津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■原文に触れる「阿部茶事談」(1)

2019-12-06 09:39:25 | 史料

 森鴎外の「阿部一族」の見本となったのが、この物語にも登場する阿部家の隣人・栖本又七郎が書いた「阿部茶事談」である。
自らも阿部家の討ち入りに飛び入り、その働きについて「阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子」などと言って、「茶事談」と命名されているが、この言葉はかっては交誼のあった隣人に対し些か心配りにかけていただけない。
今回は私の手元にある原文(写本)をご紹介する。約80頁に及ぶものだが、古文書を読む楽しみを皆様に味わっていただきたいと思い、一日2頁、約40回にわたり原文のみをUPしたいと考えている。釈文は後程ご披露することにして、あとで読み合わせをしていただければと思う。

                                     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(92)寛永元年・万日帳(九月八日)

2019-12-06 06:05:55 | 細川小倉藩

                        (寛永元年九月)八日

         |                                      
         |     八日 両人 雨 夜ノ四時分ヨリふる、
         |
中津家ノ代銀決済 |一、山口半次・中津ヨリ昨夕被罷帰候、吉住半四郎・牧市右衛門家ノ代銀相済候て、埒明候て被帰候
         |  事
豊後横目へ新任ノ |一、式ア殿ゟ御使、豊後御横目衆替りニ御下候衆へ、 御音信之物何にて可然哉と、此方ゟ被尋候処
祝儀       |  ニ、 御書を頂戴被仕候へと御申候、御樽ハ五つと被 仰下候、御さかな鴨十ヲ宛可然之由ニ
         |       (買)
         |  而、可有御売せと被申付候
節供ニ水夫休暇ハ |一、鏡善右衛門ゟ糸川長左衛門ヲ上ケ候、明日九日ノ御節句にて候間、御加子やすミヲ被下候へと申
慣例       |  候、先例次第ニ可仕之由、せんさく候ヘハ、毎年やすミ申候由にて、さしかミ被出候事
朝鮮信使来航ニ通 |一、高麗ゟ官人下関へ着候ハヽ、注進可申之由、当町中ゟ人を下関ニ付置候へと、可申渡遣、御町奉
報        |  行衆へ被申候事
水夫増員     |一、かゝミ善右衛門御加子不足仕候間、今拾人ほと御抱可被成哉と、尋ニ長左衛門ヲ上ケ申候事
六丁立小早    |一、明日 三斎様ゟノ御返書持せ、江戸へ飛脚御鉄炮衆二人、六丁小早ニ而可指上せ之由候、御供替
         |  ニ参内にて候、友田次郎兵衛与之梶原喜左衛門・片岡九郎左衛門与小靏久太夫、
         |一、明日ノ飛脚ニ可申上とて、金山へも飛脚被遣候事

長崎買物     |一、長崎へ明日飛脚被遣候、御道服ニ可成巻物、其外めつら敷巻物とも、此者ニ上せ候へと被申候、
道服用ノ巻物   |  又御かい物ノ色付上せくれ候へと被申遣候事
珍シキ巻物    |
宇佐郡風損川成ノ |一、上村甚四郎登城、宇佐風損・川成之御検使早々出可被下之由申候、明日談合可究之由候事
検使       |
国東郡風損川成ノ |一、塩木又丞登城、東風損・川成御給検使、今之分ニ而ハはか不参候間、今弐くミほと被仰付可被下
増員願      |                 〃
         |  之由候事、明日談合可有之由候事
         |     〃
         |一、宮部久三郎登城、住江武右衛門知行免相之儀、福田善右衛門申候ハ、罷帰、小倉にて各談合申可
         |  相済由申候通、被申候事
         |一、明日江戸へ参候御飛脚ニ、 三斎様ゟノ 御返書ノ御文箱壱つ、式ア殿・民ア殿ゟノ 殿様への
         |  文箱壱つ、ひとつニ包候て、持せ被越候事
         |


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする