津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■つらい立場、山下さん

2020-03-20 11:54:26 | 些事奏論

 東京オリンピックの開催がかなりの確率で危うくなっている。
IOCやJOC、日本政府、東京オリンピック委員会、東京都など「規模縮小せず開催」と叫んでいるが、コロナ禍の中そんな声がむなしく聞こえる。
「アスリートファースト」からしても、練習もできない現状などからすると、延期論が飛び出してきても不思議ではない。
JOCの山下会長は、選手たちからの延期論について「一部のアスリート」からの発言だとしている。
自分自身がモスクワ大会に出席できなかった経験からしても、何とか東京オリンピックを開催したいという想いは計り知れないものがあろう。
それでも現実はかなり厳しい。山下さんの胸中察するに余りある。

 3・40年まえ、私は偶然ある小さな飲み屋で山下さんにお目にかかったことが有る。
後から入ってこられて一つ先の席に座られたが、あまりの大きさに驚いていたら山下さんだった。大変気さくな方で少し言葉を交わした。

 現在は発言も注目されるところだが、立場上積極的な発言はあり得ない。
「中止」「延期」をだれが一番最初に発するのか興味深いが、これはIOCにげたを預けるしかなかろう。
いずれにしても、そんな中各方向で検討が加えられていないはずがない。発表もそう遅くない時期に何らかの発表があるだろう。
それにしても、パンデミックが現実のものとなった今日、「開催」を言い続ける関係者の言葉がむなしいことではある。
昨日熊本でもまた一人、外国から帰国された方が感染者として発表された。
それぞれの方が重篤になられないよう祈るばかりである。

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■庄林隼人宛加藤清正書状

2020-03-20 10:21:33 | オークション

                              ◆巻物『 加藤清正 消息 』古文書 安土桃山時代 武将 肥後熊本藩初代藩主 中国唐物唐本 書簡

                                  
 
 現在ヤフオクに出品されている庄林隼人宛の加藤清正の書状である。花押の書き方からして清正本人のものとはとても思えないが、何とも内容が興味深い。
とても急々には判読しがたい文面だが、小野和泉と庄林隼人の働きに対する喜びの文書のようだ。
小野和泉庄林隼人共に勇猛の士として知られている。小野和泉は立花道雪・宗茂に仕え、宗茂の改易にあたって立花家の家士を引き連れて加藤家に仕官した。熊本城近くの京町台には彼らが住んだという「柳川丁」の名前が残る。

二人が清正の許、共通の場で働いたというのはいつのことであろうか。
非常に興味深い記録であり、一文字/\を解読しているが相当の時間を費やしそうな気がしている。
明後日は史談会の会合が有るので、会員の有志にお配りしてお手伝いいただこうかと思ったりしている。

これをご覧の諸氏に置かれても、お力をいただければ幸いである。

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■志方半兵衛言上之覚・13(原文17分)

2020-03-20 09:51:37 | 史料

17           落申其者申候ハ城之内に男女一万六七千御座候
            はたらき申男七千ほと御座候 兵粮ハ正月中迠
            之分不御座候 薪もかつ/\ニ御座候 具足を着馬ニ乗申
            もの六七人御座候へ共今程はうとの四郎ハ親甚兵衛
            一人具足をき馬ニ乗さし物を■■も仕置
            度々ニさしかへ城中下知申付候 屏を■弐重ニかけ
            内ニ堀をほり其中ニ居申ニ付外ゟのてつほう
            あたり不申由申候 惣屏之手人わりを仕持口の
            外わきへ之働不仕持口さ■ニ申付うきむしや
            よき者百人斗こしらへよわき所へすけ申筈ニ仕与
            おき申由申候 四郎ハ本丸之内ニ寺を立其寺ニ居
            すゝめを奈し申由申候
          一、肥後様御内存ハ頼母与伯耆与を御先手ニなされ
            二ノ目を 肥後様被成佐渡御ゆきかゝりニ城へ可被成
            御乗との御定之由取沙汰御座候 是ハ去十九日之
            よかゝり申者共申候ハ同勢つゝき候て乗可申
            儀ニて御座候と申上ニ付而之儀と申候 御家老中
            其外諸御勢も御大事之儀と申候事

                                          ■判読に鋭意努力中です

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■細川小倉藩(181)寛永三年・日帳(十二月廿五日)

2020-03-20 07:43:13 | 細川小倉藩

               (寛永三年十ニ月)廿五日

         |       
         |    廿五日  
         |                          (三淵之直)

三斎へ鏡餅進上  |一、三斎様へ御鏡被進之候御使者、伊藤儀太夫可被遣候、左膳殿を以 仰出候事、
猪喰犬      |一、規矩郡徳光村之しゝくい犬之儀も、左膳殿を以立 御耳候事、
臼ノ石制作    |一、臼野石、当地御領分ニ有之ハ、可被 仰付旨、中津御奉行衆迄可申遣旨、冣前被 仰出候、被
         |  思召候、左様ニ而ハ無之哉と被成 御諚候間、中津御奉行衆へ申入候処ニ、奉得其意可申上旨、
作事奉行へ命ズ  |                  (林)      (河田)
         |  返事御座候と申越由、申上候処ニ、弥五右衛門・八右衛門ニ、うすの石を切せ可申旨、被成 御
         |  諚候事、
         |      (元高)    (野田幸長)
中津一万石ノ米旱 |一、中津ゟ志水次兵衛、小左衛門へ、壱万石之御米当年ハ日損ニ付、 三斎様御賄も不足有之ニ
損ニツキ延貸セズ |  付、御延貸ニ被成候儀被為成間敷由、次兵衛申越候事、
銅山詰鉄炮足軽へ |一、銅山御鉄炮衆ニ可申旨、被 仰出候事、則 御前へ佐藤安右衛門・春木金太夫も被 召出候
ノ命ヲ金山奉行へ |  事
申渡ス      |                                            
忠利正月七日船乗 |一、明正月ニ被成 御召そめ之御舟ノ儀、土佐新太郎を以得 御諚候処ニ、七日ニ 御召そめ被成由
初ノ予定     |  ニ被 仰出、其旨白井兵助・鏡善右衛門ニ申渡候事、
蔵奉行吉用忠右衛 |一、吉用忠右衛門白状ニ付、御蔵之入物ニ有之銀子五百目、矢野少右衛門・奥村少兵衛取出シ候而、
門白状ス     |  上ヶ被申候事、
蔵奉行詮索ニ深野 |一、御蔵奉行手前穿鑿ニ、深野新助も加り候而、承可申上旨被 仰出候事、
新助ヲ加ウ    |
         |   側小姓・御扈従役歟 五百石 (於豊前小倉御侍帳)
明石源左衛門困窮 |一、明石源左衛門身上之儀ニ付、手前不成との書物上ヶ候処ニ、弥いか様と存候処を書付、上ヶ可
ノ様子書上    |  申旨、被 仰出候、当年ハ源左衛門壱人ニ不限儀ニ候間、 殿様ゟ思召にてかわれ候儀無之との
         |   御意候、其旨申渡候事、
唐人三人明寰ヘノ |一、唐人三人明寰ニ貸付銀子有之との目安を上ヶ申候事、
貸付銀ノ目安   |一、渡辺三十郎中津ゟ被罷帰候、中津逗留中
         |〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |

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