津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(111)寛永元年・万日帳(十月廿七・廿八日)

2019-12-28 16:09:20 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)廿七・廿八日

         |                                    
              廿七日 両人詰 雨天 夜半時分ニゟ雨、 
         |
毛利秀元仕置ニ下 |一、坂崎伝十郎江戸ゟ今朝被罷下候、御年寄衆・御奉行衆へ 御書参候、毛利殿両国之仕置ニ、毛利
国ス       |  甲斐殿御下候ニ付、人沙汰彼是之儀ニ付、御使ニ御下被成候事、
         |
薬師道祐子ノ見舞 |一、御薬師道祐、竹村弥右衛門同道にて登城候、道祐子京ニ御座候、存命不定ニ相煩候とて、迎を指
ニ上京ヲ願ウ   |  下候、罷上度由候、式ア殿・民ア殿へ被尋可然之由、助進被申渡候事、
         |     (もぐら)           (野中)
土龍ノ黒焼    |一、土龍を上林甚介与ゟ上ケ申候、則作庵所へ遣、くろやきニ仕候へと被申付候事、

         |
竹屋ヲ中国へ買物 |一、竹屋喜兵衛を御申候而、中国へ刀・脇差・数寄道具・もんらんなとかいニ参候へと、 御諚之由
ニ遣ス      |  被申渡候事
刀脇差茶道具紋襴 |
         |                     昨日
寒田牧山ノ厩   |一、川田八右衛門沢田牧馬之こやかけ申付候而、罷帰候事、
         |                             (へ脱)
難破船船頭ノ詮索 |一、御供衆破損舟ノ御船頭両人穿鑿ニ、瀬崎猪右衛門・町市丞しち屋ニ参候事、両人共ニ書物仕上ケ
         |  候事、                             〃
         |                                    

              廿八日 両人詰 晴曇 
         |
走リシ下人ノ女ノ |一、田川御郡代衆へ、頼母殿内こミかと惣右衛門しちニ置候女、ついき郡へ人戻之儀ニふれ状参候、
人質       |  御鉄炮衆使ニ参、今朝罷帰候事、
         |
新牢ノ錠ノ鍵   |一、新籠袖じやうノかぎ出来候て、則式ア殿・民ア殿こそ部御奉行衆・小性三人相添、しやうおろしニ
         |  被遣候、
         |
三斎到津村百姓ヲ |一、式ア殿ゟ、到津善兵衛・孫三郎中津へ被召寄せ候ニ付、江戸へ言上候下書ニ写候て、御奉行所へ
召寄ス      |  参候様子、無相違ニ御奉行衆ゟも言上可有通ニ候事
         |   (速見郡)       (速見郡)      (穿)
天領ノ走者    |一、豊後脇浜之久三郎を、由布院へ連させ、賈鑿ニ被遣候処ニ、芦田與兵衛所ニ奉公仕、罷居者ニ而
         |  候、與兵衛路次にて見付候て、書状相添被越候、宇野七右衛門所ゟも返事御座候事、但、召連参
         |      (牧)
         |  候御鉄炮衆長三郎与赤尾少介・右田少太夫、酉之上刻ニ久三郎召連、罷帰候事、
難破船船頭ノ書物 |一、御船頭助太夫・理右衛門穿鑿ニ猪右衛門・市丞参候、書物仕上ケ候、一昨日ノ書物ニ無相違候事、
         |                                 〃
         |

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■まだ聞けず百舌鳥の高鳴き

2019-12-28 10:26:13 | 徒然

 私が住む「尾ノ上」という地区は新興住宅地だと言っていい。かっての広い農地はマンション用地に替り、5~60坪ほどに区分けされた土地にいかにも今風な建物が立ち並んでいる。
中には広い住宅敷地の隣に7~80坪の畠付きというお宅が見受けられるが、もともとこの地に住んでおられた地主さんであろう。
そんなお宅の畠には、いろんな野菜やかんきつ類が育てられている。一隅では落ち葉や残飯をたい肥としておられ、これらを切り込んで土地は黒々としている。
散歩の途中、その畠の中に立てられたそう高くはない一本の竹のてっぺんに「百舌鳥」が止まっているのを見かけた。
尾の長い奇麗な羽根の色のオス鳥だったが、カメラを向けたら飛び立ってしまった。証拠写真がとれず残念の極みである。
今年は「百舌鳥の高鳴き」をまだ聞いていないが、百舌鳥()といえば宮本武蔵の『枯木鳴鵙図』が有名である。
この絵のごとくこの鳥は高い木のテッペンに止まり、あたりを睥睨して高い声で鳴き存在を主張する。
高鳴きは縄張りを主張するためだとされるが、鳥の数自体が減って縄張り争いも必要ないのかもしれない。
近くに自衛隊周辺や健軍神社の森などがあるから、わりと小鳥を見受けるが、それでも高層建築が多く立ち並び、鳥たちにとっては住みにくい環境になりつつある。
以前は「早やにえ」なども見たことが有るが、もう見かけることはないだろう。
起き掛けで髪の毛がボサボサの状態を「モズの巣」というのだと祖母に教えられた。何故そう言うのかの解説は受けていないが・・・

                      放牛の像ある寺や 鵙の声  津々



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■「阿部茶事談」(10)釈文

2019-12-28 06:54:26 | 史料

10     て参り切腹の時五助犬尓向ひ云やう此度
      大殿様御逝去被遊御高恩の面々御供申上
      る也 我死するならば己連ハ今日ゟ能ら犬と
      可成事不便さよ 御秘蔵の御鷹ハ御葬礼
      の時春日寺の井尓落て死する 是も御供申
      上からならん 己連も御鷹下尓牽連たる事
      なれば家と共尓死せんとハ思わすや 生て居て
      能良犬と成んと思わで此飯を喰ふへし 我と
      同し敷死ならハ飯を喰ふへから須と握飯を
      与へける尓此飯を見たる計尓て喰さりけり
      其時さらば死ぬるかと云けれハ尾をふりて
      五助か顔を守り居りけるを去は不便なから我手尓
      掛るとて引寄せ刺殺し自身も潔く切
      腹す 五助辞世とて其比人の取はやしける歌尓
        家老衆の登間連/\とおしゃ連とも
          留て留らぬ此五助かな
      と謂うて御鷹匠衆ハ御座らぬか御犬牽ハ只
      今参る也と笑て腹を切けると也 又五助尓実
      子幼少有ゟ出家尓成居ける由依て五助妻女
      尓五人扶持家屋敷共尓被げ御年回尓ハ御香
      典拝領此後家三十三回恩忌迄ハ存生せしと
      かや五十年御忌尓ハ果ける養子も未不被

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