津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■白い花の木の下で

2020-03-15 14:09:07 | 徒然

 桜の開花迄あと一週間ほどか?。
400年余の歴史を持つという南阿蘇の「一心行の桜」は、例年は人出でごった返すが、今年はコロナウイルスの影響を受けて、出入りが制限されたようだ。

この桜はこの地を納めた中村(峯)伯耆守惟冬の菩提を弔うために植えられたという。
       
                ウイキペディアから引用

 今一つ武将の菩提を弔うために植えられたという、「寂心さんの大楠」が熊本市北区北迫町にある。
この楠木は隈本城を築いた鹿子木親員(寂心)が植えたものだとされる。親員は死後、この楠木の側に葬られた。
巨木となった楠木は、その墓をも巻き込んでしまっている。

         「寂心さんの大楠」の画像検索結果  「寂心さんの大楠」の画像検索結果

二本の巨大な樹木の許に眠る二人の話は、この樹木が生き続ける限り永遠に受け継がれていく事であろう。

先日メールをくれた悪友も、「俺は墓には入りたくない」という。
旦那寺に墓はあるが、「喉仏だけ骨上げして水葬するか、樹木葬にするかしてくれと家族には言ってある」という。
「一心行の桜」「寂心さんの大楠」の話をすると、「でかくならない白い花が咲く木が好き」という意外な答え。
毎年植木市に出かけては物色しているという。「まだ良い木に出くわさないから、未だ死ねん」という。
「墓は先祖を偲ぶ場所だというが、俺は陰気臭いところで偲んでもらいたいとは思わん。」ともいうが、なんとなく同意したくなる話ではある。
          

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■「阿部一族」の一考察(1)

2020-03-15 10:43:52 | 論考

 タモリ氏と林田アナのコンビによる「ブラタモリ」最終回の放送は「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」が放送された。
天草崎津と原城跡を紹介していたが、潜伏切支丹の信仰を守ろうとするために、踏み絵を踏み、仏教寺院の檀徒となるなどの多様性を知り、驚き入ったことであった。
切支丹禁教により細川家中では棄教を拒んだ、加々山一族が誅伐された。
その他の多くの切支丹信者は「転んだ」とされるが、当事者たちの心の中には密かな信仰が継続されていたのではないかと私は思ってきた。
為政者としての忠興や忠利は、心ならずも(・・)加々山一族を誅伐したが、妻であり母であるガラシャの深い信仰は否定しがたいものである。
「何故切支丹であったのか」という想いは深いものがあったように想像する。
崎津の潜伏切支丹の250年に及ぶしたたかな生き方や、多くの犠牲者をだした天草島原の乱に於ける切支丹信者の生きざま、死にように忠利は驚きの声をあげている。
母・ガラシャの信仰が頭をかすめたかもしれない。

 今回、ご厚誼を頂いている小倉在住の名誉ソムリエの小川研次氏(小倉藩葡萄酒研究会)が、そんな切支丹棄教者たちのその後の生きざまを取り上げた36頁に及ぶ論考をお送りいただいた。偶然のタイミングに驚いたことであった。
大きく『阿部一族』の一考察 と 秘史『阿部一族』の二部仕立てとなっている。

お許しをいただいて、数回にわたりご紹介したいと思う。ご期待戴きたい。


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          『阿部一族』の一考察  

                           小倉藩葡萄酒研究会 小川研次

プロローグ

 森鷗外の『阿部一族』は肥後藩主細川忠利が逝去の折、十九人の殉死者の一人阿部弥一右衛門の生き様を描いている歴史小説である。しかし、弥一右衛門の隣人だった栖本又七郎の『阿部茶事談』を種本としており、史実とは若干異なっていることは、今では周知の事実である。鷗外の書によれば、弥一右衛門は忠利から追腹(殉死)を禁止されており、苦悩のうちに生きながらえようとするが、周囲との軋轢から死を選んだ。それは殉死ではなく、「犬死」であるとした。
しかし、寛永十八年(一六四一)四月二十六日の細川家『日帳』には、その日の殉死者の中に弥一右衛門の名がある。
また、忠利菩提寺妙解寺跡には弥一右衛門の名を刻む墓碑を含む十九基の墓碑が並んでいる。つまり「犬死」ではないのである。
確かに新藩主光尚(みつひさ)は殉死を禁止した。それは知行や屋敷などの身内への相続を認めない「跡式断絶」を意味する。亡き主君の恩よりも現主君への奉公に励めということだ。しかし、十九人は犬死に覚悟で光尚の命に反して自死する。ところが、光尚は全員に「殉死」と認めたのだ。(『歴史上の「阿部一族」事件』藤本千鶴子著)

