津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「ひ」と「し」、井上教授の憤慨

2019-12-17 16:52:08 | 徒然

 京都市嵯峨ご出身の井上章一氏の「京都ぎらい」は、京都=洛中を痛烈に批判していて、非常に面白い。
洛中人にはなりえない嵯峨の出身である氏の出自に、一種の無念さが見えている。
最後の方で氏は「七条」を「しちじょう」と云う今の読み方に、強い違和感をしめして憤慨しておられる。あれは「ひちじょう」であるべきだと・・・。

 私も今でこそ「七」は「しち」と発音し、特段の違和感も持っていないが、氏が言われるように確かに「ひち」と発音していた。
これに気づいたのはそう古い話ではない。ブログを書き始めて気が付いたのである。
ちょっと見つけ出せないでいるが、どこかにそのことを書いた覚えがある。
熊本にも「七軒町」という地名があり、「ひちけんちょう」と読んでいたはずだが、そのよみで検索しても「七軒町」は出てこない。
京都には「四条=しじょう」があり、「七条」が「しちじょう」では、お年寄りなどは聞き間違えてしまうとご立腹である。
氏の著書の出版社からは、「七=ひち禁止令」が出たという。
東京の出版社のせいだと憤慨されるが、多勢に無勢敗北に至ったようだが、憤懣やるかたないという風情である。

私より13歳若い氏が、出版社の「禁止令」により、此のことに気づかれたのは40台に入ってからの事だとされる。
私のブログが16年ほどになるから60代に入っての頃になるが、13歳の年齢差からすると少々気づくには遅きに失している。

 そもそも何故「ひ」が「し」になったのだろうか。日本の大方が「し」と発音していたという事なのだろうか。
熊本の言葉は古語が定着しているものが多いとされるが、発音に於いても「七=ひち」が定着していたように思われる。
熊本ではあまり気にする人もいないのだろうが、京都の人たちは、発音にまでお国の力が及ぶことに憤慨されている。
「京都ぎらい」の教授も、このことに於いては京都擁護派の先鋒であられる。

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■原文に触れる「阿部茶事談」(07)

2019-12-17 13:18:09 | 史料

                                    

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■ニトロの処方

2019-12-17 11:02:05 | 徒然

 月一の病院行、今日は心電図とレントゲン撮影、心電図には異常はなかったがレントゲンで心臓肥大が見受けられる。
ちょうど一年前の写真と比べると肥大が明らかに大きくなっていることが素人目にもわかる。
先月「逆流性食道炎」だといわれた時折差し込む痛さは、心臓由来のものかもしれない。ニトロの投薬を受ける。
いわゆる生活習慣病のオンパレードの私だが、来年一月には78歳になる。また来年もこんな体と付き合いながら頑張らねばと思っている。

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■細川小倉藩(103)寛永元年・万日帳(十月四日・五日)

2019-12-17 06:52:48 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)四日・五日

         |              
              四日 両人詰 曇
         |
豊後府内横目下着 |一、符内御横目替之衆、昨日三日むまノ刻ニ御下着候由ニ候、則杉山藤兵衛・宇野七右衛門ゟ、式ア
         |  殿・民ア殿へ注進候、今朝たつノ上刻ニ、御奉行衆右両人ゟノ書状見せニ被遣候、
         |
         |                 参考:秀忠大御所期の豊後府内目付について
         |
         |一、江戸へ被遣候飛脚、井門亀右衛門与尾崎長兵衛・続亀介与工藤八兵衛、両人今日出舟仕候事、
         |                               (米田是門)
小笠原長元    |一、小笠原民ア殿賄之様子、幷ニ内ノ馬乗衆知行口明申様子之書物、與右衛門殿・利斎ゟ御奉行衆三
         |    (河喜多正直) (仁保慰英)
         |  人、五郎右衛門・太兵衛へあたり候て参候、則仁兵衛手前ニ被取置候事、
切米取ノ借状   |一、御切米取衆御切米御貸米、借状之加判ハ印判斗にて可仕そて、今迄ハ左様ニ被仕候へ共、昨日野
         |   (幸長)
         |  田小左衛門申候ハ、御地行取衆ニ、米高・銭高すくなきも御座候、御切米取衆ニ高多キも御座候
花押印判共ニ居ウ |  間、書判・印判共被仕可然之由候て、今日左様ニ被仕候事
         |               都(雨窪村)                          (快寛)
走百姓      |一、野瀬喜介登城ニ手、主知行京郡雨くほニ而御座候、百性走り申候由、御郡奉行佐方少左衛門・御
         |
         |  惣屋二郎右衛門ニ昨日届申候処ニ、夜前はしらせ申候、此者走申候てハ、御借米上納仕儀不成候
         |  由、届申候事、
吹矢長崎ニテ買入 |一、長崎へ飛脚被遣候、杉山藤兵衛与之者也御鉄炮衆参候事、但、江戸ゟ吹矢之儀被 仰越候ニ付、
         |  かいニ被遣候事、
         |

         |              
              五日 両人詰 曇
         |
三斎上洛ニ鉄炮足 |一、中津ゟ式ア殿・民ア殿へ之書状参候を、御奉行衆へ御見せ候、 三斎様今月末ニ御上洛被成候
軽水夫ノ用意   |  間、御鉄炮衆百人御やとい可被成之由、中津御奉行衆ゟ申来候、則林弥五左衛門へ被申渡候、又
         |  御舟御加子も定而御やとい可被成と存候間、内々其御用意可被成之由申来候、則鏡善右衛門へ被
         |  申渡候事、
         |
走百姓      |一、野瀬喜介登城、主百性はしり申候間、知行所へ参度候、御本丸御番かけ申候間、主せかれ甚介
         |         せ                                           (西郡清忠)
         |  名代ニ御番被仕候間、如何御座候と被申候、甚介ハ御物奉行ニ御付候間、成申間敷由、刑ア御申
         |           (非)
         |  候、左様ニ候ハヽ、ひ番之間二可参之由被申候、ともかくも喜介殿心持次第ニ候由、被申渡候
         |  事
         |
         |一、式ア殿ゟ御奉行衆へ御状参候、明日中津へ御茶上ケニ参候、御用候ハヽ可承之由、暇乞ニ可罷上
         |         (興相)                        (坂崎成定)  
牧興相拝領之茶開 |  候へ共、今朝ハ牧左馬中津にて拝領之御茶ひらきニ参候、晩ハ道雲口切ニ参候間、書状にて申入
坂崎成定ノ口切  |  之由候事
         |                (興相)
談合       |一、式ア殿明日中津へ御出候ニ付、牧左馬殿ニ而談合候事、
薮政三運上米   | 一、藪三左衛門運上米之儀ハ、式ア殿中津ゟ御帰候て、民ア殿と連判ニ而、中津御奉行衆へ書状ニ
         |   而可申入由候事、

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