津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■醜態そして反省

2020-02-21 13:48:26 | 徒然

 細川家家臣T家のご子孫が、お宅に残る史料を寄託されるためにわざわざ静岡から来熊された。
熊本大学の図書館に出向かれ、永青文庫研究センターの稲葉教授など六名の方々とお話されて、寄託の方向に決まったようだ。
昨今貴重な資料がヤフオクなどに出品されで、バラバラの状態で散逸している。そんな中でのご英断に敬意を表したい。

昨晩はわがやにほど近い居酒屋で談論風発、楽しい時間を過ごさせていただいた。
嬉しさのあまりに盃を重ねすぎて、酩酊してしまった。おまけに店の前で転倒してT様とご子息にお世話をかけTAXIでお送りいただき、おまけに我家まで介助していただくという体たらくである。
朝起きてみると、頭を怪我し枕が血だらけになっていて、右手の手のひらは傷だらけで皮がめくれたり、右ひじは擦過傷で少々内出血しているという有様である。
T様にはあきれ果てておられることと思うが、すべて後の祭りでお詫びの申上げようもない。

少々うずく頭で、去年暮の忘年会では相当呑んだが何ともなかったのにと考えたことだが、あの時は「ウコン」を飲んだことを思い出した。
現役時代は相当呑んだ私だが、飲酒の人生で最悪の醜態となった。
奥方からさんざん絞られて、少々小さくなっている。

付足し:次からは「ウコン」を必ず飲む。
    雑損・・眼鏡を紛失・・

コメント (3)
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■細川小倉藩(155)寛永三年・日帳(十一月十四日)

2020-02-21 10:47:49 | 細川家譜

                  (寛永三年十一月)十四日

         
         |    十四日
         |
三斎ヘノ書状進物 |一、三斎様へ 御茶・酒ノ入候箱一つ、幷 御文箱、又 御文箱ニ不入 御書一つ、 御書数二つ、
         |  丑刻ニ御歩之衆正源司市兵衛与守友市大夫方ニ相渡候、御小人一人相添候事、
         |         (塗師屋)此
柄巻師  塗師屋 |一、つかまき大蔵・ぬしや〇両人職人町ニ家を持居申候が、うり申度由候を、町人買申度由候、うら
居宅ノ売買ノ可否 |          (吉田)  
町奉行ノ指図次第 |  せ可申哉との儀、少右衛門被申聞候間、此方ゟノ指図無之候、御町ノ儀ニ候間、御町奉行次第ニ
         |  可被仕通、申渡候事、
         |                                (臼井)(鏡)
船頭知行所行ノ届 |一、御舟頭衆知行所へ被参候儀、御奉行所へ届、可参候哉、如何可仕と兵助・善右衛門方登城被仕候
ノ当否      |  而被申候間、今迄ハ如何被仕候哉と、相尋候処ニ、御先代、此方両人存候て遣由候間、今以其分
船頭惣奉行二人ノ |  ニ被仕候而可然由、申渡候事、
指図の旧例ニヨル |                                        (平井)
落白鷺持参    |一、白さき一つ、規矩郡徳力村死居申由候て、御百性藤右衛門御郡奉行へ持参申由候て、五郎兵衛所
         |              (右)
         |  ゟ持せ被差上候を、米與左衛門持上ヶ被申候事、  
         |           (米田是門)
         |        小人ノ          
百姓下人ノ小人ノ |一、中津御領分ノ百性下人一人、御中間内ニ御奉公申候ヲ、彼主人せかれを川流ニ而ころし申ニ付、
         |        〃〃
帰農願      |  田地作仕事不相成候事間、返シ被下候様ニと申候而、書物上ヶ申候間、真下七兵衛ニ申候へと、小
         |           〃           (米田是門)
         |  頭ニ申渡候事、其上を以談合可申由申候、御横目甚左衛門事、
         |       〃
音信物奉行任命  |一、不破角丞与熊野半左衛門、御音信奉行申付候事、
物差ノ用     |一、栗野伝助・加藤新兵衛、手前ニ被仰付物差急可申旨、被 仰付候間、其旨伝助ニ申渡候事、
貸方ノ清算    |一、御貸方之儀、甚丞・彦進ニ急度埒明候様ニと、彦進ニ申渡候事、
知行跡職ノ願   |一、大月ニ右衛門知行を、せかれ甚十郎ニ被遣、今迄甚十郎ニ被下候おふち方切米七石を■仁右衛
         |  門ニ被遣との 御印うつし、彦進・甚丞ニ相渡候事、
         |十四日
         |一、津川四郎右衛門尉殿ゟ問 太郎介所へ御用之由、御状一通、林與兵衛ニ相渡候事
         |同日    (昭光)   (蜂須賀忠英)
         |一、槇嶋云庵へ、松平阿波守様御内岡権兵衛ゟ参状、野田小左衛門方ニ言伝、中津へ遣わ候事、但、あ
         |  わゟハ、長谷部文左衛門被持下候也、
         |同日                    (長相)津川四郎右衛門妹(織田信重室)の三男
津田長相屋敷拝領 |一、市村十左衛門屋敷を、津田三十郎殿拝領有度之由、得 御諚候ヘハ、可被遣旨、 御意被成候、
願        |  則右之通、津川四郎右衛門殿へ申渡候也、
         |同日  (親英)大友宗麟の二男・田原親家道孝の子
松野親英知行所請 |一、松野織ア方知行所請薮出入之儀、津川四郎右衛門尉殿ゟ被仰出候へ共、此段前廉吟味有之儀ニ
薮之出入     |  候へ共、織ア殿薮ニ成申筈にて無之由候、米をあげ候て、被請候ヘハ、其分ニハ成申儀ニ候通、
         |  四郎右衛門尉殿へ申渡候也、
         |同日
高麗鶴ノ用    |一、高麗靏御用ノ儀ニ付而、下ノ関伊藤木工かたへ、野田小左衛門ゟ様子申遣候ニ付、御小早を遣候
         |  事
小人長崎ヘノ道中 |一、御小人長崎へ御使ニ参候て、道中にて渡りちんの儀ニ付、切手出入之様子、真下七兵衛方へ申候
渡賃ノ出入    |  事、但、此儀ハ宗像三山三郎・財津市兵衛よく存候也、
         |           〃

    

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■志方半兵衛言上之覚・3(12月13日付‐2)

2020-02-21 10:46:46 | 史料

07        一、八代之御人数何段目ニ置候共 越中様御家老
           之もの申次第可仕旨奉得其意候事
         一、とかく八代之御人数ゟさきと八代之御人数と
           候之間熊本の者共おし申ゟ一ばいも遠ク
           武者おし可仕候 此外万事無油断可申付
           之旨奉得其意候事
         一、唐津勢最前嶋子表へ押よせ申刻山へ
           物見をも不遣うつかと仕武者たてをも
           取合せ不申其まゝはいぐんいたし数多おい
           打ニうたれ申候 其数所々のかせんも唐津勢
           めて被成はいぐん仕由承候 乍思只々被成下
           御書之趣毛頭違申儀無御座候と奉存候事
         一、右之 御書 立允様へ進御目申候事
         一、嶋原表之儀はらのじやうと申所一揆男女
           壱萬五六千程籠居申候 肥前筑後両国之
           勢四万五六千二て去十日ゟ遠まき仕居申候
           得共于今埒明不申由申候事

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