御知行取名鑑」検索)肥後 熊本藩 細川家 分限帳 禄高 宛行 横井左平太 大木舎人 有吉頼母 江戸 幕末 明治維新 写本 肉筆資料
細川家の侍帳もまだこういう形で残されている。別に紹介してある写真の内容からして、初出の物であることが判る。
随分高額になりそうな予感がする。最近金欠病気味の私には、指をくわえてみている他はない。
何方か奇特な方が落札されて、後で見せていただくわけにはいかないだろうかと、虫の良い考えを抱いたりしている。
皆様のご幸運をお祈りする。
御知行取名鑑」検索)肥後 熊本藩 細川家 分限帳 禄高 宛行 横井左平太 大木舎人 有吉頼母 江戸 幕末 明治維新 写本 肉筆資料
細川家の侍帳もまだこういう形で残されている。別に紹介してある写真の内容からして、初出の物であることが判る。
随分高額になりそうな予感がする。最近金欠病気味の私には、指をくわえてみている他はない。
何方か奇特な方が落札されて、後で見せていただくわけにはいかないだろうかと、虫の良い考えを抱いたりしている。
皆様のご幸運をお祈りする。
熊本の中世社会を勉強しようとしても、これといった著作が見いだせない。
わが恩師・高田廉一Drは自らの御著「肥後武将の源流」をしめして、これ以上のものはないと自負しておられた。
次回の史談会では、会員のM氏が永和三・四年頃の戦いに明け暮れる熊本の様子を取り上げられるが、私にはあまりにも知識が希薄で、少々勉強しなければと感じている。
恩師・高田Drの著に、ここで取り上げる川添昭二氏の著を手に入れて、泥縄の勉強をしようと思っての事である。
Amazonに購入の手續をとった。
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| 十六日
| 喜介与 源三郎与
臼杵ヘノ書状 |一、豊後臼杵へ、御小人ノ〇又助・孫左衛門両人ニ、御書箱弐つ相渡、遣申候事、
| 與介与 弥左衛門与
中川久盛ヘノ書状 |一、中川内膳様へ、御小人源四郎・十三郎両人ニ、御■文箱壱つ持せ、遣申候事、
| (米田是友)
入牢者釈放 |一、下毛郡諸田村少介籠ゟ出シ申、田川郡へ遣申、 御印土佐新太郎を以取申候、甚左衛門取次也、
弓盗人誅伐 |一、当町に而竹屋喜兵衛弓盗仕ニ付、誅伐仕候、御腰物御座候ハヽ、 御意次第誅伐可仕由、御町奉
様斬(ためしぎり) | 行被申上旨申上候処ニ、籠ニ入置可申候、何時成共、御用次第ニ可被仰付 御意事、甚左衛門奉
| り、
| 一艘
平野長泰へ川御座 |一、大坂ニ而川御座〇幷荷舟一艘、平野遠江様御かり被成旨、寺嶋平兵衛方ゟ申越候間、則土佐新太
船ヲ貸与ス | 郎を以立 御耳申候事、
隼鳩網ニ打込ム |一、京都郡堅嶋村之久右衛門と申百姓、隼一居鳩網ニ打こミ申候由ニて、持参仕候、則河井権丞所へ申
| 遣也渡候也
| 〃
| (元信)室は細川興秋女・鍋
忠利南条元信邸ニ |一、南條殿へ被成候 御成候、終日被成御慰候事、
遊ブ | 〃
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|一、永井安太夫身上之儀、道家左近右衛門登城ニ而被申候事ニ付、知行所物成無滞様ニ、又来根付等
| 迄無緩可被申付由、御郡奉行衆へ書状遣候事、
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| 十七日
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忠利北丸ニ茶ノ湯 |一、朝夕共ニ北ノ御丸ニ而御数寄被成候事、
忠利万事積方ノ惣 |一、万事御積方ノ惣目録、懸御目候事、
目録ヲ閲ス | (正直)
証拠ノ段 |一、銀五拾目、河喜多五郎右衛門方へ遣、切手取、証拠之段ハ二入置候事、
| 〃
門司源兵衛預リノ |一、門司源兵衛ニ被成御預候前かとゟの赤犬、とさゟ参候黒犬、合弐疋共ニ、かい料か相渡旨、土佐
赤犬黒犬ノ飼料 | 新太郎を以被 仰出候事、
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