津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■公園課だろう・・・

2020-11-27 16:17:23 | 徒然

                 

 
 近所の錦が丘公園に設置してある「裸婦像」廻りの雑草がなんともいただけない。
昨日ご紹介した写真の一番奥に鎮座している。
一時期、すぐ左隣には、道路下に数キロにわたって下水道を掘削の為に、機械を出し入れするための縦抗があって、大きな上屋でおおわれていて、周辺は高い塀で囲まれていたが、工事も終わったのか撤去されてしまっている。
そんな場所だったが、当時この裸婦像が見えないというわけではなく、前には周回1キロほどのランニングコースがあって、毎日老若男女が思い思いに歩いたりジョギングしたりしているのだ。
そんな場所にあるのだが何ともいたわしい限りで、雑草か雑木かわからないが早々に綺麗にしてほしいものだ。
多分公園課が管理しているのだろうが、担当課で出来ないのなら、地元の自治会にでも頼んだらよかろうに・・・
電話をして文句を言おうかとも思うが、最近喧嘩っ早くなっているから、電話口で怒鳴るかもしれないと思ってこらえている。
明日は剪定挟をもって出かけて切ってやろうかと思っている。これが一番穏便でよかろうが、何とも腹が立つ。
芸術作品を立てた意味がないぞ~~~。

                

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(414)寛永六年・日帳(六月八日~九日)

2020-11-27 06:51:44 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年六月)八日~九日

         |       
         |     八日  加来二郎兵衛
         |                      (鏡)
江戸石舟ノ船頭加 |一、江戸石舟之御船頭・御加子、昨日罷下候由、善右衛門尉被申候、御船頭六人・御加子拾ク人・水
子等帰着ス    |  夫、町加子ノ間ニ五拾九人参着申候、頭分の御船頭ハ、于今江戸ニ逗留仕由ニ候事、
         |  (南畝)
         |一、南次兵衛・古野二郎介登城仕候、昨日罷下申候、江戸を五月十九日ニ罷立候由申候、
忠利書状     |一、三斎様へ被進之候 御書箱一つ、
         |一、私共両人ニ 御書被成下候、
         |  池田政綱                             
         |一、松平右京様へ 御書被進之候、江戸ゟノ御飛脚と申候而、御加子二人ニ持せ進之、御返事を取、
         |  罷下、御奉行所へ上置、便次第ニ、江戸へ上候へと被仰付候由、次兵衛申候事、則御返事うけ取
         |             (赤穂ヵ、赤穂郡)
         |  置候事、右京様ハはりま之あこと申所ニ御座候由、           〃
         |   (幸長)                                         (粟野)(豊岡)
江戸供切米取ヘノ |一、野田小左衛門尉ゟ、江戸御供ノ御切米取衆御かし銀帳一冊被差越候、則伝介・甚丞ニ相渡候事、
貸銀帳      |
同米取立帳    |一、同人ゟ、同米取立帳一冊被越候、則金子喜左衛門尉方ニ渡ス、
大坂ヨリ銀積下ル |一、大坂ゟ證喜平次罷下候、御銀積下候事、

         |       
         |     九日  安東九兵衛
         |
城番病気欠勤   |一、佐分利平太夫煩にて、御城御番不仕候由、財津惣兵衛被申候事、
鉄炮台木用古材木 |一、田川古材木之内ニ有之鉄炮之台木ニ成申木、田川用水之御普請ニ参居候御鉄炮衆、仕舞候而戻
ヲ田川用水普請ノ |                (元次)
足軽ニ運搬セシム |  候時、持来候様ニと、月行司芦田與兵衛与之小頭恵良吉右衛門ニ申渡候、
中津郡御借米奉行 |一、中津郡御借米奉行沖津作太夫被申候ハ、竹田左内御借米之請人ニ中川佐左衛門立被申候、去年佐
竹田左内借米請人 |  左衛門知行ゟ余米有次第取立申候、されとも是ハ少分之儀候、左内借米を佐左衛門不残たて申儀
         |                         (泰里)         哉らん
土御門泰里ノ関連 |  ハ、佐左衛門身躰にてハ成申儀にてハ無之候、左内土御門殿手前をナイと〇もちれ被申ニ付而、未
         |  相済不申候、今度江戸ニテ殿様も被 仰候ハ、土御門殿ハ何として御出もなく候やと被 仰出
         |  候処、 御前ニ被有合候衆被申上候ハ、左内御借米ノ儀ニ付而 御前をうかゝい被申、御出もな
         |  きと相聞え申候由、被申上候ヘハ、被成 御意候ハ、それハ直ニ御申候ても埒明申事候由、被成
         |   御諚通承及申候、今度中津郡御借米方御算用ニ、佐左衛門手前をも相加、不納ニ罷成候儀ハ、
         |  佐左衛門も御供ニ罷上、留守之儀ニ御座候間、被差除候様ニと、作太夫被申候、我々申候ハ、御
借米方一国一面ノ |  借米方一国一面之被仰付様可有御座候、佐左衛門手前とて、各別ニ可被差除儀分別不参候、とか
法        |  く御借米奉行衆ニ被仰合、彼衆差図次第ニ可被仕通、申渡候事、
                  土御門家(陰陽宗家安倍家) 細川幽齋(藤孝)の実家・三淵家の末妹が土御門久脩に嫁いでいる。
                           頭注にある「泰里」についてはよくわからない。安重(久脩の子)の間違いか??

         |  (水町村、規矩郡)
新米進上     |一、水町之少右衛門尉、新米少むすこの千太夫ニ持せ、差上候、
蘇鉄ノ枝葉切リシ |一、東小倉鳥町之浄喜、そてつの葉を切候ニ付、一昨日籠者可被申由、吉田縫殿ニ申渡候処ニ、于
浄喜ノ入牢遷延ス |  今籠者不被申付由、承候ニ付、縫殿をよひ、如何候て于今入レ不被申候哉、急度籠ニ入可被申
         |   (ママ)
         |  渡由、申渡候、但、又籠ニ不被入様子候ハヽ、其談も可由、申候へ共、左様之儀少も無之候、
町年寄ノ歎願   |  今日七つ時迄入候事を、のへくれ候へと、東小倉町年寄中申ニ付、預置申候、約束ノことく七つ
入牢ノ刻言ヨリ一 |  時ニハ、かならす/\籠者可申付由ニ而被帰候、但、かやうニ申渡候時ハ、八つを打、一寸ほと
時一寸程モ香立チ |  もかうたち可由比にて候つる也、
シ後       |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする