津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■散歩二回・・?

2020-02-10 16:08:30 | 徒然

 どうしても知りたいことが有って、図書館に出かける。昼食後自転車にしようか徒歩にしようかと迷ったが、自転車では帰りの坂道が難儀するので徒歩でスタート。
距離はほとんど散歩コースと同じ3.5キロほど、行は45分、帰りは50分、風は冷たいがよい天気で大汗をかいて帰宅した。
都合7キロ、散歩を二回したことになる。
図書館ではコピーを数枚取り、調べ物で本を30分ほど館内で閲覧、二冊の本を借りて帰ったので少々疲れてしまった。
シャワーをして一段落している所だ。ふくらはぎがパンパンしているから、今晩は又こむら返りが起こるかもしれない。
コーヒーをやめて水を大いに飲んでおこう。
78爺まだまだ捨てたものではありません・・・

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■再々「手木之者」

2020-02-10 09:59:33 | 歴史

 昨日「再び手木之者」を書いたところコメントを頂いた。

     手木の者→手木を使う者。捕吏。とりて。とコトバンクにありました。
     やはり岡っ引き=手先と同じように普段はサイドビジネスをしていて、用があると本業をやるんでしょうかね。
     これと直接関係ありませんが、三斎も学んだ天下無雙流捕手の道具を見ると縄以外は暗器のようで、手に収まる
     サイズの武器を使う者という意味にも思えました。
     また、琉球の「手(ティー)」は空手の祖先という説があります。空手と違うのは暗器も使うところです。

これは誠に有難いご教示であった。随分以前「同心とか岡っ引き」に該当するようなものが熊本に居たのかという質問を受けて以来の難題であった。
藩政時代の地図を見ると、現在の水道町二丁目、肥後銀行水道町支店の道を入った処に「手木之者」と書かれた一角がある。つまり「手木之者」がここに詰めていたことが判る。

                               

                  現況地

                                                         
手木之者の定義としては、「熊本近世用語事典」に「目明し。手木とは十手のことで、熊本藩では「目明し」という呼名より手木之者と呼ばれていたようだ。」(出典:熊本日々新聞社・新歴史摘録34 森田誠一編)とあるが、先のご教示から天下無雙流捕手について調べると、これは逮捕術を体得した専門の武家であることが伺える。
「目明し」というよりも「同心」に近いニュアンスがある。
「天下無雙流捕手」については「肥後武道史」に若干の記述があり、代々の師範の流れが記されている。
又、ウイキペディアの「天下無雙流(櫻場系)」をみると、唯一熊本に伝えられた武術であることが判る。

今回のご教示によって、「手木之者」のイメージが大いに膨らんだ。
江戸に於ける「岡っ引き」とは大いにイメージが異なることが理解できる。
但し、これを職種と考えると、穿鑿方にでも所属していたのか、今後の研究課題である。

 

コメント (2)
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■細川小倉藩(146)寛永三年・日帳(七月廿九日)

2020-02-10 06:38:42 | 細川家譜

                       (寛永三年七月)廿九日

         
         |     廿九日
         |

大安寺住持曲事人 |一、式ア少輔殿ゟ御使ニて候、大安寺ゟ書状参候、各へも以書状可申候へ共、式アニ心得候て、申候
ノ詫言ニ付申来ル |  へとの儀候、来八月 幽齋様御吊上方ニて被 仰付候、就夫、爰元曲事人籠者共、銘々こまかに
幽齋法事ニツキ入 |  書付被下候ハヽ、上方ニて御わひ事仕見可申候間、こまかに目録を仕立、可差上由被仰越候、得
牢者等詫言ノ目録 |  其意申候、御返事申候事
鍋へ南条元信トノ |一、おなへ様御祝儀ノ御使者として、岡六左衛門被罷下候ニ
祝儀ノ使者    |
御乳人      |  一、おなへ殿へ之 御書幷おちの人・おひかし殿へ大塚長庵ゟノ状壱つ
         |      御      (快寛)
中津郡奉行    |  一、中津郡奉行佐方少左衛門・宮部久三郎へ之 御書壱通、則持せ遣候也、
         |  一、我々へ被成下 御書壱通、
         |  右之分被持下候
         |        (領)
具足三十領下着  |一、御具足三十両被持下候事
         |          (長氏)
         |一、平野九郎右衛門ゟ留守へ、しふかミつゝミ弐つ・状壱つ参候を、則留守居ノ少右衛門ニ、松之
         |  御丸ニ而渡之也、
下毛築城簗奉行  |一、下毛郡やな奉行ニ遣候歩ノ松山小右衛門・渡辺加太夫、右同前ニ人付遣事、
宇佐郡簗奉行   |一、宇佐やな奉行ニ遣候歩ノ寺戸仁兵衛・速水長三郎ニ、御鉄炮衆弐人、御長柄衆五人相添遣候
         |  事
大道打ノ刀    |一、伊藤武左衛門尉、成田與平次方ゟ、大道打之御こし物弐こし、幷さめつぶ上せ被申候事、
鮫粒       |
         |                               (元五)
         |一、御鍋様へ、従 殿様被進之 御書、岡六左衛門預ケ被置候を、志水伯耆所ニ被居候付、伯耆小性
         |                          (大塚)           (乳)
         |  三輪佐源太を取ニ被越候間、 御書相渡候事、付り、長庵所ゟ、御なべ殿御ちの人へ参候状を遣
         |  候事、
         |   (直正)      公儀御
幕府鉛船     |一、寺本八左衛門尉〇鉛舟之奉行之御触ニ付、被罷出候、田辺兵助ハ今日可被罷出候へ共、おこり
         |  をふるひ被申候故付、明日可被参由之事、
         |         〃
旱損ノ目録    |一、日損之御目録、差上せ候御小早之船頭田辺長助上り候由、申来候事、
         |              (古祐)
         |一、岡六左衛門被下候ニ、曽我喜太郎殿ゟ杉ノ箱壱つ、富田十太夫・松下掃アニ当ル箱一つ、十太夫
         |  内角善右衛門ニ相渡候事、
         |一、右同人熊谷九郎兵衛所ゟ宿へ、うわむしろ包壱つ参候を、持参被申候ヲ與左衛門持せ遣候也、
         |一、右同人持参候、大石長右衛門所へ大石吉右衛門かたゟ銀子有之状、早川十郎兵衛ニ言伝参候也、

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