11 召出 誰そ御香典拝領の者なし 五助甥両
人有 兄ハ津崎平右衛門と云 弟ハ津崎庄左衛門
と此庄左衛門か子を殉死の後家養子尓して
津崎五助と名乗五人扶持被下被 召出後五助
も養子を致し團次と云 病身故御給扶
持差上奥田権左衛門組有野孫左衛門か子を養
子尓して津崎五助と名乗御奉公尓被 召出
今以相續首尾能相勤候也 又津崎平右衛門
ハ殉死の五助由緒申立歩御小姓尓被 召出其
子仁右衛門御右筆尓被召出御中小姓迄成老
極致し養子平右衛門触組尓入此平右衛門も水
野孫左衛門子也 百年御忌の御香典者様子有
て白銀五枚を津崎仁右衛門頂戴す 忠利公
御放鷹の折春日寺へ御立寄御茶被召上暫
御休足の間御髭延させ給ひけるを剃刀せらるべ
きとて住持尓髪剃刀を差上よと有ければ
古剃刀を指上ける尓御手尓取らせられ御覧被成
此剃刀尓て多くの死人の頭をこそけつらんと
御笑いひ被成御快御髭を被遊ける ケ様の事
共尓や春日寺此境内尓て御火葬也 又御遺言
本ノママ
也とも云 右春日寺ハ法相宗の寺也 今ハ妙解
寺末寺に成上代彼邊府中之時分洛陽の祇