津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■重賢公曰く

2020-02-08 14:44:31 | 徒然

 肥後落穂草に重賢公が「安否(あんぴ)はあんぷというべき」と仰ったことが記されている。

それから家中に於いてどう取り扱われたかは判らないが、これは漢音と呉音の違いらしい。
博学の殿様にお仕えする人たちは、あたふたさせられる一方、大いに見識豊かになったことであろう。

[語誌]
室町末期ではローマ字書きのキリシタン文献や多くの節用集で「あんぷ」とし、江戸後期の節用集の多くやヘボン「和英語林集成」の諸版は「あんひ(ぴ)」とするところから、近世に「あんぷ」から「あんぴ」へと語形が交替したと考えられる。ただし、すでに室町期に「あんひ(ぴ)」もあるし、明治一〇年頃の「小学読本字引」やその後の「言海」などには「あんふ(ぷ)」も残る。

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■横手町の涅槃會

2020-02-08 13:08:42 | 熊本

 熊本城の裏鬼門にあたる横手地区には御寺が集中している。毎年2月15日には今でも幾つかの御寺で涅槃像の御開帳が行われる。
       2016年の高麗門外・横手地区 涅槃絵図拝観ツアーの映像

毎年200人以上の方々が訪れて賑わいを見せる。
この行事の歴史は古く、「歳序雑話」には次のように記載されている。

  十五日諸寺涅槃ノ像ヲ挂ケ、老若男女是ニ到リテ礼拝ヲ為ス、蘭若之群集過ル此日ニ莫シ、浮図淫スル非ズト雖モ、
  多ク来タリ而之ヲ見ル者多ク有リ、彼岸此月ニ在リ、七日ヲ以テ結願ト為ス、諸寺ノ高僧碩学之比丘、法談ヲ述べ教
  於旦那ヲ化ス、

かっては多くの御寺様がかかわって来られた。(妙永寺、妙立寺、正立寺、長国寺、本覚寺、安国寺、禅定寺)
今年は四ケ寺が御開帳と聞くが如何だろう。

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(1)

2020-02-08 08:15:14 | 史料

 原文に触れるシリーズ第二弾として、何度か読み下しをご紹介した「志方半兵衛言上之覚」を取り上げます。
天草島原の乱に於ける八代衆の働きぶりを、京に在る三齋公に志方半兵衛が記した報告書はその都度飛脚を以て届けられました。
本藩の働きとは別に、その働きぶりは幕府の認めるところとなったが、その恩賞は本藩から別途に扱われ、三斎公死後八代を離れる人が出たことにも影響している。

           

                 釈文: ■志方半兵衛言上之覚・1(12月12日付)

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