一昨日何気なく見ていたTV番組で、若い人たちが使う「うざい」という言葉の発祥を取り上げていた。
元々は東京の多摩地方の方言に、地中に虫たちが動き回るような気持ち悪いさまを「うざうざ」と言っていたらしい。
これが変化して「うざったい」というようになった。
現代の「うざい」という言葉については、番組制作に当り、言語学の先生がわざわざ多摩地方を再訪問して聞き取りをしたところ、現在50歳くらいの人たちが中学生の頃から言い始めたという。
つまり35・6年くらい前からという事になる。
東京の多くの大学が、多摩地方に移転しはじめ、これらの言葉が若い人たちに広がり、地方から来た人たちも含め「多摩地方の方言」とは知らず、使うことにより地方へも伝播したのだろうという。なかなか興味ある話ではある。
熊本の方言にしても、その言葉の由来にはなかなかたどり着けないものがある。
もともとの土着の人々が語っていた言葉があり、他方、京都をはじめとした古語が伝播渡来して定着したといわれる。
例えば熊本では、かっこいいことを「むしゃんよか」というが、平仮名表記では意味がよくわからないが、「武者ぶりが良い」が語源だと考えると納得するところではある。
このように古語に由来するような言葉が多く見受けられる一方、いかにも粗野な言葉も混在している。
また戦国時代以降、いろんな土地出身の侍たちが多く住み着いたから、言葉の上ではまさに異国人同士が話しているという世界ではなかったのか?
細川家家臣にしても、その出自をたどると全国津々浦々から召し出されていることが判る。
随分以前にブログ「家中ことば」で熊本の侍の家の会話をご紹介したが、本当にこのような言葉で会話していたのだろうかと思ったところである。
司馬遼太郎は細川護貞さまと会われた際、「家の中のことばは、むかしからずっと肥後弁でした。(中略)いま熊本で使われている肥後弁より古いかもしれません」と語られたことを、其の著書「春灯雑記」の中で紹介している。
それは上記のようなものではなかったのかと想像するが、庶民が使う熊本弁との落差が大きすぎる。
熊本弁はまさに玉石混淆のカオスの世界のように思える。