先日のブログ■細川小倉藩(392)寛永六年・日帳(卯月八~九日)に「苧」の写真を添付したが、ある方からご連絡をいただいた。
第一声に、「苧」の字を「若い人は読めんでしょう」と仰る。
お年を伺うのも失礼だと思いお聞きしなかったが、同年代か先輩かもしれないと感じた。
「からむし」とよむが、このようにタイピングするにあたって「からむし」と打ち込んでも「苧」の字は出てこないのも不思議ではある。
(単漢字でも出てこないから、私は「お」と打ち込んでいる。)
「何の変哲もない雑草だが、私の祖母は近くの里山周辺で一抱え背中に背負って持ち帰っておりました」と仰る。
「葉を素引きおとして束にし、近所の小さな流れにひたし、その皮剥きを手伝った」と懐かし気に語られていた。
そして、外側の表皮を棒で叩いたり、刃物できれいにそぎ落とたりしたあと乾燥させると、写真のようなものになるのだという。
「祖母は縄をない(綯)よりました、わら縄とは違うて綺麗かったですよ」
「ブログば拝見して、祖母のこつば思い出しました。有難うございました」とのご挨拶をいただき恐縮してしまった。
この「からむし」という植物は少々郊外に行けばどこにでもある。何方も「雑草」と思い込んでおられると思うが、「あゝこれが」と思われるはずである。
私の散歩道の自衛隊前の植え込みにもたくさん見られる。
このからむしを細く割いてつなぎ、つむいで織り上げると、高級で見事な「からむし織」が出来上がる。
「これがまた見直されて、受け継がれていくと有難かですばってん・・・」という最後のメッセージに大いに共感した。
今日は雨で散歩は取りやめたが、一本収穫して試してみようかと思っている。