津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(154)寛永三年・日帳(十一月十三日)

2020-02-20 10:06:27 | 細川家譜

                  (寛永三年十一月)十三日

         
         |    十三日
         |         しま
三斎小倉縞ヲ要ス |一、三斎様ゟ、小倉〇三十端御用之由、町奉行衆へ申来ニ付、次夫ニて可遣由、被申候ニ付、次夫
         |  ノ状を調、吉田少右衛門ニ相渡候事、
         |   (長泰)
         |一、平野遠江様へ御飛脚として、御小人ノ吉右衛門と申者被遣、昨日ノ日帳ニ付置候、御書箱共不
         |  残、右ノ御小人ニ相渡候事、但、大坂ノ 御書箱ハ渡不申候也、
         |一、今日出船候御小早御船頭宮崎孫左衛門也、寺嶋平兵衛ヘノ 御書相渡遣候也、
         |                             弓削
         |一、弓削六丞、此中煩候而被居候、在郷親所へ参、養生仕度由、勘十郎登城仕、被申候間、被参可然
         |  由申渡候事、
         |一、御昇上りノ河辺忠右衛門尉御蔵子、かうしゃにて候付、大坂へ上せ申候事由、申渡候事
         |                                  〃
         |  (加来)
物書ノ番ノ調整  |一、かく次郎兵衛・奥少兵衛さし相申ニ付而、森六左衛門・志水安右衛門をよひ出し候て、御用調候
         |  也、
         |        ( 紙 帳 )
風呂屋ノ紙帳ノ釣 |一、御風呂屋ノ御しちやうつりてのかき、上林甚介与之者二、さいくの衆候間、仕せ候へと、甚介ニ
手ノ鉤調整    |  申渡候事、
物書       |一、松本彦進・豊岡甚丞所ニ御物書入申由候間、森六左衛門遣候事、
入水自殺ノ吟味  |一、志賀次兵衛海中へ入、相はて候ニ付、我等共ぎんミ仕、様子深野左介方まて可申旨ニ候ニ付、存
         |                            ( 落  着 )
         |  寄通、左介ニ直ニ書物相渡、申度候処ニ、土佐新太郎ニ、らくしやく之様子か様ニ可有之と、我
         |  等共申由、左介被申候ヘハ、新太郎被申ハ、重而御きんミ可被成之旨ニ付、又書物を返し被申ニ
         |  付、いよ/\書物之内ニ不審ニ存処を書付、右之書物ニ相添、西野九郎兵衛を以、左介方へ遣候
         |  事、
         |             ( マ  マ )     ( マ  マ )
長崎ヘノ道中渡賃 |一、国友半右衛門与御鉄炮衆     幷御小人    此両人長崎へ御使ニ被遣時、道中渡ちんノ  
ノ切手ニ無念アリ |  切手ノ儀ニ付、不念成儀有之ニ付、国友半右衛門方へ御鉄炮衆之儀、か様ニ大キなる不念之儀仕
         |  出者之儀ニ候間、重而又か様ニ候ヘハ、御ちうはつも可被成候間、可然御鉄炮衆被召置、彼者

         |                                        
扶持召放     |  儀ハ御扶持被放可然候ハん哉、とかく御預り之儀之御座候間、御分別ニ過申間敷之通若、御算用
         |                  ママ                                  
         |  被聞事、宗方山三郎・財津市兵衛両人へ半右衛門方へ遣申候事、
三斎へ進上ノ猫  |一、三斎様へ被進之候ねこ、乃美市郎兵衛持参被仕候処、米田與右衛門ねこ、田町久三郎と申者之ね
         |                    (政時)          (豊後大分郡)
苻内萩原ノ幕府横 |  こ被 召上候、則市郎兵衛被帰候ニ、貴田権内ゟ之言伝ニ、苻内萩原ノ御横目御替候由承候間、
目交替  新任者 |  何かし御越候、身躰ハ何程ノ仁にて候を書付、科申越ノ由ニ候事
ノ姓名身躰ノ報告 |
ヲ求ム      |              (重信)       (紀)
         |一、苻内萩原之御横目ノ替ニ竹中筑後殿・東条記伊守殿両人御下候事、
         |                    (長頼)
幕府横目ヘノ進物 |一、東条記伊守殿・竹中筑後殿、萩原之御横目ニ御下被成ニ付、御小袖五つ宛十・御樽五つ宛十被進
         |        (元次)
小袖樽      |  候ニ付、芦田與兵衛御使者ニ被参候、爰元ゟ與兵衛知行所まてハ、歩之御小性益永太兵衛ニ、右
         |  之御小袖・御樽・御書相渡、遣申候事、
借米ノ元利ヲ返サ |一、当年方々ゟ被成御借用米、元り無御返ニ付、壱わり宛増、利米斗可返遣旨、 御意被成候、併何
ズ一割増ノ利米ヲ |  も弐わり、米之分ハ一わり増可遣、三わり米ハ其儘可返二、與左衛門・清右衛門・小左衛門・彦
返ス       |  進・金子・伝介相談にて申定候事、
詰衆ノ替リ    |一、御詰衆、皆々知行所へ被遣候間、中小性衆御奉公仕度と存候もの共詰可申旨、永良長兵衛方に
         |  て、被 仰出候也、
         |

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■うけつがれるのは矜持

2020-02-20 08:12:16 | 徒然

 細川家家士のご子孫を調べていく中で、絶家となっているお宅が多く見受けられる。
「母の実家が、妻の実家が・・□□家」という形でのお問い合わせが沢山ある。
一方養子を迎えられて家名を残そうとされるお宅もある。こちらは入り婿を迎えられたり、女姉妹の男子を迎えたりされている。
絶家となったお宅、養子を迎えられたお宅、それぞれのお宅の葛藤をお見受けする。
数代にわたり女系によって受け継がれているお宅も結構多くみられる。どこから養子、あそこから養子と眺めていくとその関係にも興味をそそられる。
DNAがつながらないご養子さんの例も多々うかがえる。
家を継ぐということは必ずしも血脈を継ぐという事ではない。又、家名を残し、先祖代々のお墓を守るという事のみであろうか。
そして、ご先祖探しのお手伝いをしてその結果に喜ばれる方々には、苦労辛酸をへて次代に家をつなごうと努力されたそれぞれの方々の覚悟と矜持を感じていただきたいと申し上げている。
私は、受け継がれているのは、まさに「矜持」であろうと考えている。プライドという英訳では伺えない、崇高な精神性が感じられる言葉である。

「某ホテルの矜持」とは、確かなバックボーンに支えられたホテルの歴史そのものであろう。

 

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(7)

2020-02-20 07:27:28 | 細川家譜

                               

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