この地図は、新・熊本の歴史1・古代(上)から引用(p104)したものである。
この地図が掲載されている論考「旧石器・縄文時代の熊本」の筆者は、現在では熊本城研究の第一人者・冨田紘一氏である。
氏は元々は考古学者であったが、博物館の業務上熊本城研究に転身されたとお聞きする。
私は今、熊本に於ける「縄文海進」に大変興味を持っていて、身近の史料を読み漁っているがこの地図は大変興味をそそられるものである。
色を付けた部分が現在の標高5mラインだとされる。縄文期に於ける海進では海水面は2mほど高いとされる。
この5mラインの近くまで海が入り込んでいたことになり、それが所々の貝塚の位置を納得させる。
左下が宇土、中央部下に国指定史跡として有名な阿高黒崎貝塚(熊本市南区城南町阿高)がみえる。
江津湖周辺にも貝塚があったことは知らなかったが、いわゆる阿蘇の火砕流の先端部にあたる場所である、なんとなく往古の熊本の姿が目に浮かんでくる。
熊本大学教育学部紀要・自然科学編037(1988)に「熊本平野の縄文海進」という論考が掲載されていることを知った。
是非読みたいと思っているが、なにせこのコロナウイルス騒動である。県立図書館は休館中だが、熊本大学付属図書館はどうやら開館しているらしい。出かけるにはちょっと躊躇するものがあり、コピーを送っていただけないものかと虫の良いことを考えている。
(寛永三年十ニ月)朔日~ニ日
| (是友)
| 朔日 御横目米田甚左衛門
|
鷹師筑後へ |一、明日、筑後へ御鷹師衆被参ニ付而、つけ遣候もの、御小人ノ少七と申者也、
|
沢村吉重ノ上ゲ馬 |一、沢大学上ヶ馬、大竹與三左衛門去暮取被申、只今代銀上納被仕候処ニ、此代銀ハ利分つき可申儀
| ニ御座候哉、但、利分ハ有之間敷儀ニ御座候哉と、林弥五左衛門被相尋候、就夫、はくろう八右
馬ノ代銀ハ無利足 | 衛門ニ様子相尋候処ニ、惣別馬之代銀ニハ利つき不申ものニて御座候、其例何程も御座候由申候
ガ慣例 | 間、利つけ被申間敷□通、弥五左衛門ニ申渡候事、
囚人請取渡 |一、松山源丞所へ渡申囚人、貫角右衛門ニカ被相渡由、御町奉行衆へ切かミ遣候也、
門司源兵衛預リノ |一、門司源兵衛ニ、右ゟ被成御預候赤犬、今度土佐ゟ参候くろ犬、合弐疋分かい料先渡可被申候、重
赤犬黒犬ノ犬飼料 | 而究次第、永々可被相渡との書付、遣可申候、以上
ニツキ用状案 | (浅山)
| 寛永三十二月朔日 清右衛門
| (田中氏次)
| 與左衛門
| 金子喜左衛門殿
| 中神 與兵衛殿
|
囚人ヲ昇ノ者へ渡 |一、鎌田主水・安場仁左衛門所之囚人、御昇衆へ可被相渡由、切かミ遣候也、
サシム |
| (国遠)
判紙 |一、飯銅庄内判帋弐枚道倫ゟ預り置候を、庄内ニ相渡候事、
走者ノ請人ニ又請 |一、上田六右衛門子長介、此中走居申候処ニ、右之請人ニ立候者共ニ、又請人を立させ、財津惣兵衛
人ヲ立テシム | 門加判被仕書物、財津惣兵衛ニ戻申候事、
走リシ者ノ母ト男 |一、右六■右衛門女房幷男子三人、御国御払被成候事、
子ヲ国払ニス |
松山源丞ニ囚人ヲ |一、鎌田主水小姓壱人、安場仁左衛門小者壱人、彼者共ノ親、合三人、松山源丞ニ被遣、如何様ニ成
誅伐セシム 様斬 | 共、源丞分別次第、誅伐可仕旨、被 仰出候事、
| (規矩郡)
忠利宿所ノ坊主ニ |一、曽根ノ御宿坊主ニ、銀子壱枚可被遣旨、被 仰出ニ付、渡させ申候事、
銀子ヲ遣ス |
彦山亀石坊成円坊 |一、彦山亀石坊・同成円坊へ、式ア殿・頼母殿ゟノ文箱、御鉄炮衆へ持せ遣候事、
麻生谷銀山見分 |一、うさ郡麻生ノ銀山見せニ、はぶやノ忠兵衛差遣候事、
沢村九兵衛出仕 |一、沢村九兵衛、式ア少殿御取次ニて、御奉公ニ被罷出由、大学殿被申候事、
|
|
| 二日 甚左衛門
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| (景広)
忠利村上景広邸ノ |一、村上八郎左衛門殿へ、御すきに被成御座候事、
数寄に臨ム |
麻生谷銀山鎖ノ運 |一、春木金太夫、宇佐郡麻生谷銀山見せニ被遣候ニもとり、くさり持せ被越候為ニ、人足壱人、
送二人足ヲ渡ス | (杉) (牧)
| 弥三郎・市左衛門ゟ渡させ申候事、幷広浜少右衛門も被遣候事、
囚人ノ兄弟の居所 |一、松山源丞ニ被遣囚人三人ノ兄弟共居所書付差上候事、但、壱人ハ森長介所ニい申候、壱人ハ藤本
| 文蔵所ニい申候事、
国払ノ者下関へ追 |一、上田六右衛門女房幷男子三人、下ノ関へ被成御払候、則御鉄炮之小頭岡権左衛門よこめニ遣候
放ス | 事、
猩々緋 |一、今日上方へ差上せ候御船頭中靏仁左衛門、しょう/\ひの事申遣候事、
| (規矩郡)
薪黒木ノ拵様 |一、西大野ニてこしらへ申候くろき仕様よく、 御意ニ入申候、今少なまびニ候間、よくひ申候様ニ
| 可申付候、大分出来候ハヽ、三斎様ねも可被進候間、可得其意旨、御意ノ由、深野左介奉り
| 也、
中小性ノ当番 |一、中小性御番ハ、早川十郎兵衛・本庄勘兵衛・関小平次三人也、
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