津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「からむし」って御存知ですか

2020-11-02 15:31:13 | 徒然

 先日のブログ■細川小倉藩(392)寛永六年・日帳(卯月八~九日)に「苧」の写真を添付したが、ある方からご連絡をいただいた。
                        

 第一声に、「苧」の字を「若い人は読めんでしょう」と仰る。
お年を伺うのも失礼だと思いお聞きしなかったが、同年代か先輩かもしれないと感じた。

「からむし」とよむが、このようにタイピングするにあたって「からむし」と打ち込んでも「苧」の字は出てこないのも不思議ではある。
(単漢字でも出てこないから、私は「お」と打ち込んでいる。)

「何の変哲もない雑草だが、私の祖母は近くの里山周辺で一抱え背中に背負って持ち帰っておりました」と仰る。
「葉を素引きおとして束にし、近所の小さな流れにひたし、その皮剥きを手伝った」と懐かし気に語られていた。
そして、外側の表皮を棒で叩いたり、刃物できれいにそぎ落とたりしたあと乾燥させると、写真のようなものになるのだという。
「祖母は縄をない(綯)よりました、わら縄とは違うて綺麗かったですよ」
「ブログば拝見して、祖母のこつば思い出しました。有難うございました」とのご挨拶をいただき恐縮してしまった。

この「からむし」という植物は少々郊外に行けばどこにでもある。何方も「雑草」と思い込んでおられると思うが、「あゝこれが」と思われるはずである。
私の散歩道の自衛隊前の植え込みにもたくさん見られる。

                       

 このからむしを細く割いてつなぎ、つむいで織り上げると、高級で見事な「からむし織」が出来上がる。
「これがまた見直されて、受け継がれていくと有難かですばってん・・・」という最後のメッセージに大いに共感した。

今日は雨で散歩は取りやめたが、一本収穫して試してみようかと思っている。

 

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■御恵贈御礼「家系研究‐第70号」記念会報

2020-11-02 14:34:43 | 書籍・読書

                       

 家系研究協議会が、今般創立40周年を迎えられ、記念号として発刊された「家系研究・第70号」をお贈りいただいた。
友好団体の処遇を頂戴し毎回の会誌を頂戴しているが、まずは40周年を迎えられたことにお喜びを申し上げ敬意を表したい。
すごい歴史であり、会員諸兄のたゆまないご努力をしてもたらされた金字塔である。
毎回、隅からすみまで拝読しているが、今回は特に安居隆行氏の「清和土岐源氏・明智光秀の系図の謎」に目が行った。
光秀の子とされる玄琳が記した系図が取り上げられており、これは熊本安国寺所蔵の琳「喜多村家系図」と系列を一にするものであり、全国の会員諸氏にご披露が及ぶことはありがたいことである。
その他、多くの記事があるが、毎度のことながら会員諸氏の温度の熱さに敬服するばかりである。
さらなるご発展をお祈り申し上げる。

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■歴史教養バラエティ

2020-11-02 09:05:58 | 徒然

 こういうくくりが有るかどうか知らないが、「お城ブーム」や大河ドラマ「麒麟がくる」のせいもあってか、歴史を取り上げた教養?バラエティが随分見受けられる。
ここに大学教授で著名な歴史家が参加されているが、小和田哲夫氏、大石慎三郎氏、故・山本博文氏、千田嘉博氏、本郷和人氏、磯田道史氏など多士済々である。
これに、芸能人その他の歴史好きがからんで、それぞれがうんちくを傾けていると、少々首をかしげたくなる話もある。

 熊本大学永青文庫研究センターの稲葉教授はその著「歴史にいまを読む‐熊本・永青文庫からの発信‐」の中で、OB教授の私的見解「天草四郎という特定個人は存在しない」という説を、あたかも熊本大学の見解のように取り上げたことに対して、相当怒っていらっしゃる。
このことについて発言されたのは上記 H 教授の様だが、カットされているのかもしれないが、「これは熊本大学の見解ではない」という一言が欠けていることによる。
その御説の熊大OBのY教授の御著を読んだことが有るが、面白い説だと思ったが、私は「ちょっと違うのではないか」と感じたし、当然否定する方々があることは当然である。

