「機密の間」についてご質問をいただいた。過去にも触れたことが有るが再度まとめておく。
家老決裁をうける諸案件は、家老の自宅で行われていたが、家老家の家司の取り扱いによりスムーズな決済へ至らぬケースがあるとともに、陪臣である家司の介入が問題であった。
重賢公の宝暦の改革により、宝暦六年家老は奉行所に出仕することが定められ、事務方も家司の介入が排除され、直臣が勤めることにより不公平が是正された。家老職の詰め間が奉行所内の「機密の間」である。
又、用人が藩主の威をかりての権力の壟断がしばしば認められたため、家老・中老・大奉行の元に、用人は家政職の長、行政職は奉行を長として不干渉の組織を完成させた。以下、過去に示した詳細をリンクさせておく。
■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(一)
■熊本藩の支配機構--1 「機密の間」(二)
■部分が奉行所、尚、奉行所の間取り図は後日UP致します。