12月1日~5日にかけての、寛永元年九月の万日録(九月七日~十二日)につきましては、(八月七日~十二日)を間違ってアンプしておりました。
誠に申し訳なくこれらを削除して、新たに(九月七日・91)から再開いたします。
(寛永元年九月)七日
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| 七日 両人詰 晴天
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|一、しろかねや加右衛門登城、昨日申上候銀子之事、勘五郎ニ申候て、銀子取返候由申候事、
貸米奉行 |一、岩崎太郎兵衛登城候ニ、御貸米奉行申付可遣候条、早々御郡へ被参候へと、被申渡候事、
三斎返書ノ取扱方 |一、江戸ゟ 三斎様へ被成 進上候 御書之御返答、 式ア殿へ参候、如何様之 御書ニ而候も不存
| (ママ) 衆二
| 候間、態飛脚御上せ候哉、但、御供替り之時、御上せ被成候哉、談合ニ勘兵衛御こし候、御奉行
| 〃
| 衆被申候は、如何様之御書ニ而候もしれ不申候間、態小早御上せ候て可然候由、返事被申候事、
| 但、御分別次第之由ニ候事
豊後横目交替ノ報 |一、ふん後御横目御替り御下候由申候て、杉山藤兵衛・宇野七右衛門方へ被遣候状返事、次飛脚ニ而
| 巳刻ニ参着申候事
| 参考:秀忠大御所期の豊後府内目付について
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藤崎言斎明屋敷ヲ |一、藤崎喜八郎登城ニ而、同言斎家之儀、家奉行衆へ相渡シ可申由被申候、則大津留六左衛門へ被申
家奉行ニ渡ス | 渡候事
| 登
取過シノ銀ト造作 |一、町三右衛門城ニ而、前かと取すこしノ銀御座候ニ、今度御供替りニ参候ざうさ銀ニ而、加元利引
銀トノ差引 | 可申由申候、利之儀ハかゝり申間敷由申候へ共、利さかいすき候間。かけ可申由ニ候事、右之銀
| 利之事、前かとニ御届無之候事不存候、 御印頂戴仕置候へは、か様之銀ニ利ノ立候事無御座候
| 事
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漆ノ実採集 |一、渡長右衛門・いさ山善右衛門両人うるしノミ取ニ、弥明日参候へと、被申付候事
諸奉行決済ノ差出 |一、諸奉行仕候衆、めん/\なに/\をさまり仕候とさし出を被仕功労へと、被申渡候事
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