 今日の「歴史ブーム」のなかで、いろんな番組を通して平易に「歴史」解説がもたらされるということは結構なことだが、稲葉教授の発言の中には、的外れな主張がまかり通る「歴史教養バラエティ」にたいする、苦々しい想いがおありであるように思える。
ただ一つの番組が面白おかしく出来ればよいという、安直な制作側の姿勢に対する批判と見て取れる。

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■細川小倉藩(393)寛永六年・日帳(卯月十~十二日)

2020-11-02 06:54:58 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)十~十二日

         |       
         |     (四月)十日  加来次郎兵衛
         |
家中ノ茶壷ノ廻漕 |一、御家中のつほを、私幷上原久右衛門、両人にてつミ上り申候ニ付、春木金大夫ゟ、さの嶋平兵衛
鉄炮ノ薬     |  ・粟屋與三兵衛、両人所へ上せ被申候鉄炮ノ薬一包、又内ニ銀在之状一つ請取罷上候、慥相渡、
請取       |  返事取下可申候、御船頭袖野九右衛門(花押)
         |一、右ノ御船頭ニ寺嶋所へ之状遣、様子ハ御家中のつほ迄を上申候、御つほハ一つハ上せ不申由、申       
         |  上せ候也、
         |                                        くぐい(コハクチョウ)
松井興長進上ノ |一、式ア殿ゟ、堀江少五郎御使ニて、弐つ 殿様へ上ヶ申候間、ため池へはなさせ候而、かわせ可
ヲ溜池ニ放シ飼ス |  申由、被仰下候、得其意存候通申候事、
鉄炮小頭伊勢参宮 |一、御鉄炮衆小頭荒瀬角兵衛御暇被下、参宮仕、夜前罷下候由にて、登城申候事、
ヨリ帰着     |
白鳥       |一、右ノ儀弐つともニ、ため池の花坊に渡候、白鳥と一つにおき候ハヽ、若はしにてつき申事も可有
         |  之候、左様之てい見及候ハヽ、別におき可申通、申渡事、


         |       
         |     (四月)十一日  安東九兵衛
         |
馬場ノ桜ヲ切リシ |一、馬場ノ桜きり申候もの、今日成敗仕候事、
者成敗      |
         |       ゟ、使にて          元長曾我部家家臣、このじき細川家召出しか?
立石助兵衛ノ宿所 |一、吉田縫殿助登城 被申越候は、立石助兵衛今朝着被申ニ付、則案内者仕、東小倉真乗寺へ参候
         |       〃〃
         |  而、内衆まて不残置申、寺せはく御座候ハヽ、二宿取、わきニも内衆を置可申と存候通被申候、
         |  一段可然候由、返事候也、
         |一、加藤新兵衛此中煩差おこり、少能候由にて、登城被申候事、
         |一、萱嶋作兵衛此中相煩、快気仕申候て、登城申事、
         |一、沢田吉右衛門此中相煩、快気仕由にて、登城申候事、

         |       
         |     (四月)十二日  石本三助
         |
蔵奉行病中ノ替リ |一、御蔵奉行星出市左衛門煩申ニ付、当分之かわりとして、石本三介を申付候、又京都かい物奉行
京都買物奉行手伝 |  衆手伝ニハ、志水安右衛門を申付候事、
         |               (浅山)(田中氏次)
有吉英貴邸ニテ談 |一、頼母殿にて御談合在之ニ付、修理・兵庫参候事、
合ニ惣奉行出向ク |
         |                          (立成)
大鷹下着     |一、江戸ゟ、山口半次大たか一もとすへ下候事、但、道家左近右衛門印判を足革ニ付、下候へとの
足革ニ印判ヲ付ス |  御意ノ旨、則此方への状ニ、合申印判をし候て参候、河井権丞ニ見せ、引合、請取せ申候事、
書状ノ印判ニ引合 |
セ請取      |

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