寛永時代までの事だが、細川姓を名乗る方が二人居り、これが何者なのかがよくわからない。
二人とも「殿」と敬称を以て扱われているから、一族であろうと思われるが、どんなに探しても見つからない。
一人は細川七左衛門だが、この人の記録は結構残っている。ブログでも何度か取り上げた。
・細川七左衛門殿
・肥後入国のお供
・於豊前小倉御侍帳
・謎の細川出雲・七左衛門兄弟
・貴重な花押 等々である。
いま一人は細川清左衛門、「寛永元年十月廿ニ日・万日帳」に登場している。
朝鮮信使の迎接に携わっていることが判る。こちらも御覧の通り「殿」と敬称で紹介されている。
何方か御存知であれば、是非ともお教えいただきたい。喉につかえた小骨がいつまでも取れない・・・