津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「針薬方」

2020-03-02 17:57:47 | 歴史

                     

 現在熊本県立美術館はコロナウイルス騒動で臨時閉館の状態である。
すでに終了したが、こちらで明智光秀に関する新しい史料が公開された。米田貞能が書き残した「針薬方」である。
上記写真の右端の行に「明智十兵衛」の文字がはっきり見える。若いころの光秀の動静や朝倉氏との関係、また信長の動静などが記録されている。
先に桐野作人先生から拝受した御著「明智光秀と斎藤利三」では、早速このことを取り上げられ、またこれを補強する史料なども加えられて新しい視点で光秀の行動を浮び上げられた。
貞能とは細川家三卿家老・米田家の初代・求政の事である。息・是政の室・雲仙庵は光秀室の姪である。
そしてその菩提寺が、坂本の西教寺でありここは明智家ゆかりの御寺である。
深い因縁を感じているが、当方ではなんとも手も足も出ない。桐野作人先生の御著をきっかけとして、新しい展開を望みたい。

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■今日の散歩、そしてスミレ

2020-03-02 12:02:33 | 徒然

 一昨日・昨日と雨を理由に散歩は休んだため、今日は9時過ぎから出かける。
コロナウイルス騒ぎで町中の人出が少ないように感じられる。3.6キロの距離を歩いて、行き交う人は数人である。
マスクをした人は見受けなかったように思うが、私はマスク掛け、これは花粉症対策である。
マスクをかけると眼鏡が曇ってしまうのだが、過日掛けずに出かけたら目がかゆい事半端ないことになってしまったので、今日は眼鏡を曇らせながら歩き通した。
帰ってから手を洗い顔を洗い、目薬を差して終了である。

 途中でスミレが咲いているのを見付け、掘り起こして持ち帰った。
漱石の有名な句「菫程な小さき人に生れたし」は、ある句の解説にある目立たなくても良い、ひっそりと自分の力を尽くす人生でありたい。」と私も共通の理解を持っている。
私がスミレを好きだと思うようになったのは、義父から320×275㎜の丸い平鉢にこんもり植えられたスミレの群植を貰ってからである。春になると鉢いっぱいに背の低い沢山のスミレが一斉に咲きだし、感動ものであった。
ある夏の極暑の水やりがまずかったらしく枯れてしまった。現在何とかこれを復したいと思って野生の小さなスミレを集めている。

 

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■細川小倉藩(164)寛永三年・日帳(十一月廿七~廿九日)

2020-03-02 06:38:21 | 細川家譜

                (寛永三年十一月)廿七~廿九日

         |            
         |    廿七日  国遠道倫御横目也、
         |
         |              (烏丸光賢室、三斎女)
仕直シノ具足腹巻 |一、岡六左衛門被罷下候、 御万様ニて御小袖壱つ被下候由ニて、被持下候也、京ゟ御志直シノ御具
ノ鎖ヲ武具奉行へ |             (領) 又、はらまきノくさり
渡ス       |  足三両、○被持下を、則送状相添、安場二左衛門・三上宗於ニ相渡候、幷ぬり直シノわん御台所
         |  衆へ渡申候、是も送状相そへ遣候事、
帳箱       |一、彦丞、帳箱被下候様ニ申候へ共、見へ不申様に付、重而見出次第可返由書付、彦丞当遣候事、
         |          (ママ)
         |一、明石源左衛門与ノ
         |  (木下延俊)
絵書ヲ木下延俊ニ |一、右衛門太夫様へ、御絵書壱人可遣旨、上野角左衛門を以、そねゟ被 仰下候、絵ノ具も持候て可
遣ス       |  参旨、 御意候事、左候ハヽ、そねへ絵書弐より可申旨に候事、
         |(此条、襷掛ニ墨ニテ抹消セリ)
         |「一、雇船頭賃飯米、今月中之分切手ニ各加判被仕、可被相渡候、以上   (浅山)
         |      十一月廿七日                        清右衛門
         |                                      (田中氏次)
         |                                    與左衛門
         |         白井兵介殿
         |         鏡善右衛門殿
絵書派遣     |一、右之絵書、則今日可参由申ニ付、そね迄可参由、申付遣候事、
         |

         |            (米田是友)            
         |    廿八日  御横目甚左衛門
         |
江戸供ノ願書   |一、佐藤二郎兵衛、来年江戸御供望申書物、被差上候事、
         |             
雇船頭ノ賃飯米  |一、雇船頭賃飯米、今月中之分切手ニ各加判被仕、可被相渡候、以上    (浅山)
         |      十一月廿七日                        清右衛門
         |                                      (田中氏次)
         |                                    與左衛門
         |         白井兵介殿
         |         鏡善右衛門殿
         |
下人ノ前給    |一、大村久次下人壱人與介、来ル十二月十三日切ニ前給を取申由候ニ付、■■来ル十三日ニ暇遣可被
         |  申由、御郡奉行ノ書物ニかた書仕、遣候也、
         |

         |            (国遠)            
         |    廿九日  御横目道倫
         |
鉄砲足軽ノ子走ル |一、江戸ニ詰居候御鉄炮衆上田六右衛門子長介、此中走居申所ニ、彼請人谷忠兵衛与ノ権左衛門尋
尋出シ入牢セシム |  出、召連参由、財津惣右衛門兵衛被申来ニ付、則籠者申付候也、
         |            〃〃〃
請人連帰ル    |一、上田六右衛門子長介走候を、請人山本九右衛門・大塚■■権左衛門召帰ニ付、籠者申付候ニ付
請状ヲ返ス    |  而、右弐人ノ請状返シ申候、但、九右衛門ニ渡候事、
         |    (元五)
印判拾得     |一、志水伯耆殿ゟ、印判御ひろい被成、しせん松の御丸衆中印判にてハ無之候哉と、被仰候而持せ給
         |  候、則松の御丸中相尋候へ共、主無之ニ付、又伯耆殿へ持せ返し申候也、
         |  毛利秀元
毛利秀元書状   |一、毛り甲斐守殿ゟ 御状参候を、そねへもたせ差上候事
         |

 

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