熊本にかって「研屋」という有名な旅館があった。本店は熊本市船場町で「研屋本館」、裏手は坪井川であり舟遊びの客があがったとか聞いた。明治大正期には著名人の定宿であったらしい。
昭和40年代くらいまではあったように思うが、写真とは違い、建て替えられたのか、大変クラシックな装いのロビーが有り、たった一度だけだがここでコーヒーをいただいた記憶が有る。隣にD組という熊本では有名な土木建築業の会社があり、お向かいには名菓「加勢以多」を作る「山城屋」というお菓子屋さんが有った。
「研屋支店」はかっての細川家家老有吉家の屋敷跡である。下通りの入り口の右手角地にあたる。
こちらは甲斐青萍が絵に描き残している。昭和20年7月の熊本空襲で惜しくも焼失した。
経営者は岡本氏、ある資料を見ていたら面白い記述があった。
「東古川町懸船場壱丁目丁頭
研屋武助事
岡本武助
明治二年八月廿七日所持之虎皮寸志ニ差上候付、苗字被成御免候」
経緯は不明だが召し上げられたものかもしれない。そして研屋武助さん、もともと岡本姓であったのだろうが、通常の名乗りを許されたということであろう。
さてこの「虎の皮」の行方は当然のことながら判らない。