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細川家家臣・清田家に連なる一族の系図である。福岡在住の清田様のお作である。
清田家については私も過去いろいろ書き込みをしてきたが、最終的には ■エピローグ「清田家系図」で筆を納めた。
清田石見の姉妹にあたる幾知が忠興に侍して二人の男子を為した。宇土細川家の祖・立孝と、細川刑部家の祖・興孝である。
細川宗家は10代に至り、齊茲が宇土細川家から入った。12代・齊護も同様である。すなわち忠興の側室・幾知のDNAが現在の細川家・刑部家へ受け継がれている。これに連なるDNAの広がりは追跡不能に枝葉を広げている。
その他、大友一族清田氏に関しては、清田泰興氏・清田幸一氏共編著「大友の末葉・清田一族」に詳しい。
(寛永三年十ニ月)九日
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| 九日 甚左衛門
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三斎ヘノ書状 |一、長舟十右衛門・貴田権内所 御書被遣候を、御文箱ニ入、次飛脚ニて持せ遣申候、又我等共ゟ十
| 右衛門方へ、昨夜根尾左兵衛持参仕候、御奉書ノ返事仕候事、
岡部長盛使者へ荷 |一、岡部内膳様ゟノ御使者、御馬ニ乗せ被遣候、幷荷付馬も四疋申付候事、使者ノ名ハ原次兵衛と申
付馬ヲ貸与ス | (長氏)
| 仁也、呉服三弐つ被遣候事、御使者へ御使平野九郎左衛門、
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| (猪膝、田川郡)
使者ヲ振舞ウ |一、右ノ使者いノひさニて御ふる廻被成為御奉行、入江三丞差遣候事、
山盗 蕎麦盗 |一、田川郡ニ而山盗仕■大場角右衛門儀うけ取、同郡赤村ニ而、同村太兵衛そばを盗申ニ付、是もか
| らめ置せ■■事、御郡奉行被申付、其段申上候事、
中川久盛方ヨリ鷹 |一、中川内膳殿御内衆野尻藤久兵衛方ゟ、御鷹犬二つ進上仕候ニ、御犬ノかいれうの儀、川井権丞
犬二疋進上 | 被 仰付由ニ而、切紙被越候間、弐疋分相渡申候事、
ソノ飼料 |
歩小姓五人召放シ |一、歩之御小姓寺戸仁兵衛・田中助左衛門・松山小左衛門・野口五介・有田弥左衛門御扶持被放之
| 由、真下喜左衛門登城被仕、被申候事、
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岡部長盛使者饗応 |一、岡部内膳殿使者、猪のひさニて御振舞可被仰付之由候、然ニくろ崎ノ様ニ可参之由、使者被申ニ
送馬 | 付而、其段式ア少殿へ申候ヘハ、左様ニ候ハヽ、送馬之儀はくろ崎町通町迄送り候て、筑前之
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筑前領ニ入ルハ停 | 内ヘ参候儀ハ■■停止ニ御座候間、是ゟ罷帰之由申候て、戻り候へと可申付之由、式ア少殿ゟ
止 | ノ返事也、
江戸供ノ願 |一、小山二郎助、来年江戸御供望申候事、
山盗 |一、田川郡ニ而、山盗仕候大場之角右衛門とらへ申様子、書付ニ而御合点不参候ニ付、口上を御聞被
| (田川郡)
証人尋問 | 成候、あき人秋永村ニ留り申由申ニ付、秋永へ相尋候而、則下赤ノ者ノ由候ニ付テ、御惣庄や忠
| 左衛門方へ申届ニ付、角右衛門をとらへ申由申上、其段弥林與兵衛ニ相尋候処、其段相違無之
| 由、申候被申候、御横目番仁左衛門、
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山盗発見ノ樵等ヲ |一、山盗仕候を見付候木こり、又赤村ノ御惣庄や忠左衛門、同村ノ九郎左衛門と申御百性呼ニ遣可申
呼出ス | 旨、被 仰出候付、林與兵衛ニ申渡候事、
金ノ香箱注文 |一、金ノ御香箱被 仰付候而、銀子過分ニ入申ニ付、積り上ヶ候処ニ、銀子三貫弐百五十め手間共ニ
作料ノ見積り | 入申候ハヽ、先相尋可申候、左候而、御おくゟ被成御出候金ノ御つば、砂金ノふき申候まてニ
金ノ鍔砂金ヲ用ウ | 而、被 仰付候ヘハ、御かう箱何ほと出来仕候哉、書付懸 御目可申旨、林角兵衛を以被 仰出
| 候事、
| (規矩郡)
菊原五郎兵衛屋敷 |一、菊原五郎兵衛、足立ニ而屋敷被遣候処ニ、御鷹野ニ被成 御座、 御覧被成候処ニ、せばきと
拝領 | (辰珍)
| 而、被 仰付候間、今少屋敷添可被遣旨、津川四郎右衛門殿を以、被 仰出候事、
(ママ、与脱ヵ)
筑後へ鯉かうがき |一、筑後へ、御鉄炮衆松岡久左衛門池部七兵衛、桑原主殿与米村小左衛門、御小人弐人、御肴鯉・か
海茸ヲ求ム | うがき・海茸を取ニ遣候、直ニ十五日之筈相候様ニ、中津へ参候へと申付、遣申候事、
| (延俊)
|一、木下右衛門太夫様へ之 御返書被遣申候事を、宇右衛門持参被申候を、竹内吉兵衛与ノ坂本九左
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| 衛門ニ持せ、新や與左衛門所へ遣申候事、
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