先の人吉・球磨地方の大水害をうけ、熊本県知事が「川辺川ダム」建設を視野に入れた答申を県議会で表明した。
ダムがあれば6割の被害が防げたといわれている。樺島知事は、ダム建設反対を公約に掲げて当選し、今年熊本では避けられてきた四選を果たした人である。
「民主主義は市民が主権者」だから、民意をくみ上げて方向性を決めるというのだろうが、私が腹立たしく思っているのは、県知事初当選後から約13年間、県や知事や議会は、治水に関するダム建設の代替となる具体的施策を放ってきたことである。
私は若いころから仕事の関係で随分五木村や人吉球磨地区に通った。川辺川の清流と共に日本の原風景とも思える穏やかな村は、ダム建設の話でほんろうされ続けてきた。
家をすて移転を余儀なくされたり、村から離れていく人が続出し人口が激減した。民主党政権の登場と共にダムは否定されたころ、知事もその流れに達当選を果たしたが、それ以前から村民は長い間、政治に翻弄され続けてきた。
当時の村民の民意はまさしく「ダム反対」であったが、けんせつへ向かって猛ダッシュを始めた処で一変した。
ダム完成後を夢に見ながら、役場をはじめ、商店や住居などが新しい場所で近代的な「あだ花」を咲かせている。
自然に優しい「流水型ダム」を建設する方向で知事の腹は固まっているのであろう。
13年前に「流水型ダム」ではいけなかったのか、多くの使者・行方不明者を出し、膨大な被害を目にして、知事の心も乱れたことであろうことは想像するに難くない。
原始力発電を推進してきた人たちが、福島原発の津波被害に呆然とし、推進反対を言い足した構図とよく似た話だ。
「過ち而改むるに憚ること勿れ」という言葉がある。過ちと考えずに改めない人がいる。知事は13年前の決断をどう考えておられるのか、議会もメディアもそこを突くこともないようで、心底をはかり知ることができない。
「その時の民意をくんだ決断である」という話なのであろう。お詫びの声は聞こえないように思う。
虚心坦懐、関係住民のこころに温かみが届くような言葉が欲しい。
四期目の任期いっぱい、政治学者である知事の苦悩はつづくのであろうが、精いっぱいご努力いただきたいものだ。
先に ■豊前入国後の忠興の子とその生母たち をご紹介したところ、立孝・興孝の生母・幾知(圓通院)の実方である清田氏のご一族、福岡在住のKK様から、圓通院の墓石その他の写真資料をお送りいただいた。感謝申し上げる。
私も過去に何度かこの場所は訪れているが、これは細川刑部家一族の墓地である。
圓通院は細川刑部家初代興孝の御生母としてこの場所に葬られている。
私が訪ねた折は入り口の扉が閉ざされており、無断で入ることもはばかられ、詳細を知りえないできた。
細川宗家の藩主の墓地である泰勝寺(立田自然公園)にほど近い場所であり、かっての泰勝寺塔頭・慈眼庵のあった場所である。
圓通院の墓碑 同左
慈眼庵・案内図
慈眼庵標木 細川刑部家・墓地