天草島原の乱において松井家家士・秋永十郎左衛門の活躍が記された「寛永平塞録」を、寛政六年に至り秋永勝英が抜粋書写したものである。
松井家の「御給人先祖附」では秋永氏は見えないが、「肥後八代松井家・御家人帳」においては、秋永喜兵衛・同作太郎・同十郎左衛門・同甚之助・同彦左衛門・同弥熊等の名前がある。
又、有禄士族基本帳に於いては、秋永真積・秋永勝房・秋永勝重・秋永豊年・秋永仙太郎・秋永勝實等の名前が記録されている。
「寛永平塞録」は池部蘭陵の著を熊本県立図書館が蔵している。
天草島原の乱において松井家家士・秋永十郎左衛門の活躍が記された「寛永平塞録」を、寛政六年に至り秋永勝英が抜粋書写したものである。
松井家の「御給人先祖附」では秋永氏は見えないが、「肥後八代松井家・御家人帳」においては、秋永喜兵衛・同作太郎・同十郎左衛門・同甚之助・同彦左衛門・同弥熊等の名前がある。
又、有禄士族基本帳に於いては、秋永真積・秋永勝房・秋永勝重・秋永豊年・秋永仙太郎・秋永勝實等の名前が記録されている。
「寛永平塞録」は池部蘭陵の著を熊本県立図書館が蔵している。
今の時期になると、いかにも枯れてしまったような枝から、紫陽花の新芽が芽吹き始めた。本当に春を感じさせる景色である。
物の芽の遅速を見せて七つ八つ 津々
| (矢野)
| 十日 少右衛門
|
嶋津家久ヨリ犬四 |一、さつま殿ゟ山路太郎右衛門と申仁、上下八七人にて御使者に被参候、御犬疋せ被参由候、吉田少
疋贈ラル | (追記) 〃
| 右衛門被申来候事、「犬四疋疋せ被参候、則今晩被成御振舞候事、」
| (豊後海部郡)
|一、臼杵ゟ御飛脚弐人参候、御状ハ式ア少殿御上候事、
| 右ノさつま殿御使者、中津へ被参候道中之覚書、式ア少殿にて被仰候分如此、但上下八七
| 人也、 〃
乗馬 |一、自身ハ御馬ニ乗可遣由、下々ハ御こにた有次第申付、不足分ハ御家中ノ馬を御かり可被成旨ニ候
小荷駄 | 事
| (苅田、京都郡)
|一、かん田ニ而ノ御ふる廻奉行横田権佐、但、御弁当持せ可遣旨ニ候事、
| (築城郡)
|一、椎田ノ泊ニて御ふる廻奉行芦田與兵衛ふる廻可申旨ニ候事、但、さけ肴、此方ゟ、御台所人案内
| 久左衛門持せ被参候事、
|一、中津への案内者ニ、歩ノ御小性弐人加遣由事、
| (猪膝、田川郡)
|一、中津ゟいノひさへ成共、又此方へ成共、御使者被戻候ハヽ、此方ゟ右之分可被仰付候哉、中津ゟ
| 可被仰付も、中津ノ御奉行衆次第ニ可仕由候事、
荷付馬 |一、荷付馬ハ各別に可申付由事、
| (加藤) (栗野)
臼杵へノ使ノ飯米 |一、臼杵へ、式ア少殿ゟ御状持せ被遣御鉄炮衆弐人、道中飯米切手、新兵衛・伝介ゟ可被出由、申遣
切手 | 候事、
歩小性仲間へノ飯 |一、右さつま殿御使者、中津へ被参に付、歩衆弐人、御中間衆幷御家中ゟ出申中間中間、御台所衆何
| 〃〃
米 | も飯米可被相渡由、ふれ状遣候、幷右ノ歩衆弐人に人足一人相渡候事、
| (元明)
使者客人賄奉行へ |一、住江甚兵衛方へ、人足七人被相渡候へと、杉弥三郎・牧市左衛門方へ差帋遣候、椎田賄之道具持
賄道具持人足ヲ渡 | せ遣御用也、
ス |
規矩郡奉行へ荷馬 |一、平井五郎兵衛・小崎與次兵衛方へ、荷馬荷疋被申付、住江甚兵衛方へ被相渡候へと申遣候事、右
ノ用 | 之御使者荷物付ヶ申也、
使者へ呉服 |一、山路太郎右衛門方へ、呉服五つ被遣候、又犬疋弐人ニ銀子壱枚宛、合弐枚被遣候事、
犬疋へ銀子給与 |
|一、右ノ御使者為案内者、永良長兵衛中津へ被遣候事
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