京都市嵯峨ご出身の井上章一氏の「京都ぎらい」は、京都=洛中を痛烈に批判していて、非常に面白い。
洛中人にはなりえない嵯峨の出身である氏の出自に、一種の無念さが見えている。
最後の方で氏は「七条」を「しちじょう」と云う今の読み方に、強い違和感をしめして憤慨しておられる。あれは「ひちじょう」であるべきだと・・・。
私も今でこそ「七」は「しち」と発音し、特段の違和感も持っていないが、氏が言われるように確かに「ひち」と発音していた。
これに気づいたのはそう古い話ではない。ブログを書き始めて気が付いたのである。
ちょっと見つけ出せないでいるが、どこかにそのことを書いた覚えがある。
熊本にも「七軒町」という地名があり、「ひちけんちょう」と読んでいたはずだが、そのよみで検索しても「七軒町」は出てこない。
京都には「四条=しじょう」があり、「七条」が「しちじょう」では、お年寄りなどは聞き間違えてしまうとご立腹である。
氏の著書の出版社からは、「七=ひち禁止令」が出たという。
東京の出版社のせいだと憤慨されるが、多勢に無勢敗北に至ったようだが、憤懣やるかたないという風情である。
私より13歳若い氏が、出版社の「禁止令」により、此のことに気づかれたのは40台に入ってからの事だとされる。
私のブログが16年ほどになるから60代に入っての頃になるが、13歳の年齢差からすると少々気づくには遅きに失している。
そもそも何故「ひ」が「し」になったのだろうか。日本の大方が「し」と発音していたという事なのだろうか。
熊本の言葉は古語が定着しているものが多いとされるが、発音に於いても「七=ひち」が定着していたように思われる。
熊本ではあまり気にする人もいないのだろうが、京都の人たちは、発音にまでお国の力が及ぶことに憤慨されている。
「京都ぎらい」の教授も、このことに於いては京都擁護派の先鋒であられる。