熊本大永青文庫研究センター長・教授 稲葉継陽氏著の「歴史にいまを読む‐熊本永青文庫からの発信」が発刊された。
コロナ禍の中、書店に出向くのも難しい中ですので、発刊元へ申込まれては如何でしょうか。
内容紹介
第一線の研究者が語る歴史の真実。俳誌「阿蘇」と熊本日日新聞に連載、寄稿した随筆を1冊に凝縮!「島原百姓大移住」「江戸時代熊本グルメ」「『本能寺』後の構想は?」「本能寺の変 消された『真実』」「畳の上のご奉公」「熊本城御天守奉行のお仕事」「『船場狸』のなぞ」など、歴史好きには興味が尽きない話題が満載です。
【目次】
◆まえがき
◆第一部 永青文庫歴史万華鏡
一 歴史と故郷
故郷から永青文庫研究へ/小倉城本丸の梨の木/江戸時代初期の高齢化問題/モグラの正月/先祖の由緒と事実との間/恩師訪問記
二 講演の旅
小倉藩時代の細川家/ボトムアップ型の地方自治(一)/ボトムアップ型の地方自治(二)/島原・天草一揆の「戦争と平和」/島原百姓大移住/「百姓」身分の法的地位/秋の講演・展覧会二題/晩秋の舞鶴へ/国際歴史会議でモスクワへ/平和国家日本への信頼感/「天下泰平」を支えた力
三 江戸時代のグルメと環境
鮎好きの古文書講釈/江戸時代熊本グルメ/熊本の熊の話
四 細川家と天下人たち
古文書解釈のおそろしさ/「未完の公儀」織田信長/明智光秀のコミュニケーション能力/明智光秀の石垣/明智光秀から細川忠利へ/「本能寺」後の構想は?/豊臣秀吉の統一政策/境界の証言者/九州国分と芋焼酎/細川三代と天下人たち
五 基礎研究からの発信
永青文庫守った旧藩士たち/畳の上の御奉公/古文書と先人に敬意/「一国史観」を外してみれば/小倉城天守閣のリニューアル/文化財・史跡の指定と基礎研究/熊本城御天守奉行のお仕事/古文書に歴史を語らせる/江戸社会 描きなおす呼び水
六 災害と歴史学
被災史料を守れ/地域史の試練に直面して/「島原大変、肥後迷惑」の実像/大災害からの復興と現在/震災と復興のメモリー/気象災害の歴史学
七 歴史学とメディア
「船場狸」の謎/忠利も驚いた熊本城の惣構/真実と物差し/歴史学者の書く本/学問商品化の極み
◆第二部 歴史にいまを読む
「くまにち論壇」の三年間/日本史にみる立憲主義の伝統/被災した民間の古文書を救え/熊本城二の丸の活用法に疑問/天守閣の復旧 拙速避けたい/熊本城主からの警告/公論尊重と私欲否定の原則/人吉城で考える文化財保護/阿蘇神社「天保の大造営」といま/隠蔽・改ざんが破壊したもの/本能寺の変 消された「事実」/日本史における諫言の役割/次世代のために文書館を/平和の歴史 再構築のために/想像力をスイッチ オン/地域社会変貌の意味
著者紹介
1967年(昭和42)栃木県生まれ。1996年(平成8)、立教大学大学院文学研究科博士課程退学。博士(文学)。2000年、熊本大学文学部助教授。2009年から熊本大学永青文庫研究センター教授。著書に『戦国時代の荘園制と村落』(校倉書房、1998年)、『日本近世社会形成史論 戦国時代論の射程』(同、2009年)、『細川忠利 ポスト戦国世代の国づくり』(吉川弘文館、2018年)などがある。2016年4月から熊本被災史料レスキューネットワーク代表をつとめる。
(寛永三年十ニ月)廿八日
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| 廿七日 御横目矢野少右衛門
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| (ママ)
唐人明寰ヘノ貸銀 |一、唐人目安を上申候処ニ、明寰返堂書、歩之御小姓速見■長三郎ニ持せ、長崎ゟ之唐人所へ遣候也、
一件 |
| (重政)
江戸京ヘノ書状 |一、江戸へ之御飛脚、山田市左衛門与藤崎新助、続亀介与前川茂次右衛門両人ニ、江戸幷京へ被遣
| (長岡孝之)(松井興長)
| 御書、何も大坂・京・江戸へ、我々共ゟノ状、又 中書様・式ア殿ゟノ御状も被遣候事、
| (是次) (慰英)
|一、米田左兵衛・仁保太兵衛両所へ、深野新介方ゟノ状ノ内ニ銀子包こめ、上せ被申候を、右両人ニ
| 渡、上せ候事、
初見 |初而御目見へ被仕衆
|一、吉田長四郎、歳十七、御取次式ア殿、
