津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「機密の間」について

2020-03-07 13:08:21 | 史料

 「機密の間」についてご質問をいただいた。過去にも触れたことが有るが再度まとめておく。
家老決裁をうける諸案件は、家老の自宅で行われていたが、家老家の家司の取り扱いによりスムーズな決済へ至らぬケースがあるとともに、陪臣である家司の介入が問題であった。
重賢公の宝暦の改革により、宝暦六年家老は奉行所に出仕することが定められ、事務方も家司の介入が排除され、直臣が勤めることにより不公平が是正された。家老職の詰め間が奉行所内の「機密の間」である。
又、用人が藩主の威をかりての権力の壟断がしばしば認められたため、家老・中老・大奉行の元に、用人は家政職の長、行政職は奉行を長として不干渉の組織を完成させた。以下、過去に示した詳細をリンクさせておく。

      ■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(一)
      ■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(二)

 

                

 

                 部分が奉行所、尚、奉行所の間取り図は後日UP致します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■大正四年の母娘

2020-03-07 07:39:23 | 古写真

 福岡在住のK様のお祖母様と伯母様の写真である。大正四年の写真だそうだからお嬢さんはぎりぎり大正生まれか?
愁いを含んだ表情が、まるで竹久夢二の世界を漂わせておられる。K様のお父さまが「今なら女優だぞ」と自慢されたそうだが、本当に母娘共々の美形である。
髪形や着物の風情が時代を窺わせる。
当時の写真技術がもたらす風情だとも感じられる。

  
          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(169)寛永三年・日帳(十二月七・八日)

2020-03-07 07:16:03 | 細川小倉藩

                (寛永三年十ニ月)七・八日

         |       (矢野)                              
         |    七日  少右衛門
         |

         | (規矩郡)                                御小人
高罠ノ鶴     |一、徳光ノ高わなニかゝり候由ニて、はいたか一もと○すへ来候を、山本二介ニ渡申し候事、
忠利放鷹     |一、今朝も、御鷹野ニ被成御座候事、
         |                    書物
荷舟加子ノ扶持方 |一、御荷舟加子、寛弐十月分御ふち方いや切手見届候事、
いや切手ノ書物  |
         |一、足立與兵衛御ふちか方、右同理候事、
扶持方いや切手ノ |一、大谷源十郎寛三七月分御ふち方いや切手ノ書物、右三ケ条共ニ一紙ニ書付、藤田弥兵衛ゟ、浦上
書物       |                
         |  瀬兵衛・椋梨半兵衛両人ニ当、書上候、双方書物共両人手前ニ被取置候、切手ハ二色宛在之候へ
         |  共、米ハ二色ニ渡不申由之書付也、
麻生谷銀山ノ鎖鉛 |一、宇佐郡麻生谷の銀山、くさりを五はいかけ、なまり弐百五十目くべ、ふき候ヘハ、銀子弐匁三分
吹        |  有之由、山村弥一右衛門此中申上ニ付、はぶや忠兵衛・広浜少右衛門被遣、さきもとニてふき申
         |         く         銀
         |  候所ニ、銀子五さり五はいニ〇九分有之由ニて、注文仕、上村甚五左衛門・山村弥市右衛門・忠
         |      〃〃〃
         |                                   
公私共ニ産銀ヲ祝 |  兵衛・少右衛門・麻生ノ次右衛門五人連判ニて、次飛脚を以、様子申上候処ニ公私共ニ祝申候処
ウ        |                                   〃〃
銀子少モ産出セズ |  ニ、今日忠兵衛・少右衛門罷帰申候ハ、銀子ハ少も無御座由申候、無首尾千万無申斗候、春木
無首尾千万    |  太夫をも麻生へ被遣候処ニ、くさりを取て被罷帰、御金山ニてふき、今日罷出候、銀子無之ニ
金山奉行査検   |  究申由也、五はいかけてふき候ニ、なかすをくべ申候ニ付、銀三リン有之由、是ハなかすノ銀ノ
算銀全クナシ   |  由也、金大夫は、初中後、銀ハ有間敷由被申候事、
         |    (長元)                                         (松井興長)
小笠原長元借銀米 |一、小笠原民ア少殿御借銀・御借米之書物前かと上り候を、彦進手前ゟ式ア少殿御かり候を、二通返
ノ書物      |  シ被申候事、
         
         |
         |       (国遠)
         |    八日  道倫
         |                      (長泰)
         |一、御小早之船頭石松作内罷下候、此御船ニ、平野遠江様へ被遣御小人吉六乗下申候事、京都ニ被
         |              (田中氏次)
         |  召置候衆ゟ、 御書之御請與左衛門 御前ニ上ヶ被申候事、
         |         (谷)                            (正重)
諸方ヨリノ書状  |一、右ノ便ニ、蜂や隠岐所ゟ黒田蔵人方ヘノ状、同 三斎様大坂御蔵奉行衆ゟ中津へ参状も、右ノ状
         |  同前ニ蔵人方へ持せ遣候事、
         |        (昭知)
         |一、右ノ便ニ、三淵内匠殿ゟ留守居所へ之状弐つ、則もたせ遣候事、
         |   (久盛)
中川久盛書状   |一、中川内膳殿ゟ御飛脚弐人参候事、則 御返事出申候事、但、使番所開作兵衛弐持せ、小右衛門所
         |  へ遣、
         |
岡部長盛使者ヲ数 |一、岡部内膳殿ゟ御使者被参候を、明朝御すきニ被 召寄候、
寄ニ招ク     |
木下延俊鷹師ニ銀 |一、木下右衛門様ゟ、此中参居候御鷹師ニ、銀子三枚被遣候を、河井権丞請取、被渡候事、
給与       |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする