由被申候事、
| (猪膝、田川郡)
|一、薩摩殿ゟ御使被帰候ニ、則寺尾左介いのひざまて送り候て馳走可仕旨、中津にて被仰付候事、
| (勝永)
風呂屋追放 |一、東ノ風呂屋田兵衛曲事有之ニ付被払候、家敷ノ物・風呂道具共ハ被留置、其外ノ道具ハ被遣ノ由
| 候事
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