|右同
|一、瀬崎二郎四郎、右同、歳十三、
|
|一、高並権平、歩之御小姓ニ可被 召仕旨被 仰出、則申渡候事、
塩代官 |一、手嶋小右衛門塩代官、植木勘兵衛を相使ニ被 仰付、則申渡候事、
中間小頭扶持方切 |一、御中間小頭太郎助儀、御扶持方へ被 召出候日ゟ、御切米ハ当年之分ハ半分、来年ゟハ不残、可
米 | 被下旨被 仰出、則申渡候事、
|
鉄砲足軽ヲ細工ノ |一、寺尾左介早田才助儀、御細工之者ニ可被 召上旨、被 仰出ニ付、則左介与ノ小頭篠山勘右衛門
物ニ召上グ | を以、左介方へ申渡候事、
京都調物ノ算用ニ |一、京都衆御算用仕上ニ付、石本三介当分此地へ罷下候、為其替、野原善太郎可有御上せ旨被 仰
石本三介下国ス | 出、則申渡候事、
中小姓奉公帳ニ銘 |一、御中小姓衆御奉公帳ニ銘々判形被仕、可被差上旨、神西長五郎ニ申渡候事
々判形 |
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|一、芦田與兵衛ニ、二郎左衛門事申渡候事、
おらんた船 |一、今朝御小早上せ申候、御船頭井上十右衛門ニ可渡とて、こしらへ置候おたんたしま忘、上り申ニ
| 付、重而、石松作内と申小早ノ御船頭ニ渡、追付次第、はしめの御船ニ渡、もとり候へと申渡
| 候、但、追付不申候ハヽ、大坂迄上り候へと、申渡候事、
|
安岐浦ノ継舟ノ奉 |一、豊後あき浦之鑓舟之御奉行ニ、服部新太郎・同勘四郎・平田伝三郎・湯浅山太夫相詰申候、前か
行交替 | とゟ三人詰候衆ハ戻リ可申 御意旨申渡候事、
京都中津郡奉行ニ |一、蓑田甚丞、佐方少左衛門相奉行ニ被 仰付、 御印頂戴させ申候事、
蓑田甚丞任命 |
牢人訴状ヲ上グ |一、牢人池田伝右衛門訴状上ヶ申ニ付而、野田小左衛門ゟ彼伝右衛門訴状上ヶ可申と申ニ付而、小左
| (浅山) (田中氏次)
侍ノ訴状ハ法度 | 衛門いけんニ、侍之訴状御法度ニ候間、無用之由いけん申通、被書上候、清右衛門・與左衛門被
訴状ハ様子次第ニ | 召出、 御諚ハ侍ノ訴状法度共、上ヶ可申由被 仰出たる御覚無御座候、訴状ハ様子次第たる
上グベシ | へきと被 思召候 御意也、小左衛門方ノ書物ハ則返し申候、以上
武具奉行ニ林與兵 |一、林與兵衛、安場仁左衛門相奉行ニ可被仰付旨、 御印頂戴させ申候事、
衛任命 |
深野新介加増 |一、深野新介ニ、百五十石御加増被下候事、
三斎忠利ノ使者鷹 |一、渡辺三十郎、中津ゟ被罷帰候、中津逗留中御ふち方被下、御小袖壱つ、銀壱枚被下由、又御鷹師
師ヲ犒ウ | 衆八人同道にて被参候処ニ、此八人ニも御ふち方被下由、三十郎被申候事、
上知分ヲ加増ニ当 |一、深野新介ニ御加増被成遣候、但、岡本平四郎上知分を被遣候事、
ツ
山立処刑後ノ上リ |一、田川郡ニ而山たち仕大場角右衛門下人弐人ノ内、小者ハ杉弥三郎所へ遣候、下女は林角兵衛方へ
者ノ配当 | 相渡候事、
| (槇嶋昭光)(云)
諸方ヘノ書状 |一、寺本八左衛門与ノ有永少九郎ニ、長舟十右衛門所、幷真木嶋言庵・一色木工殿両人所へ被遣 御
| 〃
| (長舟) (貴田政時)
| 書、以上弐通相渡遣申候、又我々ゟ十右衛門・権内方へ之状壱つ、又佐川宗喜所へ之我等ゟノ状
| 一つ、大坂ニ被 召置候村上善九郎・沖津右兵衛両人ゟ、十右衛門・権内方へ之書状弐つ渡遣候
| 事、
| (有吉英貴)
|一、国友半右衛門与西嶋彦左衛門ニ、頼母様ゟ十右衛門・権内方へ被遣御状渡遣候事、
有吉英貴小笠原長 |一、有吉頼母殿・小笠原宮内少与中ノ御侍中衆、上方御留守中御奉公帳差上候処ニ、奥ニ 御自筆之
良与ノ奉公帳奥ニ | 〃
忠利自筆ノ書出 | 御
| 御書出被成候を、右両人へ相渡申候事、
| (三淵重政)
|一、長岡右馬助殿へも、右之帳相渡候事、
| 御切米御ふち方
厩中間小頭ニ十石 |一、御馬や之御中間小頭太郎助儀、今日被差出之儀得 御諚候処ニ、如前々三人ふちニ十石宛、来年
二人扶持 | 〃〃〃〃〃
| ゟ可被遣旨ニ候、御ふち方ハ当壬四月十七日ゟ可被遣旨、又当御切米ハ御定り半分可被遣旨、被
| 仰出ニ付、則彦進・甚丞へ申遣候事
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