物語はこれでは終わらない。忠利一周忌(実際は三回忌)に起きた事件が中核を担い、最大の「ミステリー」となる。
弥一右衛門の長男権兵衛が仏前にて髻(もとどり)を切り、位牌の前に供えたのだ。
それは武士としての生き方を捨てると同時に忠利への忠義を立てること(喪に服す)と捉えられるのだが、現藩主光尚への侮辱行為とされ、権兵衛は捕縛される。
やがて権兵衛の「狼藉」は光尚体制への反逆行為とされ、その嫌疑は阿部一族に及ぶことになる。上意討ちにより山崎の一所(権兵衛屋敷)にいた一族は、全員誅伐され、権兵衛も縛首となった。これが「阿部一族」事件である。

この不可解な事件については先達により諸説あるが、六人の殉死者(野田喜兵衛、阿部弥一右衛門、宗像加永衛、宗像吉太夫、右田因幡、田中意徳)に焦点を当て、そのミステリーに迫ってみよう。(名前には年齢と殉死日)

 

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■細川小倉藩(177)寛永三年・日帳(十二月十九日)

2020-03-15 07:32:06 | 細川家譜

               (寛永三年十ニ月)十九日

         |                        
         |    十九日  
         |

鷹ノ雁鴨ヲ長府へ |一、御鷹ノ雁壱つ、鴨壱つ、 御書壱通□御小早ニて、両人ニ持せ、長符へ今朝未明ニ差遣候事、
贈ル       |
         |寛弐ノ春元
蔵子源右衛門ノ貸 |一、銀拾匁ハ                                野瀬少左衛門
銀        |   右ハ、御蔵子ノ源右衛門分ノ由、
蔵奉行ヘノ預ヶ米 |一、当春、瀬戸五兵衛、米を吉用御蔵ニ預ヶ置、其後預ヶ米ノ内をうけ取候時、うけ取切手を遣、う
ノ請取切手    |                            (ママ)
         |  け取申候、左候て、不残うけ取候時、右ニ遣候請取切手を
         |寛三二月ニかり、
蔵子源右衛門貸付 |一、米三斗五升 元                           御小人
         |                                      古六
         |同二月ニかり、
         |一、同三斗五升 元                           
         |                                      孫三郎
         |右同
         |一、同三斗五升 元                           
         |                                      源四郎
         |右同
         |一、銀十匁   元                             同人
         |右同
         |一、米三升   元                           
         |                                      吉蔵
         |右同
         |一、同壱斗五升 元                           
         |                                      與七郎
         |右同
         |一、米弐斗   元                             同人
         |六月
荢ノ銀子     |一、銀壱匁五分 荢ノ銀子ノ由                        同人
         |六月
         |一、同壱匁ハ                                同人
         |当二月ニかり、
         |一、同弐匁九分ハ                            小頭
         |                                      源三郎
         |   右十口ハ、源右衛門かし付米銀ノ由にて、一枚ニ書付、小頭源三郎持来候事、
蔵子源右衛門脇差 |一、御小人ノ與七郎わきさしを壱腰、御蔵子ノ源右衛門買可申由申ニ付、遣置候へ共、代ハとり不申
ヲ購入セントス  |  由、小頭源三郎申候事、 
         |
蔵奉行貸米    |一、壱石五斗  元                           山田市左衛門与小頭
         |                                      吉井甚兵衛
         |一、五斗ハ元                                大槻久次
         |一、壱石、利分ハ済                             末村九右衛門
         |一、五斗元                                 山崎伝左衛門
         |   右四口、吉用忠右衛門ゟかり申由、書付差上被申候事、
         |
蔵子大麦の種子貸 |一、大麦種子七升銀子壱匁ニ直段仕、御蔵子ノ彦七ゟ請取、代銀ハ未済由、御長柄の與吉書物差上申
         |  候事、
         |              (鍛冶)
蔵奉行口入貸米  |一、吉用忠右衛門口入にて、かち町ノ惣左衛門米元四石七斗、四わりニ付〆、佐分利兵大夫与中へか
         |  り申由、書上候事、
蔵奉行口入ノ加賀 |一、吉用忠右衛門口入にて、加々殿米之由ニて、元弐石四わり付弐〆、伊藤金左衛門与中ニかり申
ノ貸米      |  由、書上候事、
小々性横目ハ蔵子 |一、御小々性ノ御横目茂左衛門ハ御蔵子ノ彦七むこノ由、其ニ付、茂左衛門諸道具共ニ、彦七所ニ
ノ婿       |  置候ヘハ、悉御闕所ニ上り申由、茂左衛門被申候事、
         |

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