津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■志方半兵衛言上之覚・12(原文16分)

2020-03-12 19:38:35 | 史料

16                          被差向候儀一大事之儀候て御座候 殊に原之城ハ
          なべ嶋殿請取ニて御座候ニてきを一人も不討
          ミかたもかせき不申候間なへしませい壱万之
          八千被討残弐千ニて候成ましきと見及候て
          越中様御人数被為候へ共可申候へ共いまた■■ニて
          無御座間 御上意ニ而無御座候も 肥後様被成
          御渡海甚三郎殿御一人御同心無之も各てたて
          惣故原之城にてらち明不申候此段ハ 上様
          御前ニても可被申上候由被仰候由ニて 肥後様
          御渡海極不申故 上使之御衆へ 肥後様ゟ又
          御使を被遣候ヘハ馬場三郎衛門殿も甚三郎殿御
          同前之被仰■ニて御座候ニ付松平伊豆殿
          戸田左門殿御下着之上ニて御談合被遊様子
          可被仰下候由惣御 上使衆旨の御返事ニて御
          都会不被成はすニ究申候処ニ又榊原殿ゟ
          肥後様御一人成共被成御渡海之様ニと被仰進候
          ニ付 肥後様ゟ伊豆殿左門殿へ御尋ニ被遣候事
        一、城之内ゟ有馬ノ北村うたの介と申もの去廿四日ニ

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■お安く読む・筑摩書房「室町の覇者足利義満」

2020-03-12 11:52:17 | 書籍・読書

 南北朝末期、義満により九州探題として派遣された今川了俊は、熊本を戦乱の地となした。
まさに九州は南北朝の覇権争いの最後の戦いの場であった。南北朝合一後の義満の華麗な歴史は、幕府のゆるぎない地歩とともに時代をおう歌していく事になる。義満について特に勉強したことがないから、泥縄で少々勉強をしてみようと思っている。2020/01発売である。

                   ちくま新書<br> 室町の覇者 足利義満―朝廷と幕府はいかに統一されたか

内容説明

足利一門大名に丸投げして創立された室町幕府では、南北朝の分断などに後押しされて一門大名の自立心が強すぎ、将軍の権力が確立できなかった。この事態を打開するために、奇策に打って出たのが足利義満である。彼は朝廷儀礼の奥義を極め、恫喝とジョークを駆使して朝廷を支配し、さらには天皇までも翻弄する。朝廷と幕府両方の頂点に立つ「室町殿」という新たな地位を生み出し、中世最大の実権を握った。しかし、常軌を逸した彼の構想は本人の死により道半ばとなり、息子たちが違う形で完成させてゆく。室町幕府の誕生から義満没後の室町殿の完成形までを見通して、足利氏最盛期の核心を描き出す。

目次

規格外の男・足利義満
室町幕府を創った男の誤算―足利直義と観応の擾乱
足利義満の右大将拝賀―新時代の告知イベント
室町第(花御所)と右大将拝賀―恐怖の廷臣総動員
“力は正義”の廷臣支配―昇進と所領を与奪する力
皇位を決める義満と壊れる後円融天皇
「室町殿」称号の独占と定義―「公方様」という解答
「北山殿」というゴール―「室町殿」さえ超越する権力
虚構世界「北山」と狂言―仮想現実で造る並行世界
「太上天皇」義満と義嗣「親王」―北山殿と皇位継承
義持の「室町殿」再構成―調整役に徹する最高権威
凶暴化する絶対正義・義教―形は義持、心は義満
育成する義教と学ぶ後花園天皇―二人三脚の朝廷再建
室町殿から卒業する天皇、転落する室町殿

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■細川小倉藩(174)寛永三年・日帳(十二月十四日)

