津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(96)寛永元年・万日帳(九月十四・五・六日)

2019-12-10 13:34:05 | 細川小倉藩

                        (寛永元年九月)十四・五・六日

         |                                      
         |     十四日 両人詰 晴天
         |  (島津家久)                                    (甚)     
島津家久使者ノ接 |一、薩摩守様ゟ 三斎様へ御見廻ニ御使者、昨日■爰元へ着候故、住江勘兵衛・吉田少左衛門御奉行
待        |                               (元明)                      
         |                              (築城郡)
         |  にて、夕朝念ヲ入賄碑申付候、御横目田辺作介今日中津へ参候、椎田迄参候案内として、寺尾
         |  (勝永)
         |  左介被参候、弁当被申付候、勿論今夕・明朝椎田にても賄被申付候事、
         |    (正慶)
         |一、加々山権左衛門組御鉄炮、駄賃銀被下候様ニと申、少之御物を自信持参仕之由候
病死者借状    |一、上林六介病死仕、借状もとり、判けし、中津へ返シ被申候事
         |          (ゟ脱)
         |一、加嶋久左■衛門金山罷帰、登城、佐藤安右衛門今日爰元可罷出候由ニ、状参候事
松山牧ノ病馬   |一、坂井忠三郎登城、松山ニ居申候牧御馬煩申ニ付、引ニ遣候ヘハ参申候、殊外やせ申候、果ハ申間
         |  敷由ニ候事
         |              (可政)
川請       |一、川請酒井二兵衛米之儀、加々山主馬・同権左衛門済可申由、申来候事
歩小性新参ノ礼  |一、林加兵衛登城・新参ニ歩之御小性松村小右衛門と申者被召置候間、御奉行衆迄礼被申させ候事
         |              (渡辺)
出来セシ新銭ヲ古 |一、新銭出来候とて、弐貫百文清兵衛・忠兵衛銭鋳持参候、江戸へ指上ヶ可申候間、其内随分ふるは
バカシム     |  かし候へと申付被返候、明晩持参候へと、被申付候事
百性検索之書物  |一、古市村與三右衛門せんさく一まきノ書物とも、江戸へ指上ヶ申候とて、写被申候事
         |

         |      (五)                                      
         |     十四日 両人詰 晴天
         |              国東
島津家難破ノ米船 |一、塩木又丞登城に而、当春東東に而、薩摩様御舟そこね申ニ付、御郡代きも入申候由被聞召、為御
肝煎ノ礼物国東奉 |             〃〃  
行ニ來ル     |              半左衛                            
         |  礼まき物三まきつゝ、小林■■■門・又丞へ被遣候事
長崎ヨリノ巻物  |一、長崎ゟ御まき物十弐たん参候、則江戸は被上被申候、牛嶋市郎右衛門・木村十左衛門両人へ被渡
         |  候事
         |

         |                                            
         |     十六日 両人詰 晴天
         |
         |  (沼田延之)    (長氏)
         |一、長岡十五郎殿・平野九郎右衛門、夜前被罷下候由候事
         |             細川清左衛門殿・  若松口まて
朝鮮信使迎接   |一、高麗人罷上候ハヽ、為御使〇沢村大学ヲ〇可参之由、被仰下候、其外御音信物議共被仰下候、右之
         |  通、九郎右衛門ニ被仰下候、大学・清左衛門殿ゟ、道へ小早を付置可然之由被申候事、
         |                  (猪膝、田川郡)
         |一、薩摩殿ゟ御使被帰候ニ、則寺尾左介いのひざまて送り候て馳走可仕旨、中津にて被仰付候事、
         |               (勝永)             
風呂屋追放    |一、東ノ風呂屋田兵衛曲事有之ニ付被払候、家敷ノ物・風呂道具共ハ被留置、其外ノ道具ハ被遣ノ由
         |  候事
         |

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■「阿部茶事談」(01~02)釈文

2019-12-10 08:38:16 | 創作

01     阿部茶事談
         忠利公肥後国拝領之事
                       世にも
                 たくひありと誰かハい王ん末尓匂ふ世尓毛       たぐいあり と誰かはいはん末匂ふ秋より後の白菊の花 後水尾帝御製
                               よく栄えいや増す
      名高き白菊能栄へ弥増武功の花
      羽林源忠利公 参議宰相源忠興公の御          羽林 この場合は少将を示す
      譲りを請續セ給ひ 豊後豊前三十一万石余
      を領し給ひ小倉の城尓在/\ける尓 寛永
      九年九月十三日 忠利公小倉を發し為
      参勤江府へ赴き給ふ処奉書到来せり
      其文ニ曰

       一筆令啓達候當地御参候儀最前十
       月中旬於江戸御参候様ニと申合得共
       貴殿御事早々御参勤可然候為其以
       飛札申入候恐々謹言
                稲葉丹後守           稲葉正勝
        九月十六日   酒井讃岐守           酒井忠勝
                土井大炊頭           土井利勝
          細川越中守殿
              人々御中
        猶々御参尤ニ候以上
      右三人連書之外稲葉正勝唯寄書副
      之書使速ニ参府不及申候得共御意御

 

01     下尤ニ存候 乍去餘御急候て路次ニ而不審
      可有候間其心得尤ニ候 将大御目見一段御
      年比共ニ候 何事も面上可申候
       九月十六日    稲葉丹後守
          忠利様
        頓而々々奉待候已上
      斯て江戸御着座有けり十月三日又法
      書有
       明日御登城候旨其心得ニ而上屋舗
       ニ而可被有御待候 時分之儀ハ自是可申
       達候 御進物入申間敷候 恐々謹言
                稲葉丹後守
        九月十六日   酒井讃岐守
                土井大炊頭
          細川越中守殿
              人々御中
      依之十月十四日御登城有りける処ニ 将軍
      家家光公 忠利公へ肥後国十二郡豊後の
      内三郡都合五拾四万石を給ル 是加藤
      豊後守忠廣闕国也                  加藤忠廣  闕国

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■元田永孚先生慰霊顕彰祭・ご案内

2019-12-10 06:23:58 | イベント

                 

 この顕彰祭に於いては、「元田永孚先生の誕生地碑及び旧宅碑の現状と経緯の報告」が行われるようだ。

新たに建設された桜町開発ビル・「サクラマチクマモト」大賑わいを見せているが、この場所の一画は永田永孚先生の旧居跡が含まれている。
かっての県民百貨店時代には下の写真のような顕彰碑が立てられていた。
今回の工事に於いても移動再建されるものと考えていたら、出来上がってみると銘版のみが形ばかり残されている。

令和の新しい時代を迎えたこの時期、皇室の為におおいなる尽力をされた熊本の偉人を、一偏の銘板を残すだけで良いものか、あの石碑を是非とも人の目に触れるところに設置してほしい。運営会社の英断に期待するのみである。

                             熊本県民百貨店当時の碑

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