[侍帳改訂作業] 昨日は安場氏、そのために安場保吉氏編の「安場保和伝」(藤原書店)を取り出して読む。
その内容は出版社の書籍案内には「総理にも動じなかった日本一の豪傑知事。「横井小楠の唯一の弟子」(勝海舟)として、鉄道・治水・産業育成など、近代国家としての国内基盤の整備に尽力、後藤新平の才能を見出した安場保和。気鋭の近代史研究者たちが各地の資料から、明治国家を足元から支えた知られざる傑物の全体像に初めて迫る画期作。」とある。
編者はご子孫の安場保吉氏、残念ながらこの本の刊行(2006.4.31)を待たずに、2005年に亡くなられている。
書名のごとく全448頁の内容はほぼ「安場保和」一人のことで占められている。
保和の活躍の時代ごとを、10人の近代史の識者や関係者が分担して著されている。
- 熊本・維新時代 / 花立三郎 [執筆]
- 明治政府成立時代 / 三澤純 [執筆]
- 福島県令時代 / 福井淳 [執筆]
- 愛知県令時代 / 住友陽文 [執筆]
- 日本鉄道会社の創設へ / 中村尚史 [執筆]
- 元老院議官・参事院議官時代 / 中野目徹 [執筆]
- 福岡県令・県知事時代 / 東條正 [執筆]
- 貴族院議員時代 / 小林和幸 [執筆]
- 北海道庁長官時代 / 桑原真人 [執筆]
- 安場咬菜管見 / 鶴見俊輔 [執筆]
最後にわずか1~2頁に先祖以来のことが書かれているが、すでに承知のことばかりであった。
初代九左衛門は、幽齋の田辺城籠城の際、堀を潜行して敵方・小野木縫殿助方に入り込み情報収集をしている。
先祖は伊賀氏(三郎を名乗る)だと伝えられ、なぜか服部氏を名乗ったりしており、忍びの家系をうかがわせる。
解説をしている安場保吉氏は、幽齋を二度にわたり忠興とする間違いを犯されている。
4代目の一平は、赤穂浪士・大石内蔵助の切腹の際介錯役を務めてその名を挙げた。
そして、この本の主人公・保和は11代目にあたる。
安場保和には男子がなく、長女が下津久馬の二男・末吉を婿養子とした。
下津家は公卿久我氏、加藤清正に仕えた下津棒庵の子孫である。その子孫は細川家に仕えた。下津久馬の弟が山形典次郎である。安場氏に公卿のDNAが入った。
保和の次女・和子(ウイキペディアでは愛子としているが間違いか)は後藤新平に嫁いでいる。
その娘婿が靍見祐輔、その子が鶴見俊輔である。
保和の活躍は燦然と輝いて、その女子も良き伴侶を得られ、ご子孫は政界・財界・言論界・教育界等で活躍され名を成しておられる。
ご同慶の至りである。
付けたし:
全く偶然だが、その後磯田道史氏の「近世大名家臣団の社会構造」を読み、何気に「あとがき」を読んでいたところ、編者の安場保吉氏にお世話になったと書かれていて、偶然なことに驚いてしまった。
安場保吉氏は大阪大学教授で経済学者だが、磯田氏は「社会経済史学会」にも籍をおかれておりその関係であるらしい。