津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■疑義「横井小楠甥・左平太に関する史料」

2019-12-18 11:40:05 | オークション

   【極珍品】横井小楠の甥/米国密航/熊本藩士横井左平太/十一代藩主細川斉護公との関係を示す謎の文書/幕末/維新/戊辰/古文書/書状

                              

 横井小楠の甥の横井左平太(1845-1875)と、細川家当主・斉護(1808‐1860)との確執が存在するとも伺える書状であるとして出品されているこの書状。
誰が書いたのか、誰にあてたのか、単なる控えなのか良くわからない。
釈文が紹介されているが良く良く拝見すると、どこにもこれを裏付けるものが全く見えない。
出品者の説明に元づき、それぞれの生没年から見てみると、横井左平太は最大15歳という事になる。
全く無名の時代であり、藩主と確執があるとは到底考えられない。
越中守を斉護だと比定しているのは、左平太を横井氏と思い込んでの事であろう。

越中守との確執を、「肥後様に云々」とある所を見ると、越中守は忠利であり、肥後様は光尚であることが考えられる。
筑前殿は黒田氏であろうとも思える。そうなるとこの出品者の説明は全く頓珍漢なものになってしまう。
主馬とはだれか、忠利の時代の人物を考えると加々山主馬(可政)だろうか。斉護の時代に周辺に主馬を名乗る人は見受けられない。
そうだと考えると本文の主役左平太とは果たして誰なのか。大名・旗本クラスの人物で左平太(佐平太)を名乗る人はいないか?
興味は尽きないが、該当する人を見いだせないでいる。

私の推測が間違っていたら振り上げたこぶしの収めどころが無くなってしまう。
      
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■元の木阿弥

2019-12-18 09:25:58 | 徒然

 一日のうちに五・六冊位は本棚から本や資料を取り出す。目的の文章を読んで栞を挟んだり、付箋を張り付けたりして足元に置く。
これを夫々に行っていて、気がつくと足元は本の山になる。
又読むからと思い、次から次にニ三日分を積み上げたりしていると、さてどこから引っ張り出したのか判らなくなる。
そのまま足元に置いたり、空いている隙間に押し込んだりしていると正位置から外れてしまい、順序だててならべた筈のものが元の木阿弥状態である。
まあ、押し入れの中には帰ることはないから、キョロキョロすれば見つけ出すことは出来るが、薄っぺらな本などは大いに困る。
お正月が近くなり、奥方は大掃除をしようと張り切っている。蒸気の出る掃除機でフローリングを掃除して、ワックスを掛けるのである。
私の部屋も対象となるから、なんとか本の山を元に戻さなければならないが、同じキャパなのになぜか三四冊納まらない。
掃除機だけをかけて、「俺の部屋はワックス掛けはいいよ」という風に収めようと密かに考えている。

付足し:賢明なる諸兄は「元の木阿弥」の言葉の由来は既に御存知であろう。「元の木阿弥の意味
    筒井順慶は父親と2歳で死別しているから、父の死を伏せて影武者となったこの黙阿弥さんは、いつまでその役目を勤めたのだろうか? 
    黙阿弥さん、御役目とはいえご苦労さん・・・

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■細川小倉藩(104)寛永元年・万日帳(十月六日~九日)

2019-12-18 06:57:46 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)六日・七日・八日・九日

         |              
              六日 両人詰 
         |
難破船ノ船頭詮索 |一、今度はそん仕候御舟御船頭ノ衆せんさく之儀、鏡善右衛門、御舟頭与頭三人ニ被申渡候ヘハ、今
         |              (樋口淡路)
         |  度之そこね申候御舟之儀ハ、あわち罷下候まてハ、御待被成候て可被下之由申候ニ付、其分ニさ
         |  しのへ被申候事、
豊後横目ヨリ音信 |一、符内御横目衆へゟ御音信之御返事、夜前九つ時分ニ参候事、
ノ返事      |

         |              
              七日 両人詰 晴天 
         |
問紹甫渡唐船ヲ借 |一、といノじやうほ、長崎ゟ昨日罷上り登城、たう渡ノ舟、色々さいかく仕、かり申候由申候事、
ル        |          (ママ)
         |一、一昨日五日ニ、式ア中津へ御茶上ケニ御越候事、
         |  (沼田延之)
         |一、長岡十五郎殿内留田加介、江戸ゟ罷下候ニ、御奉行衆へ 御書成下候、長介と申小性持参申候
         |  事
         |
              

              八日 両人詰 晴天
         |
         |一、乃美新四郎夜前九つ時ニ中津ゟ罷帰候、江戸ゟノ御書上り不申候故、御奉行衆ゟ状を取候而帰
三斎土井利勝ヨリ |  候、惣別土井大炊殿ゟ御用迄申上候へ、其外ゟノ儀ハ申上間敷旨、 三斎様被仰出候故、万事披
ノ用ノミヲ聞ク  |  露不成候、御書も上り不申、返書無之由候事、
万事披露ナラズ  |            (猪)
         |一、右之通ニ御座候故、貫井兵衛御鉄炮衆五人今日出船、江戸へ巻物共持参仕候様ニと、被申付候
         |  事、
         |          (寒)
寒田牧山之厩建設 |一、川田八右衛門、沢田馬城山へ馬屋作せニ参候へと被申渡、明後日十日ニ、御鉄炮衆拾人召連可参
         |  之由候事、
江戸へ巻物持参  |一、貫猪兵衛ニ御鉄炮衆五人相添、江戸へ差下申候御巻物持参申、今日出舟仕候事、
         |

              九日 両人詰 晴天 七つ下りヨリ雨、
         |                    (豊後玖珠郡)
日田ノ市     |一、須崎久左衛門所ゟ御奉行衆へ書状指越候、小田村ノ百性日田ノ市へ牛うりニ参、牛つなぎ候て置
         |     (忠總)豊後日田藩主
牛盗難ノ出入   |  候を、石川殿百性右之うしをうり候て、かいて牛引帰候を、牛主見合候て理を申候ヘハ、刀をぬ
         |               (か脱ヵ)
         |  き、けんくわニ仕候を、刀をつミおとし、此方へ取申候、牛ハ石川殿惣庄やニ預ケ置申之由候、
         |  下ニ而済可申之由、申通ニ久左衛門申越候、下毛御郡奉行を可遣とて、小崎太郎左衛門呼ニ被遣
         |  候事、
         |                  (高月) (西村)
筑前ヨリノ走者ノ |一、筑前ゟ十七八ノ小者壱人走り来候を、人留ノ善兵衛召連参候、式ア殿へ連参候へと、被申渡候
処置       |  事
         |      (紹甫)
問紹甫唐船ノ仕立 |一、といノ沼浦登城、こくい唐船ノ仕立不罷成、様子書物ニ而申候、則江戸へ指上ケ可申ノ由候事、
ナラズ      |
女敵討ノ詮索   |一、田川ノ四郎右衛門昨夕召寄、今日瀬崎猪右衛門・町市丞奉行ニ而穿鑿仕候処ニ、助兵衛女房中々
水責       |  ぬすミ不申由書物仕候、水せめハ冣前なたニ而切り申候処ニ、于今なおり不申候間、まつ相待可
         |  申ノ由申候事
         |

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