(寛永元年十月)十九日・廿日
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| 十九日 両人詰 晴天
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江戸供替ノ乗船下 |一、御供替衆ノ上候御舟共、今朝罷下候事、
着 |
| 兵左衛門
|一、江戸へ御つほ持参候小林七左衛門、右ノ御舟ニ罷下候、江戸を去月十七日罷出候由候、三斎様
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供侍造作料ノ帳 | への御書之御文箱、長兵衛持下候、御奉行衆へも 御書参候、御供衆造作料之帳、江戸ゟ参候
| 事、
大坂城普請役ノ者 |一、大坂御普請ニ被残候衆、皆々右ノ御舟ニ被罷下候事
下着 |
大坂川請ノ者 |一、長谷部文左衛門登城、大坂ニ而田川河請之者共、手前銀子大可相済シ申候、利分ノ所少とゝこ
| うり申候ニ付、書物仕せ持下候事
| (丹羽)
大坂ヨリ帰着ノ普 |一、大坂ゟ被下候衆登城、大塚忠兵衛・堀江半兵衛・ニわ九郎二郎・佐藤二郎兵衛・河喜多九太夫・
請役ノ名付 | (長良)
| 小笠原宮内殿・井関久馬助・荒見弥太夫・服部助四郎・砂岡伝介・岩崎角丞・坂崎半兵衛・明石
| 源左衛門・桑原主殿助・山田加左衛門・中川佐左衛門・近藤長四郎・菅村権十郎・黒部喜太夫・
| (削)
| 弓銷二郎兵衛・朽木久五郎、
| (小笠原長元)(野田幸長) (政三)
奉行等談合 |一、式ア殿ニ而談合、御奉行衆三人、民ア殿・小左衛門・甚左衛門、藪三左衛門天井米之儀、野田小
| ニテ
薮政三返上米 | 左衛門中津へ参、埒明候様ニとの儀にて、廿一日ニ中津へ参事、
|(追記) (はまわき) (浜脇村、速見郡)
天領ノ走者 |「一、豊後はまおきノ久五郎、籠ゟ出シ、はまわきへ御鉄炮衆三人相添、ふん後へ遣候、七右衛門ニ
他国ノ者故追放 | 其元ニ而埒明候様ニとの事ニ候、他国ノ者ニ候ハヽ、おいはなし候へとの事ニ候、」
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| 廿日 両人詰 晴天
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三斎へ玄猪ノ祝儀 |一、三斎様へ御いノこノ御祝被進上候を、片岡九郎左衛門御使にて持参仕、昨夕罷帰候、披露候て、
| (長舟) (続) (米田是門)
目録ニ裏判 | 十右衛門・少助・與右之目録ニうら判候て、取帰候事、
| (山) (辰珍)
片山示庵病死 |一、片岡示庵九月廿八日ニ病死候由、津川四郎右殿ゟ御奉行衆へ被申越候、則加藤新兵衛ニ被申渡候
| 事、
馬牧見立 |一、平田勘兵衛、馬牧見立ニ参候へと被申渡、明日可参由候事、
| (正直) (胃英) (栗) (新兵衛)
知行小物成等ノ惣 |一、野田小左衛門・豊岡甚丞ゟケ条を以談合、御奉行衆河喜多・仁保・松本・粟野・加藤惣談ニ而相
談 | 済候事、但、ケ条ニかた書仕、両人ニ被遊、ひかへ御奉行所ニ有之、 (伝介)
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薮政三返上米 |一、野田小左衛門明日中津へ小早二而参候、藪三左衛門運上米之儀ニ付、書状之取かわし斗にてハ埒
| 不明候故、御家老衆談合之上にて参候事、
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