津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(151)寛永三年・日帳(十一月十日)

2020-02-16 14:28:48 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)十日

         
         |     十日
         |
田川郡横目ニ免ノ |一、田川郡御横目松村吉左衛門尉召寄、御郡中之面之様子相尋候処ニ、今晩ハ何共違御座候儀不承之
様子ヲ尋ヌ    |  由ニ候間、弥相究処聞届候て可申上旨、申渡候事、
         |   (忠有)
忠有後室女貸米ヲ |一、彦山僧正御房後室・御息女之米借付被下候様ニ被 仰上ニ付、御かし付可被遣候間、其段可申
渡願フ      |  旨、被 仰出付、内衆よひよせ候て御意旨申渡候事、
貸米百石     |一、彦山僧正御房後室へ、右一つ書通申進之候処ニ、小野五左衛門を以、被 仰越候ハ、米百石御座
         |  候間、米かしニ成共、又ハ銀子ニ被成候而成共、御貸付被成被下候様ニと被仰越候、上方へ米御
         |  上せ候儀は難成思召候間、いか様共 御諚次第由候事、
         |                (英貴)
三斎下着ニ音信ノ |一、中津へ御音信ニノ御使者ニ、有吉頼母佐殿昨日御越候、頼母佐殿ハ未中津ニ御逗留ニ而、御進物
使者有吉英貴   |        〃
         |  二付被遣候歩之御小性原孫助ニ、頼母殿ゟ御状御越候て、御きけん能上り申候、御返書で次第ニ
         |                          〃
         |                        (氏次)
         |  御帰可被成之由、被 仰越候、則頼母殿ゟ状、田中與左衛門 御前へ持参被申候事、
江戸供ノ願書   |一、来年江戸御供仕度由、竹内八兵衛書物持参、被申候事、
         |一、三斎様御下着ニ付而、有吉頼母殿御使者ニ被遣候、然ニ昨日四つ時分ニ御進物上り申候、今朝頼
         |                     (浅山)   (田中氏次)          (三淵之直)
         |  母ニ罷上候へ、御返事可被成 御意之由、清右衛門・與左衛門迄状参候を、左膳方にて、御前へ
         |  上ヶ申候也、
走者ノ親ニ呼返ヲ |一、松田佐太郎親ニ、早太郎儀尋出シ候而、呼返シ可申旨、不破忠左衛門申候処、忝御諚共ニ候、則
命ズ       |  方々立聞候而、呼返シ可申通、申上候事、
荒地茅開     |一、続少右衛門、同亀助知行所へ参候而、田地ノ荒地を茅開申才覚仕度候、いかゝ無之哉とノ儀ニ候
         |                             
         |  間、冣前も、何も在々へ参度者可参旨、 御諚被成候間、可〇参旨申渡候事、
知行所行ノ届   |一、明日亀助知行所へ罷越候、
         |     十一月十一拾日                    続少右衛門尉(花押)
         |        〃〃
江戸供ノ願書   |一、本庄長助来年之御供望之書物持参、被申候事、
         |                              (飯田)
家中上方借銀ノ袖 |一、寛永三年之上方御借銀 御袖御判■帳 御前へ御用之由候而、飯才兵衛ニ相渡候事、
判控帳      |                 (表記不可・扌偏に只)
     
    |                (勝永)   (武次)
上方借銀返弁   |一、上方御借銀寛永三年分之内、寺尾左介・牧丞大夫編弁仕、御袖判弐枚取返し被罷下候、御判御け
忠利ノ袖判ヲ消去 |  し被成候を、清右衛門・與左衛門見届可申旨、 御意ノ由、飯田才兵衛方被申候、見申候て、右
スルヲ見届    |  ノ御袖判弐枚才兵衛方手前ニ被置候へと申、返上申候、幷左介・丞大夫御銀子請払ノ目録も見可
         |  申 御意ノ由、見申、是又才兵方へ返上申候也、
金山詰ノ弓鉄炮足 |一、御金山へ参候御弓・御鉄炮野小頭ニ、御法度書仕渡候を、小頭吉助・三郎四郎ニ相渡候事、
軽ノ法度書    |
         |        (宗茂)         (重成)
立花家中ヨリ隼ヲ |一、立花飛騨様内、八嶋石見所ゟ隼二居すへさせ被越候間、宿奉行可申付由、式ア少輔殿ゟ被仰越候
贈ル       |  事
         |  (沼田延之)                ・後に清田主馬乗治室になる「国」か
河口出女切手ノ願 |一、長岡勘解由殿おは京ニ御座候、彼方へ壱人上せ預ケ申候間、川口出切手ノ 御印被仰上候へ
コノ国生レノ女ハ |  ハ、御国にて生候もの他国へ被遣間敷旨 御意候、就夫、切手勘解由殿へ返シ申候、使永井惣右
他国へ出サズ   |  衛門也、
金山鉄炮足軽ノ扶 |一、御鉄炮衆御金山へ被遣ニ付、御ふちかた可被相渡との状、幷小頭共判形ノ付立、壱つニ包、友田
持方付立     |  二郎兵衛与住江少左衛門・松岡久左衛門与三浦與左衛門両人ニ相渡候事、
         |             (木下利房ヵ)
木下利房ト鷹鶴ヲ |一、村田彦市・木村十左衛門、宮内様へ御鷹すへさせ被遣候処ニ、今日下着被仕候、呉服三つ宛拝領
贈答ス      |  被仕候由候、宮内様ゟはいたか一居被進之候事、                (鬮 取)
江戸供鬮取    |一、本庄長吉被申様、今度御供望之書物差上申候、当春 御上洛之時も御供望申候へ共、くしとりニ
         |  被 仰付故、はつれ申候、其段差出ニハ書付不申候間、しせん御吟味も御座候ハヽ、其段被仰上
         |  可被下由被申候事、
江戸供ノ願書   |一、竹内八兵衛、来年御供望之書物被差上候事、
         |一、田中兵二郎、右同前ニ書物被差上候事、
         |  (林)      (河田)                               (ママ)御
鉄砲足軽金淘ノ運 |一、弥五右衛門、八右衛門与之小頭小堀長左衛門・永井市左衛門右両人金山へ被遣、御鉄炮衆金ゆり申運
上差引ノ算用   |  上仕、差引ノ御算用ノため遣候事
         |       (唐 猫)
美シキ唐猫ヲ求ム |一、うつくしきからねこ御用候間、当町ニ所持仕もの候ハヽ、可被差上由、吉田少左衛門申渡候事、
触        |

