(寛永元年十月)廿五・廿六日
|
| 廿五日 両人詰 天気能候
|
忠利書状到着 |一、広浜加右衛門、昨日酉ノ下刻ニ、江戸ゟ下着候由候、去月廿七日ニ江戸を罷出候由候、 御書参
| (米田是友) (矢野) (善右衛門)
| 候、甚左衛門・助二郎・福田所へ御一通之 御書頂戴仕候事、
|
|一、御鉄炮衆弐人、江戸を当月九日ニ罷出、昨日申ノ下刻ニ下着候由候事、
| し
古木小屋火事 |一、夜前五つ時ニ、ふる木こや火事出来仕候而やけ申候、残之御蔵共ハけきり申候、御材木なと少々
| やけ申候事、
| (博多)
黒田家朝鮮信使乗 |一、鏡善右衛門登城、はかた相ノ嶋ニ付置申候御小早参候、官人舟昨日五つ時分ニ参候、筑前ゟも引
船ノ引舟ヲ数多供 | 被
出ス | 舟共あまた出申候、こなたゟハ如何被成候哉、式ア少殿へ被参候而、其由たんかう可仕之由、被
| (申脱)
| 渡申候、
| (厚狭) (梶浦) (曾根、規矩郡)
米盗人ハ長門ノ日 |一、昨日長門国あさ之郡かぢうらノ孫市と申者、御国へ日用ニ参、そね村ニ居申候が、同村ノ甚五郎雇 | (京都郡)
| と申者の所ニ而、米壱石ぬすミ、壱俵ハ苅田へ持参うり、残壱俵ハ草ノ中ニかくし、取出シ候ヲ
| 見付、からめ取候事、
|
大工小屋ノ番人失 |一、林弥五右衛門登城、大工小屋之番ノ者、火事出来申ニ付、如何可仕哉と、式ア殿へ相尋申候へ
火ニヨリ入牢セシ | 被
ム | ハ、籠者可申付之由御申候間、其分ニ可御申付之事
| 平郡嶋松か崎(周防大嶋郡)
風難之米船米ヲ投 |一、式ア殿ゟ上納被成候御米、豊後ゟ西郷太郎兵衛舟ニつミ上せ候ニ、すいわう嶋ニて大風ニ相申、
棄ス | (田中氏久)(加藤) 〃(祝嶋)〃
| 御米うち申由、所ノ庄屋処ノゟ猪兵衛・新兵衛所へ状参候事、
|
|
| 廿六日 両人詰 晴天
| (淡路)
|一、樋口あわぢ夜前大坂ゟ下候事而登城候事、江戸ゟ御舟頭衆へ被仰渡儀候て、則あわちへ被申渡
| 〃
| (巨細) 衆
| れ、こさいノ儀ハ御奉行三人斗、ひノ口へ御申候事、不存候、
| 〃
| (小笠原長元)(米田是門) (矢野) (正直) (慰英)
惣談 |一、式ア殿・民ア殿・與右衛門殿・利斎御登城にて、御奉行衆、河喜多・仁保なと御本丸へ被罷上、
| 惣談候事、
|
到津村ノ困窮セル |一、同中津御奉行衆式ア殿・民ア殿へ奉書参、到津村之善兵衛・孫三郎手前不罷成由、 三斎様被聞
百姓ヲ三斎召寄ス | 召付候条、中津御領へ可被召寄せ、御諚候条、被得其意候へとの儀ニ候、いかゝ御請合仕哉との
| 儀、とかく 御諚次第、又ハ善兵衛・孫三郎次第ニ可仕との談合ニ究候事、則上田忠左衛門ニ式
| ア殿・民ア殿被仰渡候事、
|同 (英貴)
下人大坂城普請ヨ |一、有吉頼母内こミかど惣左衛門下人、大坂御普請ゟ走り候ニ付、彼妻子をとり候て、田川郡之庄
リ走ル | (築城郡)
| や所ニしちニ置候、然ハついき郡之内中津御領分之者ニ而候間、高塚村へ指返候へと、御年寄衆
| へ中津ゟ奉書参候、則御両人ゟ頼母殿へ被仰入、女帰候ニ相究候事、
|同
新銭鋳造 |一、新銭出来次第、銭遣ニ可被仰付哉と、御奉行衆ゟ談合ニ候、 御諚之上ニ候間、不及談合、銭出
十二月朔日寄り通 | 来次第遣候様ニ可被申付之由候、然らハ、十二月朔日ゟ遣候様ニ可申付之由候事、
用 |
|同 (加室、周防大島郡)
難破船船頭ヲ質部 |一、今度かむろにて破損舟之御船頭両人、ともニしちへやへ入置、穿鑿可仕旨被 仰下候ニ付、両人
屋ニ入レ穿鑿ス | (へ脱)
| 共ニしち屋へ被入置候事
|同
家中へ懸リ米 |一、御家中へ懸り米大分有之儀ニ候、其内かゝり申間敷者も御座候、野田小左衛門中津ゟ罷帰次第
| ニ式ア殿へ寄相候て、吟味を可仕之由、式ア殿・民ア殿御申候、各同心被仕候事、
|(横山重嘉)(仁保慰英)(栗野) 又 (山か)
金山新銭鋳造場見 |一、助進・太兵衛・伝介御金山、新銭鋳申様子なと見候て、昨夕罷帰候事、幷高原次左衛門手前算用
分 | 之儀共被申渡候由候事、 〃
|