津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ふたたび「手木之者」

2020-02-09 16:56:44 | 徒然

 以前「■手木之者」を書いたが、これがどういう職種なのかずっと判らないまま今日に至っている。
今般熊本史談会で「御預人記録」を取り上げるにあたり、史料を読んでいたらこの名前が登場していた。
細川家は大石内蔵助を含め17人の赤穂浪士を預かるにあたり、大目付仙石伯耆守宅へ上下875人を派遣している。
その中に「手木之者五人」とあり、足軽や荒仕子・中間より下位に書かれている。
右の行に「提灯持之 」の文字が有るのだが、この「手木之者」に懸っているのかどうかもよく判らない。
大提灯二十張とか提灯四十張という数字も見えて、これらをだれが持つのかは明らかでない。
手木之者の職務などが判るどころか、ますます深みにはまっている。
そして、残念ながらどういう隊列で仙谷邸から白金邸へ向かったのか、当時の伊皿子の坂は現在の様にはつながっておらず、やや手前の急な坂道を上ったものと思われるがこのルートさえ定かではない。
インターネットの世界も、これには回答をしてくれないようである。

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■細川小倉藩(145)寛永三年・日帳(七月廿七日~廿八日)

2020-02-09 08:54:49 | 細川家譜

                       (寛永三年七月)廿七日~廿八日

         
         |     廿七日
         |

香山與助ノ規矩郡 |一、規矩郡御検地、香山與助請取被申候分、御帳迄相調候而、在郷へ被罷帰候事、
検地帳調ウ    |
田川郡検見    |一、田川郡ノ検見ニ、山田市左衛門申渡候処ニ、かつ気相煩候間、誓紙を以可申上候間、替りを出シ
脚気ニ付誓紙ニテ |  ■■候へとの理りニ、登城被仕候事、
替エヲ乞ウ    |
         | (南条元信室・細川興秋女)
鍋兼知行所未進米 |一、御鍋様・御兼様御知行所未進米之儀取立、御代払可申旨、栗野伝介へ申遣候事、
ノ取立      |      (筑紫重門室・細川孝隆女)
         |                    (河井)
鷹ノ様子報告   |一、御鷹ノ様子可申上旨、被 仰下候間、則権丞をよひ申渡候、一つ書ニ而、御鷹ノ様子可申上げと存
         |  候処ニ而候間、便舟次第ニ可申上之由、権丞被申候也、
         |         (元五) (志水清久)
         |一、御奉行衆ゟ、志水伯耆・宗加内儀・かゝ殿へ参候状、則持せ遣、相渡候也、
柘榴上納ノ触   |一、さくろ上せ可申旨、御奉書下り申候間、則御郡/\へ申触候事、
干物ノ肴     |一、干物ノ肴上せ可申との一つ書下り申候間、則金子喜左衛門方へ申渡候也、
中津蔵納旱損二万 |一、中津御蔵納三万七千石ノ内、弐萬弐千石やけ申候由候事、
二千石      |
         |     (山本)(渡辺)
鷹師隼落シニ人足 |一、御鷹師三蔵・三十郎与衆六人、隼おとしニ被参候付、人足可相渡候へ共、御荒仕子無之ニ付、
ヲ乞ウ      |  夫銀を積可被相渡通を、財津市兵衛ニ申渡候叓、
降雨       |一、ミノ刻ゟ雨ふり、廿八日ノ卯刻迄ふり申候事、

         
         |     廿八日
         |

内検       |一、何も御内檢ニ被参候手伝衆ニ、書状相渡、今日遣候事、
         |
      

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(2)

2020-02-09 06:52:48 | 史料

          

                 釈文: ■志方半兵衛言上之覚・1(12月12日付)

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