日帳(寛永六年五月)十五日
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| 十五日 安東九兵衛
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|一、住江甚兵衛かたより、使にて被申越候は、御客人屋之前ニ少塀御座候、夜ニ入候而、ころび申候間、
| 御作事奉行衆へ被仰付候而被下之由にて候、心得候、追付御作事奉行へ可申付之由、返事候也、
袖判ニテ中野某ヘ |一、加藤新兵衛ニ申渡早漏は、今度中野長兵衛ニ御袖判にて、かし被遣候お銀の内ニ、当所銀を茂取可
ノ貸銀ニ当所銀モ | 申由申候間、直段をもさけ候て、銀子之内ニ〆、わたし可然候由、申渡候也、
入ルゝ故価ヲ下グ |
彦山座主両札ノ目 |一、彦山座主御坊ゟ、御門札目録被成御上候、則林隠岐へ渡させ候事、
録ヲ上グ |
| (蟹喰)
干藺収蔵蔵ヲ要ス |一、矢嶋平三郎申候ハ、当年ハ御藺大分作り申候、干調、入置申御用候間、かにはミ御門ゟ東之角之
| 御矢倉をニ入申度存、河田八右衛門尉ニ相尋申候ヘハ、太鞁ノ御矢倉ニ詰申清雲ニかし置候由、
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| 被申ニ付、見申候処、清雲ハ居不申、清雲むこニかし置申候由、申ニ付、幸八右衛門被居合ニ
| 付、何とて段々ニかし被申候哉と申候ヘハ、不存候、取返し、平三郎ニ渡禍申由、被申候事、
| (田代)
中津城大勝手ノ絵 |一、大勝手ノ御絵、今度中津にて、等甫ニ被仰付候、此手間銀渡申候処ニ、丁銀をうけ取候、中津に
ヲ等甫ニ描カシム | ては丁銀迄を被下由候、爰元ノ御絵書ははいふきを被遣候、如何丁銀を等甫ニ渡禍申哉と、粟野
手間銀ハ丁銀ニテ | 伝介被申候、 三斎様ゟハ丁銀被遣来候ハヽ、丁銀を渡禍被申由、申渡候事、
渡ス |
諸町貸家ノ葺直シ |一、河田八右衛門・矢野勘右衛門被申候ハ、諸町両所ノ御かしやもり申候ニ付、ふき直申度候間、曽
ニ枌ヲ求ム | 木千束かい渡候様ニと被申候、大学殿ニ可被相尋由、申渡候ニ付、被尋候ヘハ、横目を二人、彼方
沢村吉重可被ノ見 | ゟ差出被申候間、又御作事方小奉行一人遣、ふき直被成は不叶通申候ハヽ、その上にてふき直させ
分ヲ命ズ 客人屋 | 可申由被仰由、八右衛門被申候、右ノ御かしや弐ヶ所ノ内、一ヶ所ハ御客人屋之儀候、是ハとか
| (弥左衛門)
| くふき直候ハて不成由、和斎与ノもの、此中申候と、修理ゟ八右衛門ニ申候ヘハ、八右衛門申候
門川阿心客人屋普 | は、此中繕ニ人を遣候ヘハ、門川阿心追戻候由、申候と被申候、此方ゟ申候ハ、其者を阿心追放
請ノ者ヲ追放ス | 候とて、其儘置被申候哉、さりとてハきこへざる儀ニ候、各阿心所へ御越候て、其吟味不被仕候
| 哉、さたのかきり成由、八右衛門・勘右衛門ニ申渡候事、
| (三斎側室、郡氏、松井興長室ノ母)寛永六年六月十一日死去
松井興長姑松ノ丸 |一、式ア少輔殿ゟ被仰下候は、松之丸様御煩ニ付、なしを御まいり有度之由にて候へとも、なし無御
ノ煩ニ梨子ヲ求ム | 座候、若各御給知之内ニ御座候ハヽ、一つニても進上禍申よし、被仰下候、御花畠なと相尋させ、
天守奉行ニ天守ノ | 御座候ハヽ、進上禍申由、返事仕候、御天主ノしたニなしノ木御座候ニ付、隠岐まて申遣、なり
下ノ梨子を採ラシ | 候て在之、あぢなと能候ハヽ、四つ五つほと取候て、被越候へ之由、申遣候、則持来候を見申候
ム | へとも、中/\まいり候様ニ無之ニ付、其通ニ仕置候也、