津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■研屋さんの由緒

2020-11-01 08:24:45 | 熊本

 熊本にかって「研屋」という有名な旅館があった。本店は熊本市船場町で「研屋本館」、裏手は坪井川であり舟遊びの客があがったとか聞いた。明治大正期には著名人の定宿であったらしい。
昭和40年代くらいまではあったように思うが、写真とは違い、建て替えられたのか、大変クラシックな装いのロビーが有り、たった一度だけだがここでコーヒーをいただいた記憶が有る。隣にD組という熊本では有名な土木建築業の会社があり、お向かいには名菓「加勢以多」を作る「山城屋」というお菓子屋さんが有った。

  
         

「研屋支店」はかっての細川家家老有吉家の屋敷跡である。下通りの入り口の右手角地にあたる。
こちらは甲斐青萍が絵に描き残している。昭和20年7月の熊本空襲で惜しくも焼失した。

                                     

経営者は岡本氏、ある資料を見ていたら面白い記述があった。
  「東古川町懸船場壱丁目丁頭
          研屋武助事
             岡本武助
   明治二年八月廿七日所持之虎皮寸志ニ差上候付、苗字被成御免候」

経緯は不明だが召し上げられたものかもしれない。そして研屋武助さん、もともと岡本姓であったのだろうが、通常の名乗りを許されたということであろう。
さてこの「虎の皮」の行方は当然のことながら判らない。

 

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■細川小倉藩(392)寛永六年・日帳(卯月八~九日)

2020-11-01 07:04:52 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)八~九日

         |       
         |     (四月)八日  安東九兵衛
         |                                      (伊佐)(原田)
投網打引網ノ仕直 |一、西田吉内申候ハ、御引あミ仕直シ申度存、能ヲ当町尋申候へ共、無御座候間、源七・安右衛門
シニ良キヲ求ム |  手前へ有之苧の内ニて成共、可仕と存候、左様ニ御座候ハヽ、相奉行一人被下候へかし、切手と
         |  も仕、請取申度候と申候間、愛奉行なく候とも、仕候へと申候ヘハ、左様ニてハ御座候へ共、あ
相奉行ノ任命ヲ乞 |  ミヲいつれへ成共払申様ニ御座候ヘハ、能御座候ヘ共、私手前ニ置申ものニて御座候間、愛奉行
ウ        |  被下候へと申候間、左候ハヽ、あミ出来候ハヽ、持参仕候へ、めをかけ申か、いつれニ成共、其
ナクトモ可ナリ  |  時可申付候由、申渡候事、

                    苧引き(おひき)後の繊維 | 昭和村からむし織姫 齋藤環 | ふくしま人 ...
         |
家中侍へ茶ヲ賜与 |一、弓削與次右衛門被申候ハ、御茶申度由にて、御家中御侍衆ゟ壺持せ給候、いつれも詰遣由ニ候、
スルハ恒例    |  当年も御詰候て可被遣哉と被申候間、それハ此方へ御尋ニ不及候、此方ゟ指図も不成候、いつも
         |          (上林)
         |  仕付たることくニ、甚助ニ仕候へと、可被申由申渡候事、
         |                    ( 苺 )
土手廻ノ苺ノ採集 |一、上林甚助ゟ、使ニて申越候ハ、土手廻之いちごう時分も能御座候、御取せ候而可然存候、左様ニ
ヲ上林甚助加々山 |          (可政)
可政ノ乞ニヨリ許 |  御座候ヘハ、かゝ山主馬殿ゟ、先日取せ可申由被仰候間、各様へ御尋可申と存候つれとも、其砌
ス        |                                      ほと 
         |  すきも無御座、又各様へ主馬殿ゟ御尋候而も被仰越候哉と存、とらせ申候、今時分ニ而御座候
         |  間、御とらせ可然由申候ま、いつもはつをとらせ候而、 三斎様へ上申候ニ、主馬ゟ被上候へ
初苺ハ忠利ヨリ三 |  ハ、 殿様ゟ被進候ハ二番ニ成申候、主馬所ヘハ遣候儀ハ甚助越度にて、 三斎様へ 殿様ゟ御
斎へ進上スルヲ例 |  上ヶ候てのち、主馬ゟ上候てこそ可然存候ニ、主馬ゟ上候てのち、 越中様ゟ御上候トハ成かね
トス 可政ニ初物 |  申儀ニ候、さたのかきりにて候由、返事申候事、
ヲ許スハ沙汰ノ限 |
松山源丞中津ニテ |一、松山源丞ゟ申候被申越候ハ、中津へ三月廿四日ニ着、廿禄日ニ御ふち方十六人ふち被下、卯月二
三斎ニ謁シ扶持方 |       〃〃
呉服ヲ拝領ス   |  日ニ御能御座候ニツキ、御もんの御かたきぬ・御袴壱具と御召用の御袷壱つと拝領仕候由、被申越
兵法三斎ノ意ニ叶 |  候、参月廿質日ニ御礼申上候ヘハ、兵法御覧被成、一段 御意ニ入、御小姓七人弟子ニ被仰
ウ        |  付、殊外 御前能御座候と申越候事、
         |一、加来次郎兵衛儀、此中愛煩、今日登城仕候事、
中津へ出頭セシ走 |一、中津御奉行衆ゟ、今度走り申御加子之内、可右衛門と申御加子、糸川長右衛門・庄林十兵衛所へ
リ加子ノ請渡シ  |  参候ニ付、 三斎様へ得 御意候ヘハ、小倉へ可申遣旨 御意ニ付、書状参候、請取人早々可越
         |  旨ニ候事、
         |一、竹田了由登城ニて被申候ハ、黒部吉兵衛煩見廻可申旨、被仰付候間、見廻候通被申候間、此方ゟ
         |                 (正直)
         |  ハ何共不申入候由申候、御晩頭藪市正殿被仰候ハ、明日ハ此分ニ候ハヽ、下乗させ可申由、被申
         |  通候事、

         

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