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■雨の中の「熊本城マラソン」

2020-02-16 11:06:14 | 熊本

 あいにくの雨模様となった「熊本城マラソン」、フルマラソンとともに5キロマラソンなどに多くのランナーが歓声を上げながら走っている。
雨と高気温の悪条件の中での開催となった。

そんな中で著名なランナーの登竜門となっている「熊本30キロロードレース」は設楽雄太が出場、ぶっちぎりの優勝ではあったが、此のコンディションの中では新記録とはいかなかった。
二週間後の東京マラソン出場を前にしてのことで、順調な仕上がりぶりがみえ、オリンピック出場に向けて日本新の期待を背負って頑張ってくれることだろう。
今日は夕方まで熊本は雨模様である。室内気温は20度を越え暖房いらず、靴下いらずである。明日以降は積雪が心配される予報が出ている。

 さて散歩はどうしようかと思案している。今は雨も小ぶり状態になっている。
マラソンランナーの人たちは、ビニールの雨がっぱで走っている人もあっていかにも市民マラソンの風情もあるが、トップ集団の人たちは自己記録更新をかけて雨に濡れながら力走している。
これでは私如きが雨ゆえに散歩取りやめとは言い訳にはならず、傘をさしてでも出かけずばなるまいと考えている。

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■綿考輯録が記す「天皇譲位」

2020-02-16 10:41:27 | 細川家譜

 私の愛読書に隆慶一郎の一連の作品がある。その中でも後水尾天皇と秀忠の確執(紫衣事件や徳川和子の入内)を取り上げた「花と火の帝」等は、大いにワクワクしながら読んだものだ。
小説の大方は地震後処分したものが多いが、この本は生き残っている本の中に含まれている。

先ごろ綿考輯録をめくっていたら、この事件に絡む三斎が忠利にあてた書状に出くわした。
少々長いががんばってご紹介しよう。

  一、禁中御譲位之儀立 御耳、始は事之外御立腹にて候つれ共、左候而別二可被成御沙汰様も無之二よ
    り、何と成共、 御心任と 御意之由、国師物語にて候、替儀候は可申事、
  一、京にて禁中向之儀承候、 主上之御事ハ不及申、公家衆も事外物之きれたる体と申候、 主上御不
    足之一ツニハ、公家衆官位御まゝ二不成との事、又ハ御料所加増にて被進金銀も、折々被進候へ共、
    是も毛頭御まゝ二不成候、右之分二候ヘハ何を以公家衆へ感不感可成御立様も無之候、其上八木金
    銀御道なきニよりたまり申候を、利分を付、奉行共より人ニ借付申候、如此ノ故人之口にて候ヘハ、
    王之米何程借り候、金銀いかほと借り候と口すさみ申候、神代より禁中ニ無之例ニ候を、今 主上
    之御代ニ当りか様之事出来、無御存知事故、後代之そしり御請被成候事、何より口惜 思召候由、
    又ハ大徳寺・沙真寺之長老なり不届と武家より被仰、或衣をはかれ、又ハ被成御流候ヘハ、口宣一
    度ニは七八十枚もやふれ申候、 主上此上之御恥可在之候哉との儀、又かくし題ニハ、御局衆之は
    らニ 宮様達いか程も出来申候をおしころし、又ハ流シ申候事、事之外むごく御無念ニ被 思召候
    由候、いくたり出来申候共、武家之御孫より外ハ 御位ニは付被申間敷ニ、余あらけなき儀とふか
    く被 思召由候、此外未数御入候へ共忘申候、此前いつの時分哉覧
     おもふ事なきたにやすくそむくよにあはれすてゝもおしからぬ身を
    と被遊候由候、此はてのをとまりは残ルてにをはと申物かと存候、よせいかきりなき 御製と世上
    ニ申候由候、案のかとく御位をすへらせられ候後は不存、つよき御事と存候事、
                 (中略)
      (寛永六年)十二月廿七日      三斎 御判
                越中殿
                  進之候

公にされることのない私信ではあるが、いろんな事件に関する三斎の素直な意見が述べられていて興味深い。
幕府の余りに非道なやり方が、三斎が有力大名の一人とは言え、このように情報として耳に入っているということは、これらの事件が大変異常であり、批判を受けていることがよく理解できる。

隆慶一郎はこの事実にフイクションとしての肉付けをしながら、痛烈なる徳川批判を展開している。
時間を見付て改めて読んでみようかと思っている。一気呵成に詠むことができる著作である。

 

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