2020-03-12 07:23:38 | 細川小倉藩

               (寛永三年十ニ月)十四日

         |                        
         |    十二日  
         |

         |一、深野新介・谷忠兵衛、夜前下着之由ニ而、今朝登城被仕候事、
小早ノ加子ノ扶持 |一、上方へ御小早差上せ候ニ付、御船頭中子次右衛門、御加子共正月分之御ふちかた可被相渡由、松
         |  岡七左衛門ニ切かミ遣候事、
         | (長沢顯長室、沼田清延女)
         |一、いよ殿ゟ松井少吉方へ之状、深野新介中津へ被参候ニ、言伝遣候事、
         |      (横灘は別府市域をさす江戸時代の通称)
由布院横灘ノ津出 |一、由布院横灘へ、津出奉行ニ遣申御鉄炮衆、雪ふかく候て、中/\津出不成由、罷帰候事、
奉行       |
         |  (室・細川忠興女多羅)
稲葉一通乗船ナク |一、稲葉民ア少様御下成候折節、御舟無之ニ付而、御船頭村上七左衛門乗上り申候御舟、大坂ニ有
忠利ノ舟ヲ借用ス |               (臼杵、豊後海部郡)
         |  合候、民ア少様御かり候て、うすき迄御船ニ召被成御下候、民ア少様ゟ 殿様へノ御状参候を、
         |                                    (ママ)
         |  右之御船頭七左衛門持参候、大坂を去月廿七日に御出舟候て、うすきニ当月ニ七日御下着、御
         |  (頭脱)
         |  船七左衛門へ御小袖壱つ被遣之由、申候也、
         |   (衛友)       (衛成)丹波国山家藩の世嗣45歳
谷衛成死去ニ弔問 |一、谷出羽様御子息谷内蔵助殿御遠行被成ニ付、内蔵殿御子息へ 御書被遣候ニ、名知不申ニ付而、
         |     (立成)                                        (衛則ヵ)  
         |  道家左近右衛門所へ尋ニ、岩男加右衛門を遣候処、左近右衛門ゟ、谷主膳方へ尋ニ遣、主膳方ゟ
惣領九兵衛衛治  |                           (衛治)      (衛之)
二男兵介衛之   |  之書付之通、加右衛門書写参候、内蔵助殿惣領子息ハ九兵衛殿、二男兵介殿と申候、
         |          (遠坂)
肥前へ歳暮ノ祝儀 |一、明日十五日ニ、関内肥前へ歳暮之為御使者被遣候、 御書之御日付も十五日ニ、岩男加右衛門ニ
ノ使者 口ノ納戸 |  書せ申候事、則関内ニ渡申候、勿論呉服三つ、口ノ御納戸ゟ被渡候事 
         |      〃
         |  (規矩郡)
代官ノ獲リシ猪ヲ |一、当郡之内徳光村御代官加藤左兵衛被居候所ニ、猪壱つ落来候を、左兵衛もの仕留候由ニて、小崎
奉行上グ     |  與次兵衛ゟ人をそへ被差上候、但、くろ犬壱疋付候て参由候ニ付、則與次兵衛ニ何者ノ犬ニて候
黒犬付キ来ル   |               (喜左衛門)(與兵衛)
賄方奉行ニ渡ス  |  哉と被改候へと申渡候、又猪ハ金子・中神ニ渡申候事、
在郷へ妻子ヲ引越 |一、在郷へ妻子被引越候御侍衆ノ家/\ニ、慥なるものを置申候様ニ可相改旨 御意ニ付而、式ア少
シニ侍ノ家ノ留守 |                請取置候、  
改        |  殿御与中御改候書物上り申候、〇又式ア少殿内衆在郷へ妻子引越申候衆ノ家/\被相改候て、書
         |  物持せ被上候、此書物ハ式ア少殿御手前ニ被置せ候へと、申候て戻し申候也、
         |                              (国東郡)
難破船濡米ノ処置 |一、国東郡富来浦ノ舟ニ、御米九拾石余積申候て、去九日ノ北風ニ、熊毛ノ沖にて舟打わり申、ぬれ
国東郡米ノ相場  |  米如何可仕哉と、御郡奉行衆ゟ被申候、国東郡米ノ双場今ほと百目ニ付、三石五斗仕候由候間、
         |  被得其意、過分ニ御損立不申候様ニ、右之ぬれ米売付可被申通、申渡候也、
入牢ノ蔵奉行ノ後 |一、御蔵奉行藤田弥兵衛替りニ、山本弥兵衛付申候、
任        |
蔵奉行ノ後任   |一、吉用忠右衛門・坪井五郎太夫替りニ、田辺六左衛門・溝口理兵衛を申付候、御蔵子ハ四人宛、両
蔵奉行ノ吟味   |  御蔵へ相渡候、先当分何者ニ而も渡、吟味之上にて、能蔵子相渡ニ相談究申候、右之御蔵奉行吟
         |                                   (国遠) (米田是友) (矢野)
         |  味ハ、豊岡甚丞・松本彦進・栗野伝介・加藤新兵衛・和田伝兵衛、御横目道倫・甚左衛門・少右
         |  衛門吟味を以着申候事、
         |
薩摩難破船漂着ス |一、国東郡へ薩摩守殿■破損御舟ながれゟ候をを道具有之を、今度御使者薩摩守殿被参候山路太郎右衛
ソノ道具ヲ島津ノ |  門方へ、猪膝ニ而、小林半左衛門渡ニ被参候、右ノ道具入候ニひつ弐つ、次夫ニ而遣候事、
使者へ渡ス    |
数寄屋家具諸白肴 |一、京ゟ、御数寄や家具ノ送切手一枚、大坂ゟ、諸白樽之送切手一枚、幷御肴物ノ送切手壱枚、以上
物ノ送切手    |  合三枚、南野九郎兵衛方へ相渡、請取せ候事、
         |            (へ脱)                (是次)                        (衍)
諸方ヘノ書状   |一、谷出羽殿・同九兵衛殿被進 御書四つ、米田左兵衛被参筈筈ノ由、書状上せ候事、
         |                    是政の弟・是正の嫡男員之の事か?
         |一、状数十一、京・大坂へ上せ申候事)
袖判       |一、御袖判壱枚、保利久兵衛所へ被遣候を、米田左兵衛可被届由ニて、杉箱ニ入候事、
         |  右三口、小早ノ御船頭中子次右衛門ニ相渡、今日上せ候事、          (黒印、印文未詳)
請取       |                      右三色、慥請取持上申候、中子次右衛門〇
蔵子ニ鉄炮足軽ヲ |一、御蔵子ニ、当分御てつほう衆七人渡候へと、岡権左衛門ニ申付候事、
当分充ツ     |
         | (曽根、規矩郡)
生雁       |一、そねゟ、生雁弐つ取来ニ付、中津へ 殿様御座被成ニ付、彼地へ次飛脚ニ而持せ差上候事、
         |

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(18)

2020-03-12 07:14:19 | 史料

                                   

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