肥後落穂草に重賢公が「安否(あんぴ)はあんぷというべき」と仰ったことが記されている。
それから家中に於いてどう取り扱われたかは判らないが、これは漢音と呉音の違いらしい。
博学の殿様にお仕えする人たちは、あたふたさせられる一方、大いに見識豊かになったことであろう。
[語誌]
室町末期ではローマ字書きのキリシタン文献や多くの節用集で「あんぷ」とし、江戸後期の節用集の多くやヘボン「和英語林集成」の諸版は「あんひ(ぴ)」とするところから、近世に「あんぷ」から「あんぴ」へと語形が交替したと考えられる。ただし、すでに室町期に「あんひ(ぴ)」もあるし、明治一〇年頃の「小学読本字引」やその後の「言海」などには「あんふ(ぷ)」も残る。